お茶会の悪魔

第16話 アンチが来る来る書籍化作家!


 書籍化したという実感はあれど日常に変化はないまま、数日が過ぎた頃。


 私はマクシミアン家主催のお茶会に出ることになった。

 本音を言えば原稿の手直しをしたいところだが、『レティシア』の命の恩人である手前、無碍に断っては親にも迷惑がかかる。


 憂鬱な気持ちが顔に出ないように気をつけながら、御者が扉を開けるのを待つ。

 若草色のローブ・モンタント式の首まで詰まったドレスに皺が無いことを確認する。

 このドレスは肌寒いこの季節だからこそ着れるもので、夏になれば地獄のように暑いこと間違いなしだ。


 父に手伝って貰いながら馬車を降りれば、案内役の執事が恭しく一礼する。


「ルーシェンロッド家の皆様、ようこそお越しくださいました。この家の筆頭執事にございます」

「案内を頼む」

「はっ、こちらへ」


 執事に連れられて案内された先はマクシミアン家の庭園。

 空に負けないほど青い薔薇が咲き乱れる庭に、軽く摘める菓子や紅茶が白い布クロスの上に飾られていた。


「おや、これはレティシア嬢! このような場所でお会いできるなんて光栄です!」


 主賓よりも先に私を見つけたのは先々日、家に突撃してきたアラン・フォン・エッシェンバッハ侯爵令息。

 恐らく商会繋がりで呼ばれたのだろうが、ここにいるとは思っていなかっただけに少し驚いてしまった。

 相変わらず、彼は紺のジャケットに黒のベスト、白のスラックスという普段と変わらない装いをしている。


「まあ、これはアラン様。ごきげんよう。このような場でお会いできるとは思いませんでしたわ」

「貴女のような見目麗しき御令嬢にお会いできると知っていましたら馬車まで迎えに行きましたのに」

「アラン様のお手を煩わせるわけには……」


 初めて会った時と同じくグイグイとくるアランに、私の後ろに立っていた父が大きく咳をする。


「おや、これはルーシェンロッド伯爵にエリザベータ夫人。ご機嫌麗しゅうございます。自己紹介が遅れました、アラン・フォン・エッシェンバッハと申します」

「ご丁寧な自己紹介をどうも。ところでアラン殿、我が娘に少し近付きすぎでは?」


 ジロリと睥睨する父の視線に、アランはにこやかに笑みを浮かべて更に一歩私に近づく。


「何を仰いますか伯爵殿、若者同士はこれぐらいで会話するのが流行なんですよ」

「そ、そうなのかっ!?」

「違いますよ、お父様」


 しれっとした表情に騙されかけた父に呆れながらやんわりと教えてあげると、父はわなわな震えてより一層アランを鋭く睨む。

 一応、派閥のなかで父の上司の息子がアランになるはずなんだが、睨みつけて大丈夫なんだろうか。


「あら、貴方がアランね。娘から話を伺っておりますわ。今度家にいらしたらお茶を振る舞わせてくださいな?」

「その節はどうも。急なご来訪、大変失礼致しました」


 母のチクリとした嫌味にアランは少しだけ顔色を悪くしてやんわりと謝罪する。

 そんな風にアランを見ていて、ふと周りから視線を感じた。


「それにしてもなんだか私たち、注目されているようですね」

「みんな貴女の美しさに見惚れていらっしゃるのでしょう」

「私の本が話題になっているようですね」


 アランの世辞を軽く受け流し、お茶会に参加する他の貴族たちの手に本が握られているのを見つける。

 アランの手紙から重版が決まったと聞いてはいたが、改めてこうして人々が手に持っているのを見ると唇が釣り上がりそうになってしまう。


 その中で、鋭く私の顔を睨む二つの視線に気付いた。

 一人は青年から、もう一人は初老に近い男性から。

 いずれも剣呑な雰囲気を帯びていて、トラブルを予感させる類の熱を持っている。


 二人のうち、今にも飛びかかってきそうな若い青年の方をチラリと見たアランが微かに顔を顰める。


「アラン様、あのお方をご存知で?」

