7.「2時間半かけて」
5月15日 金ようび
「野球やってて左利きだと、とりあえず1回はピッチャーやらされるんだよ。」
「聞いてないんだけど。」
郊外に向かう電車は通勤や通学とは逆方向なこともあってどんどん人が少なくなって、とうとうこの車両にはオレと
「球だけは速かったから、高校に入ってからもすぐに試合で投げさせてもらえたんだ。」
「2日連続で生い立ちを聞かされるこっちの身にもなってよ。」
カバンから練習球を取り出す。
久々に左手で握ると、指に縫い目がかかって懐かしい気持ちになる。
「高校野球は8月に全国大会があるから、それを目指して毎日練習するんだ。甲子園って聞いたことあるだろ?」
「甲子園といえば、私はスプラトゥーン甲子園しか知らない。」
「7月はその全国大会の都道府県予選で、強豪校も弱小校も同じトーナメントに入って勝ち上がった1校だけが甲子園に出られるんだ。」
「……」
「ウチは毎年そんな勝ち上がれるような学校じゃないんだけど、去年の予選はポンポンと1回戦・2回戦に勝てた。んで、3回戦の相手がプロ注目のピッチャーがいるすごいとこでさ、テレビ中継なんかもされてて、全国ニュースでも扱われるような試合だったんだけど。相手チームは左バッターが多いからって、1年生のオレが先発で投げたんだ。」
「あー、ボコスカに打たれてイヤになっちゃったって話?」
「逆だよ。」
「は?」
「ウチが勝ったんだ。ジャイアントキリングだよ。」
「何? 昔のオレはすごかった自慢なの、これ。」
「オレがぶつけたんだ。」
「ハイ?」
「相手のエースにデッドボールをぶつけたんだ。んで、プロ注目のスーパーエースは右手を骨折して負傷退場。」
「……」
「それでウチが勝ったんだよ。」
車窓からの景色を見ると、ビルがどんどん低くなり、住宅地がどんどん広がっていくようだった。
◇
オレ達の住む街から電車で片道2時間半。
指定された駅前の喫茶店に入り、待ち合わせだと店員に告げると奥の席に通された。
「初めまして。友野です。」
「初めまして。菱川のクラスメイトの、秋由です。」
オレ達が会いに来たのは、小学2年生から菱川を育てたという友野さんだった。
オレが菱川と一緒に朝飯を食べている間、
「あの……
手紙に書かれていた電話番号に連絡をしたら、住所を
「幸いなことに直接の被害はスマホが壊れたくらいでした。今日は、平気な顔して学校に行ったみたいですよ。」
「あれ……秋由さんは渚のクラスメイトなんですよね? 学校はどうされたんですか?」
「サボリました。」
「良いんですか?」
「良くないです。学校をサボったのは人生で初めてです。親に学費を出してもらっているのに、申し訳ないと思っています。」
着替えるために自宅に戻った際、浮いた話だと勘違いした母親からは小一時間ほど根掘り葉掘り聞かれたが、その後「学校なんて自分が大切なものを見つけに行く場所だから、学校以上に大切なものが見つかったなら別に行かなくてもイイんだ」とは言われた。
学校以上に大切なもの――――
「それでも、オレは放っておけなかったんです。人生で初めて学校をサボってでも、オレはアイツの事情を知らなくちゃいけないんです。」
◇
オレがデッドボールをぶつけた相手エースは3年生で、甲子園を目指す最後のチャンスだった。その年のドラフトは甲子園を沸かせたスーパースター達が
もちろんぶつけてしまったのはわざとではなかったが、オレの投げたボールが、人の運命を変えるのだと、人の人生を変えるのだと思い知って、怖くなって―――
それ以降、まったくストライクが入らなくなった。
あの試合は、オレに替わって投げた3年生のピッチャーが好投したこともあって競り勝つことが出来た。しかし、
4回戦敗退で、去年の予選は終わった。
3年生が引退して、新チームとして再スタートを切り、新人戦があって、秋の大会があったが、オレはピッチャーとして使い物にならなかった。
バッテリーを組んでいた小熊からは「ここでやめたら後悔する」「ピッチャー以外にも
「野球をやめても、楽しいことが山ほどあるって思ったら楽になったんだ。」
