第8話 小説書こう!


 父に言いつけられた作業は一時間で終わった。

 なにせ、基本的なストーリーはもう完成しているし内容はしっかりと覚えている。

 この世界は、前世と違って記号そのものが少ない。

 三千字以内の短編を文字に書き起こす作業は肩慣らしにもならないほどあっさりとしていた。

 一度完成したものを読み直して納得のできないところは多々ある。



 例えば────

 父が娘を冷遇する理由。

 姉が騎士に惚れたとして、求婚を断られた程度で諦める動機。

 娘と騎士の関係性。

 大蛇の魔物との戦闘。

 毒を食らってなお、進む騎士の覚悟と想い。


 短編では語りきれないほど、頭の中では次々に設定が浮かぶ。

 彼らキャラクターはその時なにを考え、次にどう動くのか。

 これを思案している時ほど幸せを感じることはない。


「もう、明日の予定など知ったことか! この気持ちアイディアは形にしないと気が済まない!!」


 置いたばかりのペンを握り直し、夜が耽るのも構わず紙にインクで書き殴る。


 お茶会で作り上げた物語を小説にするにあたって、色々と手直しをする必要があった。

 口頭での伝達と、紙から文章を読むのでは受け取れる情報量が違うのだ。


 口頭ではあっさりと起承転結に注意して分かりやすい物語にしたが、文章は口頭よりもより多くの情報が必要になる。

 さらに、相手の顔色を見ながらストーリーを調整できないため、一度脱落して文章から目を離させたらなかなか取り戻しづらいという欠点がある。


 舞台は架空の国にし、貴族の娘は愛人との間に生まれた子にして『塔の王女』という不遇な立場にあることを強調。

 姉にストーリーの悪役と噛ませ役を与え、国王は悪役から最終的な騎士と娘の理解者に落とし込む。

 主人公かつストーリーの華である騎士には『無名』であることを強調させるために無銘の鎧と武器を持たせ、ひたすら『塔の王女』の為に活動させた。


 中盤では姉の悪役ぶりを発揮させ、国王を暗愚のように描写しながら、姉との結婚を断った『無名の騎士』を冷遇する描写を入れる。

 報酬であったはずの二人の結婚を渋る国王に耐えかねて、『無名の騎士』は『塔の王女』と駆け落ちして貧しい領地で共に暮らし始め、互いに支え合う“純愛”を描く。


 エンディングでは、二人はひっそりと領地で結婚式を挙げるのだが、そこに一人の老人がやってきて手紙を渡すのだ。

 宛名はなく、二人の幸福を願う文面と数枚の金貨、そして宝石。

 その手紙を読みながら涙を流す『塔の王女』を『無名の騎士』がそっと抱きしめる。

 それを、老人もとい国王は見守っているところで“何かのっぴきならない理由があったのではないか”と謎を残してストーリーは終わるのだ。


 そうして名前のなかった短編から生まれ完成したのは『塔の王女と無名むめいの騎士』。

 文字数は一万文字にして、全部で五話という構成。

 一話につき二千文字、難解な単語は避けて読みやすく疲れにくい文章を心がけた。

 これなら大体は一時間ほどで読み終われる。


「前世ならパソコンやスマホで執筆していたけど、こっちはアナログで頑張らないといけないもんなあ……いててて」


 さすがに長時間ガラスペンを握っていただけに、中指がひりひりと痛む。

 ちゅんちゅんと小鳥が囀る声を聞きながら、私は完成した原稿のインクを乾かしていた。

 レティシアという若い身体は徹夜で作業しても前世ほど大変だとは思わない。

 若いとは素晴らしいものだな、としみじみ思う。


「レティシア、私だ。朝になったが、例のものは出来たか?」


 こんこん、と扉を叩いたのは父だった。

 朝でもバッチリとワイン色の髪をオールバックに決め、爽やかな朝に相応しい凛とした顔をしていた。

 よほどエリザベータの癇癪を抑えられる術を渇望しているようで、メイドのリディよりも早く部屋を訪ねてきたようだ。

 部屋に出迎えながら挨拶を返す。


「おはようございます、お父様。ええ、こちらがお茶会でサリーに話した詩です」


 裏表一枚に収めた紙を渡す。

 それを受け取った父は無言で読み、裏返して最後まで目を通した。

 感想を言われるまでの、この無限にも続くかと思うほどの時間はやはり何度味わっても慣れない。

