想いはふくらむ

結局、4日はあっという間で、いよいよコンクールの日がやってきた。このコンクール、個人的にはラストチャンスだと思っている。だから、私の人生を左右する瞬間だ。


そういえば大樹ひろきが昔、緊張しないおまじないを教えてくれた。懐かしい。たしか、小学生のとき、初めて一緒に出場したコンクールの日だった。




「いいか、沙紀さき。緊張しないためには、客席にいる人をだと思えばいいんだよ。」


今思えば、かぼちゃの間違いな気がする。まあ、本質はそこじゃないけど。結局あんなことを言っていた大樹はがちがちに緊張して、散々な結果だった。あれが結構なトラウマだったらしく、大樹はピアノをやめた。


そうそう、あの時ふてくされた大樹は会場を抜け出して、バスに乗っての大冒険に出かけてしまった。一部始終を見ていた私は、なんだか大樹が遠くに行ってしまうような気がして、追いかけて行ってしまった。だから「棄権きけん」、これが私のコンクールデビューの結果となった。


「あの時さんざん喧嘩けんかしたっけ。さんざん怒られたし。」


なんだか大樹のことを考えていると、心が落ち着く。


大舞台を前にして、こんなことを考えるのはよくないのかもしれないけど、先に大樹に気持ちを伝える決心がついた。


そしてやっと気持ちの整理がついたころ、私の順番がやってきた。大丈夫、お客さんは




―――




「以上で、表彰式を終わります。」


コンクールは予定を20分ほどオーバーして終了した。私は楽屋でドレスから制服に着替えると、先生や関係者の方に挨拶まわりをして、会場をあとにした。


「お母さん。私、大樹と付き合ってもいい?」


学校に向かう車のなかで、お母さんにそう話しかける。別に許可をとるとかそうゆうんじゃなくて、純粋に伝えておきたいと思ったから。まあ、告白もまだなんだけど。


ちなみにお母さんからは、驚きとともに、付き合ってなかったの、という想定外の返答があった。学校に着くと、お母さんが何も言わずちょっとお高いリップを貸してくれた。


お母さん…娘になにをさせようと…。




「沙紀だ、おっつー。先生から聞いたよ、おめでとー!」


教室に入ると、友里ゆりがいて、声をかけてくれた。他の友達もそろって祝ってくれた。


「ありがとー!」


そう、私の結果は金賞だった。ピアニストへの扉が開いた記念すべき日。


そしてもう一つの記念日になるかは、この後の私にかかっている。リップを塗りつつ、友里に尋ねる。


「あー、大樹どこにいるか知らない?」


もう部活は終わっているはずなので、教室にいると思っていたのだが、姿が見えない。


「え、沙紀も知らなかったんだ。大樹くんなら、今日引っ越したよ。」


呼吸が止まる。鼓動こどうが早くなるのを感じる。


私は職員室に走り出した。

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