第7話 詩の価値


「レティシアッ、今すぐ私の書斎に来なさい!」


 フルートのレッスン中、部屋の扉を蹴り開けた父は開口一番、そう告げた。


 ただならぬ様子に『書斎に勝手に入ったことを怒っている』と気づいた私はビクビクと震えながら父の後ろを大人しくついて行った。

 本は寸分違わず元の位置に戻したし、中身も熟読していないからバレてもそれほど怒られないだろうと思っていただけに、怒っている理由が分からなかった。


 しかし、よくよく父の立場になって考えてみればお仕事に必要な書類を無断で触られたらそりゃ怒るに決まっている。

 何かしたいと思ったら後先考えずに動いてしまう悪癖は異世界でも健在だった。

 こうなったら誠心誠意、心の底から謝るしかない。


 書斎のデスクに腰掛けた父は、少し赤みが引いて落ち着きを取り戻したけれど険しい顔のまま私を見据える。


「さて、レティシア。私の言いたい事は分かるな?」

「はい……ごめんなさい」

「私はルーシェンロッド家の当主としてあらゆることを把握する義務がある。そして、レティシア。君は令嬢として私に報告する義務もあるわけだ」


 うぐぐ……。

 理論立てて説教されるというのもなかなか精神的に堪える。


 しかし、大人に説教されるというのもこれはこれで新鮮なカンジ。

 中学・高校の頃の説教は反抗期もあって素直に耳を傾けられなかった記憶がある。

 これも小説の題材に……って、だめだめ。

 今はしっかり父の話を頭に入れないと。


 私を見つめていた父は、皺が寄っていた眉間をふっと緩めて息を吐いた。


「……反省しているならいい。これからお茶会や社交界で話した内容は詳細に報告するように」

「え?」

「ん?」

「書斎に無断で立ち会ったことを怒っていたのでは……?」


 恐る恐る父にそう告げると、「あー」となんとも言えない声を発しながら書斎を見渡し、困ったように眉を下げた。

 思っていたよりも感情が顔に出る人なのだろうか。


「確かに何冊か触った形跡があるな……。まあ、持ち出したり内容を誰かに言い触らしたりしなければいい。それにしても、書斎に何の用があったんだ?」


 どうやら、父は時間を持て余しているらしい。

 自分から話を引き伸ばすなんて、少なくともが知りうる限りは初めてだ。

 屋敷内にいる私や使用人、エリザベータよりも社会常識や外界の知識を知っているかもしれない。

 これはチャンスだ。


「吟遊詩人の詩を記した本があれば、お母様の心を慰められるのではないかと思いまして探したのですが……」

「吟遊詩人の詩を……? あんな各地を放浪しているだけの世捨て人の話を纏めて何の役に立つ?」


 父の顔にはありありと困惑が浮かんでいた。

 しかし、吟遊詩人を世捨て人と斬り捨てるとは思った以上に吟遊詩人の立場は低いらしい。


「各地の伝承を知ったり、後世に神話を残したりなど歴史的な価値がありますし、彼らの話を聞くのは見聞を広める良い機会になります」

「『見聞を広める』ねえ。それがどうエリザベータに影響するんだ?」


 なんだか含みのある言い方だったが、脳の片隅にピン留めして置いてまずは会話を進めることにする。

 父の反応を見る限り、文学的な価値を説くよりも実利に訴えた方が良さそうだ。


「そうですね。少なくとも吟遊詩人の話を聞いている間は静かになるかと。心を揺さぶる話であれば暫くは機嫌が良くなるかもしれませんね」

「……なに?」

「こちらから招待したり、近くに来るのを待つよりも本にしてしまえば常に詩を目にできます」

「つまり、やつの癇癪を防げるかもしれないということか?」


 よほど母のヒステリーが堪えているのか、父はそれきり黙って考え込んでしまった。

 もしかして、仕事に打ち込んでいるのは少しでも母の癇癪に巻き込まれたくないから?

 私が想定していたよりも苦労人なのかもしれない。

 そう思うと、額の皺によって生まれた陰影に深みが出ているように見えなくもない。


「しかし、これから吟遊詩人を呼んだとしても……うぬぬ。はっ!? そうだ、レティシア。お前、茶会での吟遊詩人がいないというならどこでその詩を知った?」


 話の流れで忘れていたが、お茶会で話していた吟遊詩人が実在しないと何故知ったのだろうか。

 私が知らないだけで、転生する前のレティシアには極秘裏に護衛がいたのか?

 まあ、いいや。ここは父の質問に正直に答えよう。


「私の完全オリジナルです。ありきたりなものですが……」

「君が詩を書いたというのか? むむ、にわかに信じがたいが……」


 一瞬言葉を切って逡巡した父はぶんぶんと頭を振る。


「あー、いや。この際だ、レティシア。お前に罰を与える。明日までにお茶会で話していた詩を紙に書いて私に見せなさい」

「明日まで、ですか? ですが、今日はこれから夜まで社交ダンスのレッスンが……」

「それは私から講師に直接話しておく。必要なものはメイドに用意させるから、完成するまでは部屋から出ないように」


 罰とは言い難い命令に私が目を白黒とさせていると、父はニンマリと笑顔を浮かべた。

 なかなか悪役にいそうな悪どい笑みである。


「ふふっ、よもや吟遊詩人にエリザベータを宥める価値があろうとは……! なるほど、夫人方がきゃっきゃと騒いでいたのも吟遊詩人の詩が理由だったのだな。物珍しさに沸き立っていたのだと思えば怖くない!」


 腰掛けている書斎の椅子をクルクルと回しながら鼻歌を歌う父。

 まだ私がいることを忘れているようで、子供のようにはしゃぎ、落ち着いた頃に視線がかち合った。


「……………………。」

「………………………………それでは失礼しますね」


 僅かに羞恥で頰を染めていた父からそっと視線を逸らす。

 そのまま無言で部屋を退出すると、背後でくぐもった呻き声が聞こえた。


 父の名誉を守るのも娘の仕事。

 私は何も見ていないし、何も聞いていない。


 それよりもまずは父の言いつけを熟してしまおう。

 上手くいけば、母の好みの系統や夫婦関係を探れるかもしれない。

 私は自室に戻って執筆に取り掛かることにした。

 ……が、どうにも父のハイテンションぶりが忘れられなかったのでそれもそっとメモしたのは内緒だ。

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