9.「ハシャぐ菱川」
5月18日 月ようび
オレの妹:秋由汐乃には、4歳の頃から続いている習慣がある。
オレが帰宅する時、またはオレが外出する時、玄関まで出てきて「おかえりなさい」と「いってらっしゃい」を言うというものだ。なので、夜にこっそり抜け出したことを咎められたりもしたのだが……
とにかく、今日も変わらず、いつも通り玄関まで迎えにきた汐乃が硬直する事態が起こった。まぁ、正直なことを言うと、こうなるんだろうなという覚悟はしていた。
「初めまして、妹さん。準稀くんのクラスメイトの菱川なぎさです。」
バリバリの営業スマイルで汐乃に挨拶をする菱川。
「な、な、な、な、な、なぎさちゃん!? お、お、お、お、お、おにいちゃん!?」
むっちゃスクラッチ決まったみたいな喋り方になっているぞ、汐乃。
オレの部屋に遊びに来る口実に「テスト勉強をしに行く」とか「誰かの誕生日パーティを開く」みたいなイベントはないかと悩んでいた菱川だったが、「そんな理由なんてなくても会いに行ったり来たりしてイイのが親友ってヤツだぞ」と教えてやった。
外面こそ日本中から愛されるスーパーアイドルだが、内面は友達が一人もいなかった小学2年生なんだから仕方ない。一つ一つ“親友とは”ってヤツを教えていこう。
◇
ということで、
「何! 何! 何! 何!? 何あのロリ美少女!? 長く芸能界にいる私でもあそこまでの美少女は見たことないよ! あれが噂の妹ちゃんなの!? あんなコが同じ屋根の下にいたら、そりゃ世の女のコになんて興味湧かないよね……」
「いや、菱川。前も言ったが、オレの“妹しか愛せないシスコン野郎”ってのはキャラ作ってるだけだからな。教室の雰囲気を良くするために言ってるだけだからな。」
「ふぅーん? ホントかなぁ?」
上目遣いでこちらを見つめるのはやめなさい。その仕草をやられるとウソがつけなくなるから。
「つまり、準稀くんは真っ当に女子に興味がある健全な男のコだと……よし!」
そう言いながら、菱川は出しぬけにベッドの下をのぞき込み始めた。
「……何してんだ?」
「友達の部屋に遊びに来たら、まずエロ本を探すのが定番だって聞いたことあるよ。それで、エロ本を隠すのはベッドの下だって。」
「いつの時代の習慣だよ! このインターネット時代の高校生がわざわざエロ本を買わないだろ……」
「ほほー。ということは、このパーソナルコンピュータの中にパーソナルなデータがたんまりと保存されているのですかな?」
ちょっとSTOP。
「菱川。“親友”ができて、一番最初にやりたかったことが下ネタ話なのか…?」
「うん、だって私。唯一の趣味が、ネット上でエロイ体験談を読み漁ることだもん。」
哀しい!オレの親友の趣味が哀しすぎる!
「昔のオマエは部屋で一人読書をしているような大人しい子だったんじゃないのか?」
「うん、その通りだよ。読んでいた本がちょっとえっちなティーンズラブだっただけで。」
「どんな小学2年生だよ!」
友野さんは「暗い子だった」と言っていたが、「ませたムッツリスケベなだけだった」のか。バレないように家の中ででも“いいこ”の演技をしていたのは正解だったのかも知れない。
「私以外マジメに清純派アイドルやっているヘプタのメンバー相手だと、こんな話できないしさー。」
勘弁してください。100%純粋に、無垢にアナタをおねえちゃんと慕っている近藤さんにそんな話をして幻滅させないでください。
「クラスの女子達に話すのも、“菱川なぎさ”のイメージを崩しちゃうだろうし。」
「……」
そっか。コイツは今、生まれて初めて「なんでも包み隠さずに話せる親友」が出来てハシャいでいるのか。ならば、オレも出来る限り応えなくちゃならない。
しゃーない……
「あぁ、入ってるよ。エロ本の代わりに、人には見せられないような画像がそのパソコンにはそこそこ入っているよ。」
「どんなジャンル、どんなジャンル? 二次元? 三次元? 日本人? 外国人? どんなものを集めているの?」
「菱川……オレ達の年齢は今、いくつだ?」
「んー、私も準稀くんも誕生日はまだ当分先だから16歳だよね?」
「そうだ、オレはまだ16歳だ。そして、オレは自他ともに認めるクソマジメ野郎だ。」
「うん。くっっっそマジメだよね。」
アイドルの顔で「くそ」とか言わないで欲しいが、親友なのでグッとこらえる。
