第12話 真のふしだら


 拘りはない私でも許せないものは沢山ある。

 馬鹿にされること、侮られること、そして脅されること。


 今回、『ふしだら』だと言われたシーンはただ純粋に駆け落ちをしただけのシーンで全年齢的な意図に基づいて作った純愛系の物語だ。

 それをふしだらだと言われては堪ったものじゃない。


 アランを待たせているのでそれほど創作に時間を割けないのは残念だが、インモラルと淫靡なエロティックの小説は私の十八番だ。

 字数は短編にぴったりな二千文字、ざっくりとキャラクターは私がこの世界に転生した時に文字に起こした長編から借りて創作する。


 完全オリジナルの創作も楽しいが、既存のものを捏ねて作るのも楽しい。

 結婚した幼馴染と再会した主人公は一夜の過ちを犯すというシンプルなストーリー。

 描写も初心者に見せることを考慮しつつあっさりと仕上げる。

 タイトルは『石榴ざくろ』。

 少なくとも、これを読んで「ふしだら」と詰られても納得できる程度のクオリティと内容だ。


 完成した原稿を片手に戻れば、アランが部屋で居心地悪そうにもぞもぞとしていた。


「お、おお。……僕も心の用意は出来てるぞ」

「そんなに身構えなくとも結構です。これが、私の描く真のふしだらです」


 なにやら息を詰めて私を見つめていたアランに原稿を渡す。

 彼は面食らったように原稿を見て、それから私の顔を見る。


「これは……?」

「ちょっとした短編の官能小説です」

「カンノウショウセツ」


 アランは受け取った原稿に目を通すと、雪のように白い肌にさっと赤みが差す。

 耳のふちまで茹でたタコのような顔色になりながら、彼は原稿を丁寧に折り畳み、ジャケットの胸ポケットにしまう。


「なるほど、君はこういうものが好みなんだね……」

「なんの話をしているんですか。というか、なんでさりげなく原稿を懐に入れているんですか」


 呆れながら突っ込みを入れると、アランは照れたように咳払いをする。


「それにしても、あの数十分で書いたのか?」

「簡単なものですが、それが何か?」

「元からあったものを書いた、というわけではなさそうだな」


 紙についていたインクを指の腹で拭い、手についたものをじっと見てハンカチで汚れを落とす。

 そして、わなわなと震え、いきなり私の両手を掴むと激しく上下に振った。


「すごい、すごい、すごい!!」


 子供のようにはしゃぐアランに、今度は私が目を白黒とさせる。

 視界の端でリディが驚いて駆け寄ってくるのが見えた。

 引き剥がそうとしてくれる忠義は嬉しいが、相手はエッシェンバッハ侯爵の家系に連なる人物なだけでなく国王から子爵という爵位まで勝ち取った人物。

 下手にリディが介入しては彼女の首が飛ぶ。物理的な意味で。


「アラン様、アラン様。そんなに激しく振っては私の手が取れてしまいます」

「むっ!? す、すまない! 少し取り乱してしまったようだ」


 依然として私の手を握ったまま、彼はキラキラと輝く瞳で私の顔を見る。

 異性と想像を絶するほどの至近距離は、前世の記憶がある私であるからこそ違和感を覚えるほど顔が近い。


「あの、お顔が近いです……」

「……っ、すまない!」


 やんわりと指摘すればようやく私の手を離して少し距離を取ってくれた。

 来客用の椅子に座って互いに仕切り直し、私は口を開く。


「先程お渡しした原稿を『ふしだら』と非難するのは構いませんが、『塔の王女と無名の騎士』は老若男女に親しんでいただくためのものです。どうか、誤解なさらぬようお願い申し上げます」