「この前出版社に僕に会わせろとアポイントなしで突撃してきた青年だ。非常識なやつだよ、まったく……」

「貴方がそれを仰るんですか」


 自分を棚に上げて青年を非難するアランに呆れながら小言を口にすれば、彼は忌々しそうに青年の名を呟いた。


「名前はたしか、セシルだったか。どこかの男爵の息子だとは聞いているが、宮廷にも入り込めない弱小貴族だ。招待でもされたのか?」


 何かを考え込むアランを他所に、セシルという青年が一歩踏み出して近寄ってくるのが見えた。

 聞き覚えのある名前を手がかりに、記憶の底から手繰り寄せて引っ張り出したのは丁寧なアンチのセシルくん。


「どうしましょう、まっすぐこっちに来ますよ」

「ルーシェンロッド家の令嬢はいついかなる時も慌てないのが鉄則ですよ、レティシア。失礼のない程度に応対しなさい」

「……はい」


 最近の母はピリついた雰囲気が消え、妙に威風堂々として有無を言わさない重圧を周囲に与えるようになってきた。

 なんらかの魔法だと思うが、詳しくは知らない。


 そうこうしているうちにセシルが私の前までやって来た。


「失礼。君があのレティシア・フォン・ルーシェンロッドで相違ないか?」

「お初にお目にかかります。いかにも私がレティシアでございます」


 じっと紅茶にミルクを垂らしたような色の瞳で私を見つめるだけで、彼は何も言わない。

 十秒程じっと我慢したが、進展がなさそうなので私の方から口を開く。


「その、貴方はどちら様なのでしょうか。良ければお名前をお聞きしても?」

「…………セシル。セシル・サンガスターだ」

「それではセシル様、以後お見知り置きを」

「……………………。」


 おかしい。

 話しかけて来たのは彼からの筈なのに、何故話がこうも続かないのか。

 仕方ない、私から話を振るしかないのか。


「セシル・サンガスター様は以前、私にお手紙をお送りになられた方ですよね?」

「っ! あ、ああ。そうだが?」

「まあ、お手紙の香りが良かったので覚えていたんです。あの香りは南の方から仕入れた香木なのかしら?」


 敢えて手紙の内容には触れないで、香木について触れると彼は少し身動ぎをした。


「たまたま手に入ったから……別に便箋に香り付けするつもりは……」

「まあ、それじゃあたまたま香りが移ったのですね。今度私も買い付けてみようかしら」

「……………………。」


 な、なんなんだ彼は!? 何がしたいんだ!?

 への字で私の顔を睨んでも困るんだが!?


 助けを求めて周りを見ても間の悪いことに両親は主催の応対を、アランは他の貴族に話しかけられている真っ最中だった。


「手紙でも書いたが……」


 ようやく彼の方から口を開いた。

 袖口の留め具をパチパチと付けたり外したりしているのは癖のようなものだろうか。


「本というものは技術を後世に残すためのもので、妄想を書き綴る為のものではない」

「……それは存じております」

「だから、君の書いた『塔の王女と無名の騎士』という本は後世に残すべきではないと思う」

「左様ですか。セシル様の仰りたいことは理解しましたわ」

「そうか」


 またも無言。

 しかし、セシルの言葉には不思議と不快感はなかった。

 嫌悪な感情を剥き出しにしているけれど、声音は落ち着いていて言葉も丁寧に言い聞かせるようにゆっくりとしているからだろう。

 あとは、実は今まさに二作品目が出版中であることを彼が知ったらどういう手紙を送ってくるんだろうという好奇心もある。


「それじゃあ、これで……」

「え、あ、あぁ……行っちゃった」


 セシルは小さく目礼すると何処かへ行ってしまった。


「な、なんだったんだ彼は?」


 謎すぎるアンチの行動にぼやく私の問いかけに応える人はいないまま、お茶会は幕を開けた。

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