「食事もいちいち栄養バランスを気にするし、三食の食後に必ず歯を磨くし、視力が落ちないように読書やゲームも1日ごとの時間に制限をかけている。」
「あんまり楽しそうじゃない人生だよね。」
オ マ エ に だ け は 絶 対 に 言 わ れ た く な い。
「だからな! オレは18歳未満の閲覧が禁止されているエロは絶対に見ない! 世の男どもがそんな決まりは無視していると知った上で、それでもオレは18歳になるまでそういうものを見ないと決めているんだ。」
「じゃあ、何をオカズにオナニーしてるの?」
アイドルの顔で(以下略)
「決まっているだろう! 18歳未満でも合法的に見ることが許されている、水着のグラビア写真や、漫画のパンチラシーンなんかでだ!」
「うわぁ……」
オイ、ドン引きしてんじゃねえよ。「なんでも包み隠さずに話せる親友」じゃないのかオマエ。
「無修正のエロ動画を観て自家発電している人以上に、水着の上からその中身を想像して自家発電している人の方が、より変態度が高いと私は思うよ。」
「想像力が豊かだと言ってくれ。」
「そっか。それはそうと。今日、準稀くんに渡そうと思って持ってきたものがあるの。」
そう言って菱川がカバンから出したのは、菱川自身の写真集だった。表紙の菱川なぎさは流石の美少女っぷりで、それでいて色気があって、美しかった。
「今度出る写真集なんだけどね。水着のページも結構あるんで、好きに使ってください。」
「受け取りづらいっ!」
“親友”になってしまったからには、流石にそういうことはしちゃダメだろう。
「なぁ、菱川。これって妹にあげてもイイか? さっきの様子で分かったかも知れないが、アイツって結構なオマエのファンなんだよ。部屋にポスター貼っているくらいだし。」
「幸せすぎる。あんなロリ美少女がファンでいてくれたなんて、私、アイドルを辞めなくて良かった。」
先週の事件は何だったんだ……
1週間早く汐乃を菱川に会わせておけば、そこで解決だったんじゃなかろうか。
◇
「準稀くん! 妹ちゃんを部屋に呼んでよ! 360度いろんな角度から、あのキレイな顔を眺め回したい! VR妹ちゃんをしたい!」
「呼ぶのは構わんが……汐乃は、下ネタがNGだからな。“菱川渚”のまま話しかけるなよ?」
「下ネタ苦手ってどのレベルなの?」
「男女が手をつないでいるシーンがテレビに映っただけで、顔を真っ赤にしてチャンネル変えるくらい。」
「その表現規制は、厳しすぎやしませんか!?」
汐乃がアレだけ菱川のことが大好きでも、ドラマや映画はほとんど観ていない理由はそこにある。
「でも、中1の女子なんてそんなもんじゃないのか? 性的なものを避ける年頃だろ。」
「私なんて小4の頃にはオナニーしてたよ。」
ぶぼっという音を出して飲みかけのお茶を吹き出しそうになったのを、急いで手で塞いだ。
小4? 小4ってオマエ、菱川なぎさ年表だと「汐乃が観ていた子供向けお料理番組を始めた年齢」だし、「主演したテレビドラマが社会現象になって天才子役として大人気になった年齢」だろ。日本中のおじさん・おばさん・おじいちゃん・おばあちゃんから「なぎさちゃん」と呼ばれて「娘にしたい芸能人1位」「孫にしたい芸能人1位」に選ばれてた時期だろ。
「ちなみに、準稀くんはいつからしてた?」
「ちょっと待て! ちょっと待て! ちょっと待て! 菱川、男同士の親友であってもそこまで腹割って話したりはしないぞ!」
「そうなの? ……そうなんだ、ごめんね。ちょっと私、調子に乗ってたかもしんない。」
あからさまにしょんぼりする菱川。
そうだった、コイツは“友達との距離感”が分からないんだ。何やってんだオレは。彼女が“本来の自分”になれる場所になってやると誓ったんじゃないか。コイツにだけ言わせるワケにはいかないだろ!
「中1だよ。」
「へ?」
「初めて……一人でしたのは中1だよ。オレが言うのはここまでだからなっ! オマエもそれ以上、自分の性事情を暴露しなくてイイからな!」
オレがそう言うと、菱川はしばらくキョトンとした後、ハッとして、そして満面の笑顔を輝かせた。“美少女のキャラクター”なんて演じていなくても、やっぱり菱川は美少女なんだ。
「準稀くんは中1なんだ! 中1って妹ちゃんと同じ年齢だよね! ということは、妹ちゃんもそろそろ始めるころなんじゃないの?」
あーーーーーーーっ、やっぱコイツ、死ぬほどメンドくせーーーーーーーっ!
