秋由 汐乃 編
1.「悪いヤツじゃない」
5月19日 火ようび
「おにいちゃん、今日のなぎさちゃんはどうだった?」
夕食の時、目をキラキラさせながら汐乃が訊いてきた。
菱川が昨日ウチに遊びに来たことで、菱川なぎさとオレがクラスメイトだとバレてしまったので、当然こうなる。
「どうもも何もないよ、フツー。」
「えーっ? 髪型はどうだったとか、お弁当は何を食べてたとか、毎日変わることいっぱいあるでしょ?」
「髪型なんて毎日同じだろ……弁当はそうだな、今は
おかげでオレ達は弁当箱一つ分の昼食を失ってしまったのだが、仕方ない。
ちなみに
これまでに何度も助けられたとは言え、
そのために、オレと
5月2日 土ようび
「それ、食べないならもらってイイ?」
この日は午前中はバイトで、それが終わってから家に帰って昼食を取り、その後に街中の公園を巡回していたところだった。普段はあまり行かない駅の向こう側でホットドッグを買ったのだが、何だか食べる気がしないで袋に入れたままにしていたら声をかけられた。
振り返ると誰もいない。
女の声が聞こえた気がしたのだが、気のせいだったか。
「気のせいじゃないよ。」
振り返ると誰もいない。
女の声が聞こえた気がしたのだが、気のせいだったか。
「私、2日くらい何も食べてないんだよ。お願い、それくれないかな?」
振り返ると誰もいない。
女の声が聞こえた気が……
「どこにいるんだ?」
「やっぱり、見えないんだ……」
声は正面から聴こえる。
だが、そこには誰もいない。
試しに手を伸ばしてみる。
すると、あまり触り慣れていない触感と「ぎゃっ!」という低い声が……その柔らか暖かい感触は指1本1本を包み込むような心地よさがあって、あ、これ、ひょっとして。。。。慌てて手を引っ込める。
「あの……すみません。ひょっとして今オレが触ったのって、触っちゃいけないところだったりしますか?」
「……そのホットドッグで手打ちにしてあげるよ。」
その柔らかな感触がした場所に向かって、全力で土下座をした。
「透明人間!?」
「多分ね。私の方からは全部見えているんだけど、どうやら私のことは誰にも見えていないみたいなんだ。」
渡したホットドッグをモグモグしながら、その女性は答える。「モグモグしながら」とは言ったが、本当に食べているのかはよく分からない。彼女に渡した瞬間、さっきまで確かにあったホットドッグが消滅してしまったからだ。
「私のことだけじゃなくて、私が触ったもの全部そうなっちゃうみたいで……お金とかも見えないのか、何も買えなくて困ったよ。これ、見えないよね?」
「あぁ、何も見えない。」
慎重に手を伸ばすと、オレの手のひらに彼女がゆっくりと何かを触れさせてくれた。これは財布か。これは思った以上に厄介な現象だ。
だが、彼女は今「お金が見えないせいで、買い物ができなくて困った」と言っていた。
「一つ訊かせてくれ。」
「うん? 質問にも依るけど、とりあえずイイよ。」
「自分の姿が見えないなら、食べ物なんて盗んでしまえばイイとは考えなかったのか?」
そう訊くと、しばらく考えこんだように「うーん」とうなった後、「その手があったか」と言った。
「ダメだ。どんなに腹が減っていてもモノを盗んではいけない。」
「売れ残ったおにぎり1つくらい、なくなっても誰も困らないでしょ?」
「オレはコンビニでバイトしているから分かるんだが、お店ってのはいくつ商品を仕入れて、いくつ商品が売れたのかを厳密に数えているんだ。数が合わなかったら当然万引きされたとバレる。オマエが犯人として捕まることはないかも知れないが、オーナーや店長は心を痛めるんだ。」
コイツは悪いヤツじゃない。
「自分の姿が透明になったら何をするか」を考えたら、大抵の人は「誰にもバレないから犯罪行為をする」ことが真っ先に思いつく。欲しいものを万引きしたり、女子更衣室に潜りこんだり、キライだったヤツをひっそりと殴りに行ったり。
しかし、コイツは「2日くらい何も食べてない」のに、犯罪に手を染めずにオレにホットドッグをねだっただけだった。「誰にバレることがなくても後ろめたいことはしたくない」性格なんだろう。
このままほったらかしにして追い詰めて街に放って犯罪行為を起こさせるよりかは、オレが保護した方がイイような気がした。
「絶対に人のものを盗まないと誓えるなら、オレが食事と寝床を世話してやってもイイぞ。」
「ホント? アンタ、見たところ高校生くらいだろうけど大丈夫なの?」
「まぁ、オレもバイトしてるし、貯金もあるし、何とかなるだろう。」
「じゃあ誓う、誓う。家、連れてって。屋根のあるところでちょっと眠りたい。」
やはり。
家にも帰っていないのか。声を聞くかぎりは、オレとさほど変わらない未成年くらいに聞こえるのだが、「親に頼る」ことが出来ないというのはかなり深刻な家庭事情なように思える。放っておくワケにもいくまい。
「オレは
「全然ピンと来ねえ!」
「高校2年生だ。オマエは?」
「私も同じ、高校2年生。」
「名前は?」
「
「“いちじょう”の“じょう”はどっちの漢字だ?」
「条件の“条”。」
「“かもめ”ってどんな漢字だったか……右が鳥だったのは覚えているんだが。」
「区役所の“区”に、“鳥”で、鴎だよ。」
ウソはついていない。
罠に引っかけただけだ。