 緊張と期待と不安。

 対して父はいつもどおり平然としているというギャップ。


 これはきっと創作した人間にしか分からない疎外感と孤独だ。


「……ふむ、いかにも貴族の娘が好みそうな話だな。これならばエリザベータも好むかもしれん」

「お父様はこういったものを嗜まないのですか?」


 私の問いかけに父はふっと鼻で笑った。


「妄想の産物だろう? これが仕事において何の役にたつっていうんだ?」


 びしりと固まる私を他所に、彼はなおも言葉を口にしていく。

 つらつらと数珠つなぎに言葉を連なったそれを、私は一言一句洩らさず紙に記していく。


「金になるならまだしも、こんなものに時間を割くなど愚行の極み!」

「そうなんですねえ」


 前世よりも上手くなった微笑を浮かべて相槌をうつ私に父は気を良くして饒舌に語る。


「まったく、女子供はこれだから無知蒙昧で無駄に拘る。やれドレス、化粧、アクセサリー。付き合っていたらキリがない」

「お父様はそのようにお考えなのですね。大変、“参考”になりますわ」


 父に対して怒りはない。

 きっと彼の考え方はこの世界では常識で、普遍的なもので、誰もが支持しているものなのだろう。

 それを『無知』故に責め立てるのはあまりにも酷な話だ。

 事実、彼の表情や声、言葉選びには絶対的な自信が感じられる。


 この世界では娯楽用の小説の価値は低い。

 エッセイ、技術書などは本として後世に残す価値があるという考え方が一般的だ。

 一方で、日々の退屈を紛らわせるという点で女性からの支持は高い。

 それがまた娯楽用のものに対して鋭い非難の目が向けられているのだ。


 異世界なのだから常識が通用しないのは当たり前。

 本来なら隔意と絶望を抱いて呆然としているところだが……。



 真実を言おう。今の私は最高潮に興奮していた。



 男尊女卑、そういった性別による思想が根付いているのだ。

 創作物でしか見かけないような、そういう考えを疑うことなく無知に信奉している。

 前世の私の知り合いは良くも悪くも善人ばかりで、凡夫を体現するような人間がいなかった。

 どいつもこいつも倫理的に間違った行動もせず、模範的でありきたりで私とどこまでも同じだった。


 けれど、ルード・フォン・ルーシェンロッドは違う。


 凛とした表情、スラリと伸びた手足にペンだこのある節くれだった指。深みのあるワインレッドの髪に精悍な顔立ち。

 絵に描いたような社会的強者、この社会を動かしている一員である。

 ルーシェンロッド伯爵家の当主にして『レティシア』の父。

 その相手に対して私はあらぬ感情を抱いてしまった。


 ────屈服させたい。


 自身が間違っていると微塵も思っていない相手を完膚なきまでに叩きのめして自らの口から謝罪を引き出させたい。

 ああ、言い訳を重ねるだろうか。

 謝る? 罵倒? 認めずに暴力に訴える?

 どれも未経験で、未知で、紛れもなく創作の糧になる。


 ────ええ、だからぐっと堪えましょう。


 待ち過ぎれば果実は腐るけど、恨み辛みと欲望は深みが出る。

 ワインもお酒も飲まないけれど、こうした愉悦は大好物なの。


 そんな風に取り留めもないことを考える。

 私の気持ちも知らず、父は目敏く机の上に積まれた原稿に気づいた。


「これはなんだ? 渡されたものに比べてかなり多いようだが」

「その詩をベースにより長く楽しめますよう手を加えたものです」

「ほお……読んでも構わないか?」


 あら、意外にも父の食いつきがいい。

 これは“償わせる”日も思っていたより早く来るかもしれない。

 内心、舌舐めずりをしながらもそれはおくびにも出さないように表情は崩さない。


「ええ、どうぞ。拙いものですから、お父様を退屈させないといいのですけど……」


 手に取った原稿の重さに少しばかり目を見開いた父を眺めながら、私はこれから小説という娯楽をどう世間に認めさせるか考えを巡らせた。




 なお、父の作品への感想は『あー、いいんじゃないか?』という曖昧で参考にするには具体性に欠けるものだった。

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