◇
「あの……写真、一緒に撮ってもらって……イイですか?」
汐乃は元々物静かな性格なのだが、オレや加鹿さんのような近い人以外の人と話すときは、更に人見知りが発動して口数が少なくなってしまう。そんな妹が勇気を振り絞ってこんなことを頼むとは、よほどのことだ。
「もちろん! 私も一緒に撮ってくれたら嬉しいな、汐乃ちゃん。」
汐乃が部屋に入ってきたことで、さっきまでのエロガキは奥底に封じ込めて“菱川なぎさ”モードで妹に接する菱川は、なるほど“お姉ちゃんにしたい芸能人1位”の風格だなこれは。
汐乃のスマホで数枚、菱川のスマホ(新品)で数枚、どさくさに紛れてオレのスマホで数枚、二人が一緒に並んでこっちを向いているところを撮影してやる。
「あー、汐乃ちゃん本当にかわいいなぁ。妹にしたいなぁ。欲しいなぁ。」
「“妹にしたい芸能人1位”から妹にしたいと言われるウチの妹、流石宇宙一かわいい妹なだけあるな。絶対にあげないけどなっ!」
「あ、でも。考え方を変えれば、準稀くんと結婚すれば汐乃ちゃんが“血のつながらない妹”になるのか。そう考えると、準稀くんって案外イイ物件なのかも知れないね。」
その、フレーズは。
その後の失礼な発言が頭に入ってこないくらい、オレの思考を停止させてしまった。
「二人は、」
「二人は、付き合っているんですか?」
「恋人として付き合っているんですか?」
汐乃の、連続した質問に場が凍りつく。
「いや、ちがうよ。準稀くんは“親友”だよ。」
「親友……?」
「日本で唯一、私が“嫌われても構わない”って思えるただ一人の親友。だから、恋愛感情なんてないよ。」
「信じてイイんですね?」
物静かな妹が、有無を言わせぬ威圧感で菱川に迫る。
「うん、少なくとも今のところは。ゴメンね、大好きなお兄ちゃんをとられるって思っちゃった?」
「はい。」
食い気味に肯定された彼女の言葉が、汐乃の感情をすべて説明していた。
菱川の方はそんな汐乃を見て、いろんなことを察したようで、そのまま「あーー! 汐乃ちゃん、かわいい!」と勢いで汐乃を抱きしめてしまった。
オレの知る限り、加鹿さんですら汐乃を抱きしめたことはなかったはず。明日、汐乃が学校で「昨日なぎさちゃんに抱きしめられちゃった」なんて報告して要らぬ爆弾を点火しなければイイのだが。
それにしても、とてもグッとくる構図だ……
片や、“本来の自分”を奥底に封じ込めて7年間もカメラの前に立ち続けた孤独な美少女。
片や、そんな彼女を7年間ずっと応援し続けてきた美少女。
「おにいちゃん……」
そんな二人が抱き合っているのだ。近藤さんとのときは自重していたが、流石にこれはと思って動画撮影していたのが妹に見つかった。
「あとで、私にも送って……」
ハイ。この映像は、秋由家の家宝にしよう。
◇
ストーカーによる拉致未遂事件は、犯人三人の逮捕によって幕を閉じた。
菱川はアイドルを続けることを前向きに決めて、オレ達は“クラスでも公認の親友”になった。
往来での親友宣言は、クラスの女子達からすると「告白するのかと思ったら何だったのアレは」「そりゃカノジョいないのも納得だわ」と大不評だったが、詳しい事情を知らない人からすればそんなもんだろう。
その日の野球部の練習をサボった足立と小熊だが、オレが一緒に謝りに行って事情を説明したら監督も不問にしてくれた。
監督からは「投げられるなら戻ってこいよ」と言われたが、アレはきっと“親友”の人生がかかった場面だから出来たことで、そう何度も出来るものじゃない。
マンションの住所が日本中に知られてしまった菱川は、近々引っ越すことに決めて、それまでは同じグループの誰かのところに泊めてもらっているらしい。それが誰かは知らないが、今はとりあえずそのマンションの入口まで送り届けている最中だ。
「引っ越し先は、秋由くん家のそばにしようかな。そしたら、
「それは、汐乃も喜ぶと思うよ。」
そんな他愛もない話をしながら歩くオレ達二人だが、通りすがりの人々は誰も菱川のことに気がつかない。日本中に顔を知られているはずなのに、誰にも気づかれない“菱川渚”―――だから、オレだけは
◇
菱川を送り届けて家に帰ると、玄関まで迎えにやってきた汐乃から「クラスメイトならどうして教えてくれなかったの」と頬を膨らまされた。怒り方までかわいいな、ウチの妹は。
部屋に入ると、オレが動かしているワケでもないのにテレビが起動して、ゲーム画面が映り始めた。オレが帰ってくるのを待っていたのか。
「ありがとな。」
「別にー、準稀のためにやったワケじゃないから礼なんて要らないよ。」
夕食の時間が近いからと部屋を出ようとしたオレに、
「準稀さー。」
「ん?」
「“野球をやめた自分は空っぽだった”とか言ってたじゃん。」
あ? あの話をした時、オマエ寝てたんじゃなかったのか?
「でも、他人のためにアレだけ走り回れるヤツが空っぽなワケないと思うよ。それは、なぎさちゃんもだけどさ。」
やっぱりそうか。そうだったのか。素直じゃないヤツめ。
「それは、お互い様だ。」
ヘプタスロンの5人で言えば、一条
菱川 渚編 了.
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