虚実、天気雨。

鈴龍かぶと

虚実、天気雨。

十歳の誕生日。心躍っていた。小走りで帰った。なんならスキップしていたかもしれない。勢いよく家の扉を開けて、不自然な家の静けさにサプライズの雰囲気なんて感じつつ、リビングへつながる扉を開いた。

 するとそこは、一面血の海だった。誕生日の装飾にしてはあまりにも相応しくない。

 今朝、学校へ行く前までは穏やかな空間だったリビングには、父と、母と、妹の身体が投げ出されていた。それが何を意味するのか分からないほど子供でもないが、目の前の家族の状態に、気が動転しないほど大人でもない。

 もし、俺がすぐに救急車を呼んでいたら。なんて、考えても仕方のないことだが、考えずにはいられなかった。


 犯人はすぐに捕まった。吉田正行。父の会社の同僚らしい。社内で父にしつこくいじめられていたという。強い恨みと殺意を持ち、父を何度も刺し、母と、妹も同じように何度も刺した。父の会社の同僚は、いじめを否定。精神鑑定では、被害妄想が強いという結果が出た。判決は無期懲役。


 俺は、訳も分からず、ただ哀しみだけ見つめたまま、大人たちが回す時間の上で滑り続けていた。そして、都会から離れ、田舎の祖父母の家に預けられることになった。

 それから、十年。

 俺は、普通の大学生として今を生きていた。


 今でも、たまに夢に見る。

「また、いつもの夢?」

 俺が布団を跳ねのけて飛び起きたせいで、光莉も上半身が露わになっていた。

「あぁ、うん。ごめん」

 カーテン越しに朝の気配を感じながら、俺はまた、夜の温もりを被った。

「ううん。大丈夫?」

 光莉の腕に抱かれ、俺は目を閉じた。

「寝なおすよ」

 頭を撫でられる心地よさに身を任せ、触れ合う肌に充足感を覚える。汗と、ボディーソープの匂いがした。


 起きたころには光莉はおらず、かわりにメッセージが来ていた。昨夜脱ぎ散らかしたはずの服も洗濯され、干されていた。俺は適当に服を着て、メッセージに沿って、みそ汁を温めた。ご飯も炊かれており、あとは盛って食べるだけだった。

 なんとなくTVをつけると、昼のバラエティ番組はもうエンディングだった。TVから流れ出る情報を留めることなく、流したままにしていた。

 すると、どこかで誰かが殺されたニュースが耳を突いた。茶碗の中の最後のひと塊を口に運んで、顔をあげる。毎日、誰かが誰かに殺されたニュースだけが俺の目に留まり、耳に残る。そしてその度に、十年前のことを思い出す。

 田舎の祖父母のところに預けられ、高校までそこにいた。しかし、いつまでも迷惑はかけられない、と、奨学金とバイト代で東京の大学に進学した。

 しかし、俺が東京に出てきたのには、また別の目的があった。それは、十年前のあの日、俺から家族を奪った吉田正行の家族を殺すこと。その為だけに十年間生き、今ここにいる。

 事件の捜査をしていた刑事と話をして、吉田にも家族がいるということがわかってきた。その時から、俺はずっと決めていたのだ。探し出すのに何年かかろうと、必ず見つけ出して殺す。

 空になった食器に手を合わせて、洗った。茶碗の中で乾燥した、食べ残しのご飯がなかなか取れなかった。

 洗い終わった食器を、乾燥棚に置いて、俺はまた寝ることにした。

 ぼうっと天井を見ながら、ベッドに微かに残る昨夜の光莉の温度と匂いを感じる。

 黒木光莉は、一つ上の先輩だった。俺と同じように図書館に入り浸っていた。俺はさして読書家なわけではないが、彼女は非常に読書家だった。やがて、本を読むでも、勉強するでもないのに、毎日図書館にいる俺に興味を持った彼女が声をかけてきた。十年前から今まで、中学、高校でも彼女がいなかったわけではない。しかし、最後まで心を開けずにいる俺に、不信感を募らせた相手から振られる、というのを繰り返していた。

