第17話 シェリンガム公爵
青薔薇が咲き乱れる庭園にて、多少トラブル染みたことに巻き込まれたがお茶会はつつがなく始まった。
主催者のマクシミアン公爵の一人息子にして、『キスは舞踏会の後で』に登場する主要キャラクターの一人クロノが恭しく私に一礼をする。
「これはレティシア嬢、この度はお茶会のご招待に応じてくださり誠にありがとうございます」
「こちらこそご招待いただきまして、感謝します」
私は若草色のスカートを摘みながら少し頭を下げて礼をする。
カーテシーと呼ばれる女性が行うもので、この世界では左手で首元を、右手でスカートを少し持ち上げて礼をするのが一般的だ。
「どうやら大事なかったようで安心しました」
「クロノ様には大変お世話になったと父から伺っております。その節はご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、困っている人がいるなら助けるのは当然のことです」
おお、なんとも常識的な人だ。
ここ最近、型に囚われなかった人ばかりに会っていたせいでクロノの『良い人』っぷりが新鮮に感じる。
「ああ、そういえば本を出版したと伺いました。今度、時間があるときに読ませていただきますね」
「クロノ様のお好みに合えば宜しいのですが……」
そうして和やかな会話をしていると、突然背後からビシャッと液体を掛けられた。
じわじわと熱が広がっていき、ふわっとダージリンの香りが昇る。
……これは紅茶を掛けられた?
背後を振り返ると、そこにはお茶会が始まる前に私を睨んでいた初老の男性がいた。
神経質そうな顔には深い皺が寄り、目は鋭く私を見下ろしている。
「これはこれは失礼。目障りな髪色に目が眩んで紅茶を溢してしまいました。まあ、そのみずぼらしいドレスなら目立たないでしょう」
突然の失礼を通り越した言葉に驚いていると、さっと私の視界を遮るようにクロノが立ちはだかる。
「シェリンガム公爵、私の客人に対して礼を失した態度で振る舞うのはおやめいただきたい」
毅然とした態度でシェリンガムを非難したクロノを、彼は鼻で笑って流した。
「客人とは片腹痛いですなあ、クロノ殿。貴方が『融和』なんて生温いことを言うから国賊たるやつらがのさばるのです。あまつさえ、そんな売女を盗賊からお救いになるなど……」
本日二度目の「な、なんだこいつ!?」を心の中で叫ぶよりも早く、シェリンガムの背後ににゅっと見慣れた姿が現れる。
貴族と歓談していたはずのアランだった。
「シェリンガム公爵、今、レティシア嬢のことをなんと?」
「これはアラン殿。ふん、こんなはしたない女を『売女』と呼んで何がおかしい!」
シェリンガムが『売女』と言った瞬間だった。
どんっ、と音がするほど重力が増えて彼の身体が文字通り地面に落ちる。
地面の土が沈み込むほど地面に叩きつけられた彼は呻き声を上げていた。
「おやおや、シェリンガム公爵は四葉のクローバーを見つけたようだ。採集の邪魔をしてはいけない。さあ、レティシア嬢こちらへ」
わざとらしく大声で周囲に告げるアラン。
周囲のお茶会参加者はこの光景を見なかったことにしようと視線を逸らしている。
シェリンガムの人徳がないのか、それともアランに皆恐れているのか。
多分後者だろう。
「え、いやいやいや……あれ大丈夫なんですか?」
「ん? 四葉のクローバーがあるなら大丈夫だろ」
アランは私の手を握ると、さっさと会場の外に向かって歩き出す。
何か喚き立てるようなシェリンガムの声すら置き去りにするような速度で歩くものだから、少し転びそうになるとやっと速度を緩めた。
「すまない、レティシアさん。まさかあの男もこの茶会に参加しているとは思わなかった……全く、クロノの奴は見境がなさ過ぎだ」
「いえ、アラン様が謝るようなことではありません。それよりも、先程の人は?」
持っていたハンカチで紅茶の部分を拭いながら話を聞いてみる。
生地が厚いから火傷せずに済んだことは幸いだが、果たして洗ったとして色は落ちるだろうか。
「シェリンガム公爵。マクシミアン公爵家とも親交のある名家で、王族とも繋がりがある。出版の大部分を統括している奴だ」
「……なるほど、私の本が気に食わないというのと政敵を貶めようと吹っかけてきたんですね」
「ああ、それにしても相変わらずクロノは貴族としての自覚がなさ過ぎる!」
ああ、そういえばクロノとアランは作中、昔馴染みの知り合いだった。
お人好しのクロノと世渡り上手なアランという対比がなされていた。
貴族としての方針の食い違いから、クロノとアランの仲は拗れるのだ。
なるほど、『キスは舞踏会の後で』はレティシアが十五になってから始まるから、今はその前のイベントの最中なのだ。
「嫌な予感がしたから来たら、案の定! 大体、あんな人としてどうかしてる奴をお茶会に呼ぶなんてどうかしている!」
いつもは飄々としているアランが珍しく取り乱し、怒りをあらわにしている。
きっと前々から思うことがあったのだろう。
「あっ、すまないレティシアさん。君には嫌なことを聞かせてしまった」
「いえ、お構いなく。アラン様には助けていただきましたから。それよりもどうしましょう、会場に戻ってもまたシェリンガム公爵と揉めそうですし、かと言ってこのまま帰るわけにも……」
これからどうしようか考えていると、アランが近くにいたメイドを呼んで何かを囁き、紙片らしきものを渡した。
私の位置からは何を伝えたのか聞こえなかったが、メイドは恭しく一礼して何処かへと駆けてゆく。
「この会場にいるとまたシェリンガム公爵に絡まれるだろう。君の父親と母親、それとクロノにはメイドに頼んで伝えておいたから、今日は帰った方が……」
そう言って言葉を切ったアランは何かに気づいたようにハッとした。
「いや、ここはこの前の詫びと今日の謝罪とこれからのなんやかんやをしたいからデートをしようじゃないか」
「なんやかんや? デート?」
「そう、デートだ! ついでにこれから原稿の話もしたいと思っていたんだ!」
「名案だ!」と叫ぶアランのテンションの上げ下げの激しさに目を丸くしつつも、原稿の話がしたいと言われて私が断るはずもなく。
「今の私は無一文ですが、それでも宜しければ」
「今日は僕の奢りだ、遠慮しないでくれ」
ここまで言われて無碍にするのも気が引ける。
ここは私よりも稼いでいるというアランの好意に甘えるとしよう。
「それなら案内をお願いしますね」
「任せてくれ! この辺りのデートスポットなら掌握済みだ!」
それに、今にも鼻歌を歌いそうなほどに喜んでくれるなら悪くない。
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