「……」
オレ達以外誰も乗っていない電車の中で語られる言葉を、
「んで、冬に野球部をやめた。時間がたくさん出来たからバイトを始めて、流行っているゲームソフトなんか買っちゃってさ、実際これが楽しいんだよ。」
「……」
左手に握るボールを眺める。
「悔しいけどさ、野球以外に楽しいこと、ホントにたくさんありやがるの。」
「……」
「でも、野球ほど苦しいことには出会わなかった。」
「野球ほどつらいことには出会わなかった。」
「野球をやめて、ようやくオレは野球が死ぬほどキライで死ぬほど大好きだったんだって分かったんだ。」
「野球をやめて、野球をやめた自分が空っぽなことが分かったんだ。」
そこまで話したところで、目的の駅に着いた。
そして、おもむろに口を開く
「あっ、やべ……寝てたわ。話、終わった? さっさと行こうぜ。」
「オレが話している間ずっと寝てたのかよ!」
透明人間は授業中に寝ててもバレなさそうでズルイと思った。
◇
「私達夫婦は二人とも、あの子の母親の後輩だったんです。」
友野さんは、ウチの母親より少し若いくらいだろうか。
大人の女性の年齢はイマイチ分からないな。
「渚もものすごくかわいい子ですけど、彼女の母親もとても美人で優しくて私達二人にとっては憧れの存在でした。口に出したことはないですが、夫は学生時代彼女のことが好きだったんじゃないかと思います。」
「はぁ。」
「彼女が旦那さんに選んだ男性は、美男美女というワケではありませんでしたがとても家庭的な人で、流石先輩は見る目があるなって思ったものです。」
「あの……ご両親が健在だったころは、菱川ってどんな子供だったんですか?」
友野さんは少し考えてから、言葉を選ぶようにゆっくりと語る。
「大人しい……いや、ハッキリ言って……暗い子供でしたね。私達が家に遊びに行っても、部屋から出てこないで、一人で本を読んでいるような子供でした。」
「……」
「友達もほとんどいなかったそうですし、上手く人とコミュニケーションが取れなかった……みたいですね。」
今の菱川からは想像がつかない話だ。
「あのコが2年生の頃、両親が亡くなったという話は
「……菱川は、友野さんにはとても大事にしてもらったって言っていましたよ。」
「そうですか。私の印象は逆です。
「……」
「しかし、本当にこの子はあの渚なのだろうかと時々心配になりました。一人で大人しく本を読んでいたような子が、ウチに来た途端になんにでも積極的になり、友達もたくさん出来て、学校の成績もとても良くなったのです。」
“いいこの私”が菱川にとって代わった頃の話だ。
「彼女が芸能界のオーディションを受けたいと言い出したときには、やりたいことが見つかったのかなと喜びましたし、事務所の社長さんも親身になってこちらの話を聞いてくれる人だったのでお任せできると思ったのですが……」
「ですが?」
「渚の芸名って、“菱川なぎさ”ですよね。ひらがなで“なぎさ”。本名は、さんずいに医者の者で漢字の“渚”なんですよ。」
そうだったのか、知らなかった。
「テレビに映るあの子を見ると、活躍が嬉しい反面、少しだけ……怖くなるんです。私達の知っている“渚”の体を借りて、“菱川なぎさ”が動かしているかのように見えてしまうのです。」
「友野さん、まだ高校生のオレが生意気に言うことじゃないと思いますが……子供なんて、なにかのきっかけで別人のように変わっちゃうもんですよ。」
「ハイ……そうですね。ましてやあの子の場合、両親を亡くしているのですからね。」
オレはウソをついた。
菱川はきっと変わっていない。別人にすらなれていない。
あの夜、ワンワン泣き散らしていた彼女。
今日の朝、「わたしのこともわかってくれるとおもったんだ」と言った彼女。
テレビの中で見かける菱川なぎさでも、教室でクスクス笑う菱川なぎさでも、その辺にいる女子高生に擬態する菱川なぎさでも、オレ好みの女のコに成り代わった菱川なぎさでもなかった。16~17歳の女子高生にはとても見えなかった。
アレは、きっと、