 そんな俺を、光莉はどんどん引っ張っていってくれた。いつしか俺達は付き合うようになっていた。


 いい匂いで目が覚めた。瞼を開くと同時に、耳に料理の音が入ってくる。身体を起こすと、キッチンに光莉がいた。布団が擦れる音で気が付いたのか、目を手元に向けたまま、「おはよう」と声をかけた。俺は、「うん」と返事をする。

 見慣れた光景だった。一人ではまともに料理もしない俺を見かねて、光莉はウチに来て料理してくれるようになった。どこか懐かしいような、優しい味だった。そして最近では、一緒に住むようになっていた。

 包丁のリズムに合わせて動く背中が、とても愛おしくて、俺はそれを眺めているのが好きだった。ベッドから降りて、ぐしゃぐしゃの頭をさらにかき混ぜながら、光莉に近づいた。

気配に気が付いた光莉に、「包丁持ってるときは危ないからダメだよ」と先に釘を刺される。

 俺は仕方なく、後ろから光莉の頬を撫でるにとどまった。頭一つ下の彼女の髪の匂いを嗅ぎながら、頭越しに彼女の手元を見ていた。梅肉が刻まれている。血に染まったようなその手を見て、何となく今日の晩御飯を想像する。

「葱と油揚げの味噌汁、ご飯、オクラの梅肉和え、豚肉生姜焼きとみた」

 光莉が手を止めて、後ろを振り返りながら見上げる。視線が合った。黒い瞳孔の奥に映る自分と目が合う。光莉は一言「正解」というと顔を戻して、また包丁とまな板でリズムを刻み始めた。そのまま「そうやって見てるの楽しいの?」と物珍し気に尋ねてきた。

「まぁ。子供の時から好きだったんだよ」

「料理してるところを見るのが?」

「うん。だから俺自炊できないんだよね」

「それ関係あるぅ?」

 光莉は笑いながら手を動かす。彼女が家で料理してくれるまで俺は全く自炊しなかった。基本的に毎日カップ麺かコンビニ飯。料理ができるかできないで言えば、祖父母に作っていたからできる方ではあるのだが。

「貴也、普通に料理すれば私よりも上手いじゃん」

「俺は光莉のご飯の方が好き」

 後ろから光莉を抱きしめて、首筋にキスをする。

「ちょっと、危ないってば」

 耳元で愛を囁いて、光莉から離れる。俺はテレビを見て待つことにした。

 光莉がこちらを見ながら、ため息をついた。俺は下手な口笛を吹いて、テレビを眺める。


 十年前の出来事は、結局まだ光莉には言えていない。光莉は、俺の過去に何かがあるのをわかった上で、無理に言わなくていい、と言ってくれた。それだけで俺はずっと救われたような気持ちになった。今まで、言えないことで自分も相手も苦しい思いをしていた。今、光莉がどう思っているのかはわからないけれど、もう少しだけ、その言葉に甘えていよう、と思った。


 いつも、ベッドに入るのは光莉が先だった。俺は部屋の電気を消すと、布団に潜り込むのと同時に、光莉を抱きしめる。

「明日私早いから今日はダメだよ」

 抱きしめた腕が腰に動いていくのを、光莉に止められる。

「一回だけ」

「いつもそう言ってる」

 シーツが擦れる音がして、光莉の唇が俺の唇と重なる。いつもよりも長く、そのままでいた。またシーツが擦れる音がして、光莉は俺の頭を撫でた。

「その代わり、明後日は私何もないから。ね」

 明日の夜を待ち遠しく思いながら、光莉の匂いに包まれて眠りについた。


 考えたことがある。もし、俺が吉田の家族を殺し、捕まることになったら。祖父母はどう思うだろうか。光莉はどう思うだろうか。

 言うべきだろうか。殺したい人がいる、と。光莉ならわかってくれるかもしれない。でも、巻き込んでもいいのだろうか。紛れもなくこれは、俺自身の問題であり、光莉にはなんら関係のないことだ。

