第10話 リディから見たレティシアという令嬢
「それではお聞かせしましょう。『栄光の騎士王アーサー・ペンドラゴン』の始まりを────」
和やかな『読書会』が一瞬で高揚と緊張、そして期待の場に変わったことにメイドのリディは理解した。
その場を支配しているのは主催者のエリザベータでも読書会進行役の使用人でもなく、すっかりと変わり果てた『レティシア』だった。
鮮やかなグラデーションのかかったピンク色の髪に濃い桃色の瞳、整った鼻梁にキメの細かい肌。
何もかもが『レティシア』のはずなのに、リディが抱いたのはどうしようもないほどの違和感。
傲慢で我儘なレティシアの失踪から全ては始まった。
頭部を強打して意識不明の重体となった彼女が目覚めた時、すぐにリディは異変に気付いた。
丁寧な口調、観察するような眼差し、そして感情の読めない表情。
どれもレティシアにはなかったものだ。
決定的証拠となったのは机に積まれた紙束。
ぎっしりと文字が書かれたそれは『レティシア』ならば絶対にありえないものだった。
レティシアは手紙を書くという行為を極端に嫌っていた。
令嬢たるもの、白魚のように綺麗な手をしているべしと信じていたからだ。
記憶喪失か、盗賊に襲われた恐怖で人格が崩壊したか。
二つの可能性を考えたリディはすぐにそれらを否定した。
すぐさま自身の状況を理解して、取り繕うような動きを見せたことでリディは確信する。
あの日、レティシアは死んだのだ。
そして、レティシアが留守の時にそっと盗み見た紙の内容。
それを目にした時のリディの衝撃はまさしく雷に打たれたようだった。
『十万文字の魔法』それ以外にリディは表現する術を知らない。
それは雨のなか、立ち尽くしている男と女が出会い、会話するだけの話だった。
男と女は幼馴染で、しかし二人は互いにその事実に気づくことなく別れるというだけのもの。
その中で描かれる雨と二人の会話はどこかしっとりとしていて、温もりすら感じるようなものだった。
本とは若者の為に技術者が知識を教える為に作るもので、取り留めのない男女の会話や平凡な日常をしたためるものではない。
それを万を超える文字数で描写するなど正気の沙汰ではない。
本来ならば、すぐにでもレティシアの異変を報告するべきなのだろう。
けれど、リディはそうしなかった。
いや、報告するべきと頭では理解していたが、好奇心が勝ったのだ。
あの目で、あの口で、あの手で、あの人は何を書くのだろうか。
その『期待』はお茶会で『狂信』に変わった。
レティシアの記憶がないにも関わらず、彼女はすぐさまレティシア以上の人間となってお茶会そのものを牛耳った。
その時のファーレンハイト夫人の顔をリディは生涯忘れないだろう。
いつも使用人を見下した顔をしていたというのに、あの時ばかりは呆然とした後に屈辱で肩を震わせていたのだから!
リディの熱烈な視線に気づくこともなく、レティシアはチラリと時計を見て恭しく一礼をする。
「アーサーはついに選定の剣カリバーンを抜いて王となる事を決意し……あぁ、残念です。どうやら時間が来てしまったようですね」
最高潮に引きつけた関心を、彼女は
たったこれだけで、リディの心は興奮で震える。
並の人間ならば欲をかいて期待に応えるというのにも関わらず、彼女はそうしない。
「そ、そんな……! 教えてくれ、アーサーはカリバーンを抜けたのか!?」
レティシアを嘲笑っていたはずの貴族の少年は我を忘れてレティシアに飛びつく。
その少年の非礼を咎めることなく、彼女は慈悲深く微笑む。
「ご安心くださいませ。実は『アーサー王』に関する詩を纏めたのです」
レティシアの視線にリディは頷く。
昨日の朝、呼び出されたリディは数枚の紙を渡された。
訝しがるリディにレティシアはこう告げたのだ。
『文字が書ける使用人にこれを複製させろ』と。
それからひたすら手作業で複製するなか、リディはその紙の内容に目を通した。
『栄光の騎士王アーサー・ペンドラゴン』と『塔の王女と無名の騎士』という物語を。
レティシアは最も盛り上がる直前に話を終わらせてまで関心を惹きつけた目的は、“本”を配る為だった。
「
「ほ、ほんとか!?」
「ええ、もしや時間が間に合わず全てを語れなかったらと不安に思って用意しておいて正解でしたわ。ねえ、お母様?」
ニッコリとエリザベータに微笑む彼女にとって、行動の全てが布石なのだ。
詩で食いつなぐ吟遊詩人にとって、書物に記されることは食い扶持を潰されることに直結する。
さらに、各地の伝承を集める彼らにとって貴族とは『都合の悪い真実を消したがる悪徳者』であるからまず会うことすらも難しい。
その吟遊詩人に会い、詩を書物に記す。
しかも既存のものではなく、まったくもって未知の詩を。
それが貴族社会においてどれほど雄弁に権力を物語るか。
その場にいる貴婦人の唖然とした表情を見れば一目瞭然だ。
さらには、その手柄すら伯爵家夫人のものとしてアピールすることで、ルーシェンロッド家は『吟遊詩人とも懇意にしているほどの人脈がある』と言外に告げたのだ。
我先にと手作りの本を取っていく貴族を眺めながら、リディは畏怖にも似た崇拝を込めてレティシアの横顔を見つめるしかない。
「レティシア、本当にこの本を貰ってもいいの?」
「勿論よ、サリー。私たち、親友でしょう」
「レティシア……! 私、あなたに会えて本当に幸せだわ!」
さながら恋する乙女のようにレティシアを見つめるサリーの目は煮え滾る油のような熱がある。
良くも悪くも純真無垢なサリーの表情に、己と同じ狂信にも似た感情があることに気付いてリディはそっとため息を吐いた。
当主ルードに飽き足らずメイド、令嬢、令息、さらには貴婦人すらも陥落させた当人は、完璧な微笑を一度も崩すことなく『読書会』を終わらせたのだった。
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