第36話 文芸サロンのお誘い


 親の目がないとは素晴らしい。

 完成した官能小説三本を前にして、私は達成感に打ち震えていた。

 ニコラスが弟になってからは、万が一を恐れてえっちな小説は書けなかったのだ。

 それまで抑圧していた欲をねじ込んだからか、サキュバスに死ぬまで絞られるような内容だったり、女スパイを尋問したりとちょっとアレな内容になってしまったが大丈夫だろう。


「しかし、今年出版デビューをしてから九作か。我ながら好調ね」


 絶好調な時は年間十五作ほど作っていた。

 とはいっても、前世はパソコンやらスマホで執筆するペースも早かった。

 ガラスペンと紙ではやはりキーボードのタイピングより遅くなる。

 ゆくゆくは印税で稼いでパソコンを作れたらいいなあ、なんて考えていると家の扉がノックされた。


「あー……、誰だ。セシルか」


 覗き窓から見えたのはミルクティー色の髪。

 すっかり見慣れてしまったのは、彼が三日に一回は私の家に来て料理を作りにくるからだ。


 あれから、三人は競うように私の家に変わりばんこでやって来る。

 被った時なんて最悪で、玄関先で喧嘩を始めるので正直迷惑しているが、一人一人は悪い人間じゃないのでなるべく被らないようにスケジュールを調整してやらなきゃいけない。


 一番厄介なのはセシル。

 何度断っても「栄養が偏る」「倒れたらどうする」と詰問してくるので、そのうちあれこれ言うのも面倒になったので好きにさせている。

 この前、リディと料理当番を打ち合わせるほどには信頼を勝ち取っているらしかった。

 決して、セシルの新作を読ませて貰えるという条件に屈したわけじゃないと願いたい。


 昼食の用意をしにくるには些か遅い時間の来訪だ。


「いらっしゃい、セシルさん。本日はどのようなご用件で?」

「最近、家に篭っていただろう。作家同士でアフタヌーンティーを開くから、レティシアもどうかと思ってだな……」

「作家、ですか」


 セシルが私を前書きで非難して以降、何故か他の作家たちも前書きで私について言及するようになった。

 センスのある誹謗中傷はともかく、クソつまらない文で私を詰っている作家がいた。


「いいですね。ちょうど新作も書き終えて気分転換したかったんです」

「そうか……っ!」


 ぱあっと顔を輝かせたセシルは目が合うと、はっと驚いて首をぶんぶんと左右に振る。


「こ、これはお前の新作が書き終わったから安心しているわけじゃなくて、年頃のお前が交友関係を広げることに意欲的で安心したってだけだからな!」


 そして、いつものように顔を赤くして否定するのだ。

 本当にセシルは矛盾している。


「ち、ちなみに新作のタイトルはなんだ……?」


 これは困った、新作の小説はR-18の『モンタント』で発表する予定のものだ。

 タイトルだけでも公衆の面前で発言することすら憚られる。


「な、内緒です」

「内緒か」

「ええ、発売までのお楽しみです」


 むっと不満げな声を漏らして眉を顰めるセシル。

 そんな顔をしても教えられないものは教えられない。

 教えたとして、セシルにとって健全な影響を与えるとは限らない。

 この世界では十四から成人として扱われるのだが、いかんせん前世で培われた良心と価値観が待ったをかけるのだ。


「そのアフタヌーンティーはいつから始まるんですか?」

「今日の午後だ。特にドレスコードはない。本の交換会が開かれるから、本を持っていくことをお勧めする」

「なら『塔の王女と無名の騎士』ですかねえ」


 アーサー王シリーズは自分の作品ではないと切り離している。

 印税は全て教育施設や医療関係に寄付させているけれども、それでも少し罪悪感がある。


「そうか。多くの本を持っていっても嵩張るからな、一冊にした方がいい」


 この世界ではやはり娯楽小説の扱いが低く、表紙として皮を使っている学術書や指南書と違って紙を重ねて固めた厚紙を使っている。