 悲しむだろうか。軽蔑されるだろうか。同情されるだろうか。なんと言われるだろうか。

 あの夢を見る度に蘇る殺意と、同時に襲い来る感情。今を後悔する気分にもなる。毎日感じる幸せに、後ろめたさも感じる。

 もし、吉田とその家族に向き合ったときに沸き起こる感情が殺意ではなかったら。

 もし、引き金を引くことを、刃を突き立てることを、躊躇ったら。

 何度も、考える。


 人々の海を越える航海の果て、俺は大学から遠い町の、カフェのテラス席にいた。日光浴をする青葉を眺めて、時々戦ぐ風に襟が踊った。行き交う人々の波は穏やかで、実に気持ちのいい昼下がりだった。

 俺の心は、全く以て穏やかではなかった。騒ぎ立てているわけではないが、しかし身体を巡る血流を実感するくらいには、穏やかではなかった。あの人と会う時は、いつもそうだ。

「やぁ」

 カフェの店員に案内されて、一人の女性がやってきた。彼女は、店員にブラックコーヒーを一つ注文すると、俺の席の正面に座った。

「君とこうして密会を重ねるのも何度目だろうね」

「やめてください、中島さん」

 愉快そうに笑う彼女は、腰のポーチから分厚く、ボロボロになったメモ帳を取り出した。

「相変わらずつれないね、青柳君」

 中島洋子は、本名不明、年齢不詳、詳しい経歴不明の情報屋だった。怪しさ満点だが、なんやかんや付き合いは長かったりする。十年前の事件を取材に来る記者に紹介され、都会に出向くことができなかった俺の代わりに色々と調べてもらっていた。

「わざわざ呼び出したってことは、なんか進展があったんでしょう?」

 中島さんのコーヒーと、伝票を持ってきた店員さんにお礼を言って、中島さんはいたずらっ子のように笑った。

「まぁね。いい知らせと悪い知らせがあるけれど。どっちがいい?」

「悪い方から聞きましょうか」

 中島さんは、少し笑うと、メモ帳のページをパラパラとめくった。

「吉田正行が死んだ。獄中で、病死したらしい」

 どんな内容でも、表情を変えないようにするつもりだった。が、自分でもわかるくらいには目を見開いて驚いてしまった。中島さんは、俺のその表情が予想通りだったのか、話を続ける。

