第28話 アランから見たレティシア
アラン・フォン・エッシェンバッハの人生は順風満帆でいて退屈なものだった。
齢十三を迎える頃には既に貴族としての振る舞い方を理解し、実兄よりも狡猾に立ち回れるほどの知略も兼ね備えていた。
人は誰しも細い“糸”が心にある。
それは誇りであったり、自尊心であったりと個々に違いはあれど、その糸に触れられたら怒り狂って我を忘れることをアランは知っていた。
我を忘れた人間が墓穴を掘っていく様を見るのはなによりも爽快で、それに勝る優越感はないと彼は確信していた。
そんな折、アランは興味深い本を手に入れた。
『塔の王女と無名の騎士』という本は、いかにも年頃の女の子が気に入りそうな恋愛模様を描いたものだ。
これを書いた人物は、それはもう恋に恋い焦がれる少女のように繊細な感性の持ち主に違いなく、そういう人物ほど“糸”に過敏に反応する。
どんな顔を見せてくれるだろうか。
怒り? 悲しみ? それとも両方?
そうして愉悦に笑みを浮かべ、作者の元を訪れた彼は度肝を抜かれることになった。
軽い挑発をさらりと流したかと思えば、「ふしだら」に怒り、突きつけてきたのは年頃の令嬢が書き綴るには過激な性描写が施された短編。
────面白い。
その時。アランの心の底に湧き上がってきたのは、これまでの愉悦など彼方に消し去るほどに清々しい好奇心。
こんな、妄想の産物を出版しようものなら大顰蹙ものだ。
王政府に睨まれるのはもちろんのこと、学者や詩人からも睨まれること間違いなし。
一切メリットがない。
……ああ、だというのに彼は何か確信めいたものを感じていた!
気がつけばおちょくる目的で用意した契約書にサインをし、出版の約束を取り付けてからは本の為に奔走した。
自身ですら馬鹿げているとしか思えない『ときめき』を理由に、あらゆる損失を最小限に抑えながら利益を得る為に根回しして。
右に左に、北に南に。
法律の抜け穴を探しては複数の優秀な弁護士の話を仰ぎ。
圧力をかけようとしてきた他の貴族を権力と金で黙らせ。
けれども、流石のアランでもシェリンガム公爵の力を削ぐことはできなかった。
そして、そんな己の不甲斐なさを嘆くアランに件の令嬢は微笑むのだ。
『アラン様、ご覧ください。この手紙の山を! これ全部、
気丈な振る舞いを見せていたレティシアの、日頃浮かべている完璧な微笑とは程遠い、目を細めただけの仕草。
その仕草を一目見た瞬間、アランの心臓は一際強く跳ねた。
じわじわと熱を持ち始めた頰にレティシアは気づく様子もなく、無邪気に、残酷に手紙に目を通してはガラスペンを走らせる。
その手紙の相手は、アランですら知り得ないほどの膨大な数。
それをレティシアは一枚一枚、時間を縫っては丁寧に言葉を選んで返信を書く。
果たして自分の手紙にそれほど時間をかけてくれるのだろうかと考えると、骨が冷えるような悍しい感覚がアランを襲う。
愛想笑いを他人に浮かべるのは構わない、けれどもあの小さな仕草を他人が見るのかと思うと『ときめき』とは真逆の不愉快な気持ちしか湧かなくて。
いけない事だとは頭で理解していても、思考は甘美な
レティシアの“糸”は創作だ。
その糸を引き千切って、手の届かないところにしまったら彼女は自分を見てくれるだろうか。
桃色の瞳に激情の色を浮かべるのか、それとも悲嘆して足に縋り付くのか。
考えるだけで言葉にできないほど甘い痺れが全身を襲う。
そんな思考など誰にも悟らせず、アランは今日もレティシアの元を訪れる。
「やあ、レティシアさん! 新作の調子はどうだい?」
いつものようにレティシアはアランの顔を見て少し呆れたように笑ってから封筒を渡すのだ。
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