 その為、持ち運ぶと折れや破れのリスクが高いのだ。

 ぴったりサイズの箱に入れて運んでいるのだが、当然場所も取るし重い。

 前世なら電子書籍で楽だったのに、と嘆かずにはいられない。


「あぁ、そうだ。会場まで離れているから車に乗っていくぞ」

「車ですか? 馬車ではなく?」


 近世ほど技術が発達しているとはいえ、まだまだコスト的な問題で馬車が主流となっている。

 透明度の高いガラスもない時代、勿論フロントガラスなどあるはずもなく。

 風通しが良さそうな車が一台、家の前に停まっていた。

 風通しが良さそうというより、フレームしかないゴルフカートが表現として正しいだろう。


「セシルさん、運転できるんですか?」

「魔力で動かすだけだからな。簡単だぞ、レティシアもやってみるか?」

「魔力ないんで無理ですね」


 ざっと中を見る限り、ハンドルしかない。

 サイドレバーや鍵の差し込み口も見当たらない。

 これが走るのか? いやそもそも石畳でぼこぼこした道を走れるだけのタイヤなのか……?

 そう訝しんでタイヤを見た私は唖然とした。


 ないのだ、タイヤが。

 あのゴムで作られたまあるいフォルムの代わりに、そこには木枠で囲まれた石が嵌められている。

 これが車なのか? 私は騙されているんじゃないか?


「ほら、レティシア。乗れ」

「あ、はい」


 セシルに急かされてクルマモドキに乗る。

 当然のようにシートベルトなんてものはなく、事故を起こせば大事故は免れない。

 神に奇跡を祈っても無理難題として突き返されること間違いなしだ。


「しっかり掴まってろ」


 私が覚悟を決めるよりも早く、セシルがハンドルの中央に嵌め込まれた深緑のマーブル石に触れる。

 ぽうっと赤い光が灯ると同時に車体が揺れ、外のから見える風景が少し上がった。


「お、おわっ、浮いたっ!?」


 車は地面を走るもの、という私の固定観念を嘲笑うように車は数センチ地面を浮く。

 それから、反発した磁石が机の上を滑るように車体が、すーっと前方に動き始める。


「あ、ああ……動いた……車が……浮いて、動いた……」


 窓なんてないので、風がびゅうびゅうと車内に吹き荒ぶ。

 夏の熱風でも涼しいのではと錯覚してしまいそうなほどの勢いだ。

 外の景色はもう目で追えないほど早く流れていく。


「セシルさんっ、法定速度、いくつなんですか!?」

「なんだ!? 聞こえないぞ!」

「は、はやすぎますうっ!!」


 悲鳴に近い声をあげてようやくセシルはスピードを落としてくれた。


「はぁ……っ、はぁっ……、セシルさん、車の法定速度を守ってくださいよ……!」

「法定速度? なんだそれ?」

「そんな速度で運転していいと思ってるんですか!?」

「これぐらいなら反射神経でどうにでもなるし、当たらなければどうということはないだろう」


 目は車体の前に向けたまま、セシルは恐ろしいことを口にした。

 車を運転しているというのに、法定速度を知らないなんて、そんなことがあっていいのか?


「免許とか持ってます?」

「免許? 公認会計士と簿記なら持っているぞ」

「そういうものじゃなくて、車の免許です!」

「車の免許? 車に免許なんて要らないぞ」


 な、なんということ……ッ!

 はっ、そうか!

 この世界は技術が発展してきたばかりで、リスク管理の考えがまだ芽生えていないんだ!!

 だから、免許だとか講習だとかそういう法整備がない!


  つ ま り 無 免 許 !


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!゛」

「ど、どうしたレティシア!」

「お、降ろしてぇっ! 死にたくない! 死にたくないよお!」

「レティシア!? レティシア!?」

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