「まぁ、これであの事件は終わり……、ってことだな」

 中島さんを思いきり睨む。彼女は小馬鹿にするように笑い、「世間的には、ってことさ」と、付け加えた。

「……いい方は何なんですか?」

 中島さんは、待ってました、と言わんばかりに口元をにやけさせた。すると、メモ帳に挟んであった一枚の写真を俺に渡した。

「…………光莉……?」

 その写真に写っていたのは、間違いなく、光莉だった。場所も見覚えがある。そこは、俺の部屋から光莉が出てきたところを映した写真だった。

「そう。黒木光莉。知らないわけないわよね?あなたの恋人だもの」

 俺は、写真から目を離せず、視界の端で中島さんを捉えた。視界の端にある彼女の口元は、笑っていた。俺は、必死で感情を押し殺し、声が上ずるのを隠そうとする。

「どういうことですか?光莉と十年前の事件になんの関係が……」

「またまた、わかってるくせに」

 そういうと、さらに一枚、写真を取り出した。

「これは……?」

「つい最近まで、黒木光莉が刑務所に行っている写真。その目的は、何となく想像できるでしょ?」

 中島さんは、紙を取り出す。

「なんですか?これ?戸籍謄本……?」

「そ。戸籍謄本。まぁ、入手経路に関しては秘密だとして。これは十年前の戸籍謄本。吉田のね」

 そこには、吉田正行の名前、そして、吉田光莉の文字があった。生年月日が完全に一致していた。

「同姓同名の別人じゃないんですか?」

「まぁ。そう思うよね。……いや、そう思いたいよね」

 中島さんは、腰のポーチから、ボイスレコーダーを取り出した。

『なんですか、あなた』

 それは、間違いなく光莉の声だった。

『単刀直入にお伺いします。吉田正行、彼はあなたのお父様ですよね?』

『…………』

 沈黙が答えになってしまっていた。俺は、砕けんばかりに歯ぎしりする。

『もう一度、お伺いします。あなたは、十年前、一家殺害事件を引き起こした凶悪犯、吉田正行の実の娘ですよね?』

 中島さんの声に応える様に、息を吐く音が聞こえた。彼女が今どんな表情でいるのか、まったくわからない。俺は、光莉の答えが怖かった。

『あなたは、その事件を追う記者さんか何かなんですか?』

『記者……、まぁ、そんなところですかね』

 光莉の口から、否定の返答が出てくることは、終ぞなかった。

「まぁ、こんな具合に。黒木は、母方の性だね。十年前の事件後、黒木光莉の母親は吉田と離婚。その後、母親の地元である場所に引っ越し、今に至る、ってわけ」

 俺は、何も言えなかった。否定することも、もちろん肯定することも。ただうつむいて、震える手を眺めているしかなかった。

 中島さんは、写真とボイスレコーダーをしまうと、席を立った。

「まぁ、今日はこんなところかな。また用があったら連絡してくれよ。君からの連絡ならいつでも大歓迎だからさ」

 そういうと、伝票を持って、俺の背後に回った。そして、首に手を回し、耳元で「今回の情報料はつけとくよ」と囁くと、そのまま帰って行った。


「あ、おかえり。遅かったね。ご飯できてるよ?」

 家に帰ると、いつものように光莉がいた。いつまであのカフェにいたのか、自分でもよくわかっていなかった。気が付いたら家についていた。今が何時なのかもわからない。

「……貴也?」

 顔があげられなかった。光莉の顔を見られなかった。玄関で扉を開いたまま、家の中へ一歩踏み出せなかった。ただいま、が口から出てこなかった。呼吸が上手くできている気がしなかった。声が出なかった。

「どうしたの?大丈夫?」

 光莉が駆け寄ってくる足音がする。うつむいたままの俺の視界の端に、光莉の足が見えた。綺麗なネイルが見えた。俺の肩に光莉の手が触れた。

 瞬間、腹の底から頭のてっぺんまで、急に凍り付いたような感覚に襲われた。霜に覆われていく感覚が、急に広がる。氷水の中に浸かったような感覚。

「貴也……?」

 俺は、その手を振りほどくことも出来なかった。ただ、どうすればいいのか分からず、どうしたいのか分からず、困惑と、恐怖でその場に固まるだけだった。

 今、俺が光莉を見たら、どんな感情が湧くのか。わからない。純粋な殺意かもしれない。もしかしたら、彼女は別だ、と許せるかもしれない。

 何もできずに立ち尽くすだけだった。光莉は、何かを察したのか、俺の肩を持って、家の中に引き入れた。そして、玄関に座らせ、ベッドから持ってきた毛布を俺にかけてくれた。そして、俺に背中を預ける様にして、光莉も座った。

 それから、光莉は何も言わず、何も聞かず、ずっと、じっと、そうしていた。部屋の電気が光る音と、時計の時間を刻む音だけが聞こえる。それは、自分が今まで生きてきた中で、最も静かで、遅くて、心地のいい時間だった。