小学2年生のころから、彼女の中に封じ込められてしまった“菱川渚”なんだ。
◇
「んで、どうすんの?」
2時間半かかる帰りの電車の中で
「菱川には、オレの役目は終わったって言われたな。」
「アレはもう関わるなってことだよね。」
「実際、オレに出来ることなんてないのかも知れない。」
二人の間に沈黙が流れる。
「私がどうして手を貸したのかって、訊いたじゃん?」
「……あぁ。」
そんなこともあったな。色々なことがあって忘れていた。家に残ったと思っていた
「あの人の“能力”って、すげーざっくり言うと“他人の目を気にして、その人が望む姿を察して、演じきることが出来る”ってんでイイんだよね?」
「まぁ、そんなカンジだろうな。」
みんなが望むアイドルを演じて、みんなが望むクラスメイトを演じて、みんなが望む通行人にすらなれてしまう彼女―――
「でも、私には“その能力”は通用しない。」
「あ……」
透明人間の“目”は見えない。
いくら菱川であっても、透明人間の望む姿は分からない。
「ラングリッサーの三すくみみたいなもんでさ。属性間の相性が悪けりゃ、国民的エースでも碌にダメージが与えられないもんなんだよ。」
「ラングリ……?」
「
「ファイヤー……?」
「じゃんけんでもイイよ。」
「最初からそう言ってください。」
菱川の“呪い”も、
「だからね、見ててすげー気持ち悪かったよ。」
「……」
「あの人が“準稀の望むクラスメイト”を演じていて、準稀は準稀で鼻の下をのばして、それに気が付かない―――それをすぐ横で見ていたこっちの身にもなれって。」
「すみませんでした。」
「でも、そうやって“他人の望む姿”だけを演じているあの人が、似ていると思えたんだ。他 人 の 目 を 気 に し て 透 明 に な っ て し ま っ た 私 と。」
誰にも顔を見せることができない一条
日本中に顔を知らない人はいないのに、誰も本来の彼女の顔を知らない菱川渚―――
電車がオレ達の街に近づくごとに少しずつ乗客も増えてきたので、オレ達は黙って到着を待つ。
オレに何が出来るかなんて分からない。
彼女の言う通り、オレの役目はもう終わっているのかも知れない。
最初に「菱川の住むマンションの写真と住所」をインターネット上に流したヤツ―――日本中から愛される“菱川なぎさ”を「キライになれる人間」、悪意をぶつけることが出来たただ一人の人物。それが“菱川渚”だったというのなら、、、
電車が着き、ホームに降りる。
すぐ横にいるであろう相棒に、2時間半かけてたどりついた決意を述べる。
「
突き出した左手のこぶしに、透明な
「その代わり、明日からもベッド使わせてもらうかんね。」
◇
時間を見ると、ちょうど授業が終わったころだった。
今から急いで学校に行けば菱川にまだ会えるだろうか……そう思ったタイミングで、意外な人から電話がかかってきた。
「秋由さん、今そこに菱川さんはいますか?」
「あ……刑事さんですか。菱川に用があるなら、菱川に直接……そうか、スマホ壊したって言ってましたね。すみません、いません、今日オレ学校サボったんで。」
「そうですか。幾らアナタが無能極まりないとは言っても、ただ学校に行って時間まで座っていることすら出来ないほど役に立たないとは思っていませんでした。これは完全に私の落ち度ですね、申し訳ありません。」
「
そのまま電話を切ろうとしていたので、とりあえず何の用で菱川に連絡を取りたかったのを訊いてみる。
「これはひとりごとですが……」
「ハイ。」
「私は焦ると携帯電話を構えてひとりごとをつぶやくクセがあるのですが、その時にたまたま画面に触ってしまって誰かと通話がつながってしまう可能性もゼロではないと思うので……」
「そういうの、イイですから!」
「菱川さんが狙われています。」
「捕まえた一人の供述によると、今日も彼女が一人になったタイミングを狙って拉致を狙うだろうとのことです。」
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