第34話 アンチに餌付けされる警戒心ゼロなレティシア


 新居の執筆部屋で作業していたある日のこと。

 この国では、夏はよく雨が降る。

 この日もまた例外ではなく、じっとりとした湿気と雨の音にうんざりしながら、私は蓄光石を二つ手に持っていた。

 魔力を込めれば光が灯るらしいが、私には魔力がないので蓄光石同士を軽くぶつけて灯している。

 油を燃やすランプと違い、照度は低いけれど長時間かつ繰り返し使える蓄光石が一般的な明かりとして使われているそうだ。


「大気中の魔力を集めるって便利な性質ね」


 それほど希少価値があるわけでもなく、近年では人工的に生み出すことも可能になったことで低価格で売られていることもあって広く普及している。

 魔力を溜め込むという性質上、工房や精密器具などがある場所では使えないらしいが、魔力がない私には関係ない話だ。


 蓄光石を紐で括り付け、天井の梁から吊り下げて部屋の明かりとする。

 もう一つは執筆机の上に結えてデスク用ライトに。


 実家ではリディが照度の高い高品質な蓄光石を持ってきてくれていたが、いつまでも実家に甘えるわけにはいかない。

 最近は印税も入ってきて余裕があるけれど、いつ急な出費が必要になるか分からないから貯蓄しておきたい。

 そんなわけで無理のない範囲で節約を心がけているのだ。


 執筆を再開しようとペンに手を伸ばしたその時、屋敷の扉が叩かれる音がした。

 リディやニコラス、両親なら家の合鍵を渡しているのでノックしてすぐに鍵が差し込まれる音が響くのだが、家の外にいる人は静かに返答を待っている。

 来客の予定もなかったので、アランが遊びにきたのかと思って覗き窓を見てみると、扉の前で待っていたのは先日会ったセシルだった。


 外の雨はまだ小雨だが、これから本降りになるだろう。

 流石に屋根もない外で立たせるわけにもいかないので、扉を開けて中に招き入れる。


「突然の来訪、失礼する」


 そう断りを入れてから、セシルは雨粒で濡れたスーツのジャケットを脱いですうと息を吸い込むと魔法を使って乾かした。

 ズボンの裾はさっと手を近づけるだけでみるみる乾いていく。

 どうやら彼は炎に関する魔法に長けているらしい。

 かなり羨ましい能力の持ち主だ。


「えと、お茶でも飲みますか?」

「気遣いは無用だ。昼食はまだ食べていないよな?」

「ええ、これから準備するところですけど……」


 時間帯は十一時になったばかり。

 昼食にはまだ早い時間で、新作の構想を練ってから用意しようと思っていたのだ。

 私の回答を聞いたセシルは足元に置いた籠を持ち上げると食材を机の上に並べていく。

 野菜、ベーコン、牛乳、缶詰め、パンと麺。少なくとも三日分はどうにかなりそうな量だ。


「えっと、この食材はなんです?」

「このなかで嫌いなものはあるだろうか?」

「いえ、ありませんけど……」


 セシルは「そうか」と呟いて、じっとテーブルに並べた食材を眺めた後、おもむろにほうれん草、ベーコン、玉ねぎ、牛乳パックを掴んでキッチンに向かう。


 彼はシャツの袖を肘まで捲り、鍋に水を入れると火にかけた。

 二回に一回しか火がつかない魔力のない私と違い、彼は一発でコンロに火をつけた。

 水が沸騰するのを待つ間、彼は早くも次の行動に出ていた。


「あの、なにしてるんですか?」

「見て分からんか? 玉ねぎの皮を剥いている」


 ぺりぺりと茶色の皮を剥いていくセシル。

 さも当然のように真顔で言い放つものだから、私は呆気に取られて口を閉ざしてしまった。


「あの、なんで料理してるんですか?」

「昼食がまだなんだろう? 十分以内に出来るからいい子で待ってろ」

「え? え? え?」


 セシルはまな板の上に置いた玉ねぎを素早く薄切りにしていく。

 ほうれん草は二センチ幅に、ベーコンも同じ大きさに切った。

 フライパンを取り出してまたもコンロに一発で火をつけると、家にあったオリーブオイルを引いて玉ねぎとほうれん草を炒め始める。

 沸騰した鍋にはスパゲティの麺を投入。


「あの。セシル様、計量カップ……ああ、測らないで入れちゃった……」

「セシルでいい。こういうのは勘でどうにかなる」

「えぇ……?」


 フライパンにベーコンを入れて、とろみをつけたら牛乳を追加し、煮立たせる。

 丁度麺も火が通って柔らかくなった頃合いを見計らって、セシルはお湯を捨てると麺をフライパンに入れる。

 塩胡椒で味を整えてさっとかき混ぜ、皿を二枚取り出して盛り付ける。

 そして、彼は盛り付けたほうれん草のクリームスパゲティを前にして、満足げに息を吐いて「完成だ」と呟いた。


「……え? なんでスパゲティ?」

「好き嫌いはないと聞いたが、嫌いだったか?」

「嫌いとか好きとかそういう話じゃないんですよねえ……!」


 手際が良かったので見守ってしまったが、そもそも私とセシルは手料理を振る舞うような間柄ではなかったはずだ。


「じゃあどういう話なんだ? あ、フォークはここか」

「…………気にするだけ無駄な気がしてきたなあ」


 脳内を疑問符で一杯にする私を他所に、セシルはさっさとフォークを取り出して椅子に座る。

 机の上で手を組み、神に祈りを捧げ始めた。


「主よ、本日も一日の糧を御恵みくださり感謝します。……どうしたレティシア、早く食べないと冷めるぞ」

「そうですね、いただきます」


 そうしてテーブルに置かれた料理は温かな湯気を放っていて、あれこれ悩んでいるのも馬鹿らしいと空腹が叫ぶ。

 どうにでもなれと自棄になりながら私も椅子に座って食べることにした。

 まろやかな牛乳の味とベーコンの塩味がいい塩梅で効いていて美味しい。


「美味しいですね。普段から料理してるんですか?」

「家族とは時間がずれることが多いからな。使用人を起こして料理させるのも面倒だから自分でやってたら、簡単なものなら作れるようになった」

「はえ〜、男性の手料理なんて初めて食べました」


 前世含め、中学時代に家庭科授業で作った定食以外で男性の手料理を食べたのは初めてだ。


「使用人やコックがいるだろう」

「まあ、そうなんですけど……。なんか、こう心情的なものです」

「そうか」


 碌に計量していないのに美味しい。

 そして、とても手際が良かった。


 もしや、セシルは私よりも料理が上手い……?

 その事実に気がついて、なんだか少し悔しく思いながらもスパゲティを頬張る。

 空腹であることを差し引いてもやっぱり美味しかった。

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