「僕の方こそ非礼を詫びよう」


 なんでもないことのようにアランは謝罪の言葉を口にした。

 貴族社会の間では、どんな些細なことでも『謝罪』を文字や言葉にすることは弱味を相手に渡すことに直結する。

 私よりも遥かに貴族社会で渡り歩いてきた彼はそのことをよく知っているはずだ。


「君の書いた本を読んで、僕は感動すら覚えたよ。『無駄』『妄想』それらの言葉で片付けられるものを文字に記した君に興味があったんだ」


 強引なアポなし来訪は、初めから私に会うことが目的だったと暴露した彼は足を組み替える。

 悠々と語る姿は様になっていて、交渉の場に慣れていることが容易に窺えた。


「僕の経験則上、『無駄』を求める人間は三つの動機を持つ。一つ、好きだから。二つ、必要だから。そして、三つ────」


 指折り数えていたアランはニンマリと笑みを浮かべる。

 そこに官能小説を読んで赤面していた純朴な姿はない。


「────好きで必要だから。そのためなら如何なる手段も使う生粋の狂人で、そういう人間は見ていて

「まあ。その理屈ですと、アラン様は生粋の狂人に当て嵌まりますね」

「それは君も同じだろう、レティシアさん?」


 権力のある愉快犯という黒幕に相応しすぎる性格に私の気持ちも少し昂る。

 もしかしたら、という淡い期待が込み上げる。


「それで、私の顔を観光して今日はお帰りになるおつもりかしら?」

「まさか! 今日は君に提案をしたくてここに来たんだ」


 組んでいた足を解くアラン。


 この動作は、心理学的に言えば『本題に入る』時に見られるらしい。

 ドラマにおいてヤクザや権力のある人間が突然前屈みになって脅しをかけてきたり、取り引きを持ちかけたりするのも演出以上の効果を狙っているとかなんとか。


「本の出版、でしょうか?」

「話が早くて助かる。君の書いた話は妙に子供ウケが良く、令嬢にも人気がある。売れること間違いなしだ」

「お褒めに預かり恐縮です」


 好かれるように書いているのだから好かれるのは当たり前だ、という言葉は口に出さない。

 代わりに吐き出すのは謙遜の言葉。


「本の出版をさせていただけるなら謹んでお受けしたいのですが……条件がございます」

「む、金か?」

「ええ、。その寄付の名義を私ではなく、出版会社に。そして寄付する先は……そうですねえ、孤児院にしましょう」


 この世界では娯楽用の小説に対する価値が低い。

 今回、アランが高圧的に私に接してきたのも交渉で優位に立ってあれこれと条件をつけてくるつもりだったのだろう。

 本を出せば、さらに人の目に触れる機会は増える。

 父のような価値観を持つ輩が難癖を付けてくる可能性も増えるのだから、予防線は張っておくに限る。


「つまり、利益は要らないと?」

「ええ、社会の発展のためならば喜んで利益を手放しますわ」

「…………ああ、なるほど。寄付することで、批判の声を殺すつもりか」


 人間は目に見えるものに弱い。

 それは数であったり、実利であったりと様々だ。

 『無駄』で得た利益が社会のためになっているものに対して、人は表立って批判できない上に擁護する声も期待できる。


 私の意図にすぐに気づいたアランは悪どい笑みを深め、書類ケースから契約書を取り出す。


「その条件なら喜んで受け入れよう。だが、まったくお金を渡さないとなると他の作家に示しがつかないんだ」

「ならば紙とペンをくださいな。物語を綴るのにいくらあっても足りないんです」

「作家御用達の文房具を手配しよう」


 さっと契約書に目を通し、控えの契約書と相違がないことを確認する。

 契約書は出版権と免責事項が詳しく記載されていた。


 夢にまで見た作品の出版が、まさか異世界で実現するとは思わなんだ。

 しかし、これはまだ序の口。

 大変になるのはこれからだ。


 込み上げてきた感情をぐっと堪え、私は契約書にサインを交わす。

 あくまでこれは個人間で交わす契約だから、ルーシェンロッド家に責任がないことも併せて明記しておく。


「君とは良い仕事パートナーになれそうだ」

「こちらこそ宜しくお願いします、アラン様」


 握手を交わしながら、私はこれからの未来に向けて新作を練────。


「……ところで、君は『石榴』のような、ああいう類の話も書けるのかい?」

「ええ、時間さえあればもう少し長い話も書けます」

「その原稿が完成したら、それも本にしよう」


 どうやら私の原稿はアランのお気に召したらしい。

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