 背中の安心感と、光莉の温度が、今の俺にはすごく心強く感じた。

「………………光莉」

 今日、いつから声を発していなかったのだろうか。ひどくかすれた、しわがれた声が、震える様に喉から転がり出た。

「……どうしたの?」

 光莉の声は、いつもと変わらず、柔らかくて、優しくて、温かった。

「……少し……、……昔話をしても、……いいかな」

「うん」

 俺は、顎が震えるのを、思いきり歯噛みして押さえつける。

「たまに見てた夢。あれは、俺の十年前の記憶なんだ」

「……うん」

「十年前、俺の家族……、両親と妹は、殺されたんだ」

「うん」

「犯人は……」

 また、声が詰まる。喉が苦しくなる。息を吐くことしか、出来なくなる。

「吉田、正行……。私の、実の父親」

 光莉の声で、俺の声が、堰を切ったように、雫になって、目から溢れ出した。

「やっぱり、そうだったんだね」

 光莉の声は穏やかだった。俺は、ひたすら嗚咽を漏らすことしかできずにいた。

「私もね、調べてたんだ。色々なところに行って、被害者遺族について。青柳一家殺害事件……。苗字だけでも、薄々気づいてたけどね」

 背中の感触が軽くなり、光莉が立ち上がったのが分かった。

「今まで、黙ってて、ごめんね。……騙してて、ごめんね」

 その声は、震えていて、濡れていた。

「……俺は、ずっと、吉田の、家族を殺すために生きてきた」

 ひときわ大きく、時を刻む音が、響いた。

「同じ苦しみを、吉田にも味わわせてやろうって」

 俺は、後ろを振り向いた。光莉が、うずくまって、肩を震わせていた。光莉に近づいて、その肩を掴む。そして、彼女の身体を、無理やり俺と向き合わせた。

 ああ、そうか。と、腑に落ちた感覚があった。

 泣きべそをかいて、鼻水まで出して。ぐちゃぐちゃになった光莉の顔。俺は、その顔を見ても、目をしっかりと見据えても。

 我慢できずに、俺は吹き出してしまった。

「貴也?どうしたの?壊れた?」

 俺は、笑いながら、ティッシュを取って戻ってきた。

「ものすごい顔だぞ」

 光莉は、訳が分からない、という表情だった。俺にされるがままに鼻をかむ。

「俺さ、良かったと思うよ。光莉の正体、知る前に知り合えたこと」

「え?」

「もし、順序が逆だったら、俺は君を殺していた。でも、もし、そこで君を殺していたら。俺は、……うまく言えないけど、たぶん、人間じゃなくなってた」

 光莉と一緒にいる、怠惰で、退屈で、多少、退廃的な、普通の日常。そういうものが、とても愛おしく思える。そういう、普通の心を、俺は失ってしまう気がする。

「だから、ありがとう。光莉」

「え……?」

「俺と一緒にいてくれて。ありがとう」

 抱きしめた光莉の感触を、感覚を、温もりを、匂いを、俺は、この一瞬を愛おしく思うのである。吉田を許すとか、十年前の事件を忘れたとか、悲しみを振り切ったとか、そういうことではない。しかし、今、俺が生きている今この瞬間が愛おしくて、守りたい一瞬であるということは、この瞬間の心が、何よりも感じていた。

「で、でも、私は、気づいてたのに。黙ってたし、騙してたし」

「俺を陥れようとしてたわけじゃないだろ?だから、別に刑務所にこっそり面会に行ってたとか、黙ってたことも、いいんだ。逆の立場だったら、俺もそうしてた」

「え?面会?」

「面会、行ってたんだろ?刑務所に行く写真も見たし…」

「ううん。十年前の事件より前から、私とお母さんは、お父さんとは別居してたし。元々離婚協議中だったから……」


『え?そうなの?だって俺……』

 女性は、中島洋子は、爪を噛んで、イヤホンを外した。

 そんなことあるだろうか。いくら彼女といえど、自分の家族を殺した相手の娘を、許せるものだろうか。完全に計画が狂ってしまった。

 吉田の家族が判明し、殺害する気がないとなると、青柳君が私にコンタクトを取ってくることはもうないだろう。それだけは避けなければならない。

「あの女を殺すしかないか」

 幸い、裏の世界にもそれなりに協力者はいる。いくら凶悪犯の娘とはいえ、ただの女子大生一人殺すのは造作もない。事件性なく消すことも問題ないだろう。

 いや、だとすればむしろ好機ではないか。

 彼女との絆がより強くなったこのタイミングで彼女が死ねば、心も、身体もボロボロになる。そうなれば、青柳君も、私を求めてくれるのではないか。

 醜悪な笑みが、街の夜に溶けて消えた。

 夜の匂いは、アスファルトと、タイヤゴムと、少しの血の匂いだった。

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虚実、天気雨。 鈴龍かぶと @suzukiryu

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