◇
家に着くと、ちょうど誰もいない時間だったみたいだ。
まず家族に事情を説明しようと思っていたが、とりあえずオレの部屋に通す。
「お、Switchあるじゃん! 『Splatoon』やってるんだ? どのブキ使ってる?」
「一条さん、ゲーマーなのか? オレは下手の横好きだから全然上手くねえぞ。」
ちなみにオレの使っているブキはデュアルスイーパー、中距離で撃ち合える二丁拳銃だ。
「私はスパイガジェットかな。」
「すげえマニアックなブキを使うんだな……」
スパイガジェットとは傘のような形状のブキで、敵の攻撃を傘で防御しながら攻撃できるという代物だ。なかなかというかかなりの上級者向けのブキだと思われる。
一条さんは古今東西さまざまなゲームに詳しいらしく、にわかゲーマーのオレとしては話を聞くだけでもなかなか楽しい。ひとしきりゲームの話で盛り上がった後、ちょっとトイレに立たせてもらう。
トイレに行きたかったのはウソじゃないが、目的はもう一つある。スマホから幼馴染に電話をつなぐ。
「ハイハイ、未智くんですよーですよー。ジュンくん、どったの?」
「未智、今ちょっと時間大丈夫か?」
「全然大丈夫じゃないよ! ジュンくんもご存じだろーけど、ゴールデンウィークは野球部は合宿だからね。やること山ほどあるけど、ジュンくんからの電話ならしゃあない。みんなにはバレないようにこっそりこっそり話を聞いちゃおう!」
恐ろしいくらいにテンションが高いコイツは、オレの幼馴染だ。
「聞きたいのは、オレ達の同級生でここ数日行方不明になった女子がいないかってことだ。誘拐とかじゃなくて、家出だと思うんだけど。」
「ここ数日? んー、それはちょっと難しくない? ゴールデンウィークが明けないと学校を休んでるかどうかも分からないし。」
「あぁ、連休明けまで待つよ。とりあえず中学の同級生で、オレが話したことのない女子を当たってくれないか?」
一条さんは名前を「
区役所の“区”が左につく鴎という漢字は、確か人名には使えなかったはずだ。
そうすると高校2年生というのも本当なのか怪しいところなのだが、まったく知らない男に話しかけてヒョイヒョイと自宅までついてくるとは思えないので、予めオレのことを知っていた女子じゃないかと予想できる。
かといって声に聞き覚えはないので、オレと話したことのある女子ではないだろうと予測したのだ。
「なんか、状況がよう分からんのだけどー、ま、イイや。ジュンくんからの頼みだもんね。連休明けにでも片っ端からギュイーンと聞いてみるよ。」
「すまない、迷惑をかける。」
◇
部屋に戻ると、いつの間にか帰っていた汐乃がオレの部屋でオレが脱ぎ散らかしていたシャツを抱えていた。
「あ、おにいちゃん。おかえりなさい……というか、おにいちゃんの方が帰り早かったんだね。」
「出かけてたのか?」
「うん、お父さんとお母さんと三人で買い物に行ってた。このシャツは洗濯物に出しておけばイイ?」
「あぁ、すまない。後で出しておくつもりだったんだけどな。ところで汐乃、この部屋に誰かいなかったか?」
「?? 誰もいなかったけど……」
一条さんは
汐乃が出ていった後もそんなことをぼんやり考えていたら、頭をポカっと叩かれる。
「実在してたのかっ!」
「今のって妹?」
「そうだ! ムチャクチャかわいかったろ! その美少女っぷりに恐れおののくが良い!」
「ふーん。」
あれ? リアクションが薄い。
日本一かわいい妹を見ても、特に驚かない人間がいるだなんて。
「そうだ! 家族にも事情を説明しなくちゃ、紹介するよ……」
と言ったところで、腹に一撃パンチを喰らった。
「ダメ。家族に私のことを言ったら、私はすぐにここから出ていく。」
「は? なんでだよ。」
「アンタはともかく、普通は透明人間なんかが同じ家にいるの嫌がるでしょ……」
表情は見えない。透明人間だから、一条さんが今どんな顔をしているのかは分からない。だが、その声のトーンは深刻で、彼女の心に深い傷が刻まれているように思えた。それが家出の理由なのか、誰にも頼れなかった理由なのか。
「ウチの家族はそんなの気にしない。家族4人全員、困っている人がいたら放っておけないような人間だ。だから、信じてくれ。」
「アンタのことは信用してもイイけど、他の人は信用できない。」
「どうしてオレのことは信用できるんだよ?」
「だって、“ものを盗まない”なんて約束しただけで、私のことを信用してくれたじゃん。」
あ……
そうか。
オレが一条さんのことを信じて、「悪いヤツじゃない」と思ったから。一条さんもオレのことを信じてくれたのか。一条さんからすれば、父さんや母さんや汐乃はそうではないから信じられないのだと。
「分かった。じゃあ、この家では基本的にオレの部屋の中で生活してくれ。荷物はその辺にまとめておいて。飯はよそで買ってくるから、ここで食ってくれ。それでイイか?」
「うん。」
それで問題がないと思っていた。
浅はかだった。考えが足りなかった。
危機はその日の夜、すぐにやってきたのだ―――
「おにいちゃーん、お風呂あいたよー。」
廊下から届いた汐乃の声で青ざめる。
風呂……ひょっとして、一緒に入るしかないのか……?
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