第6話 なんで小説ないの?
『一度言葉に嘘を混ぜると、その嘘を守る為に嘘を重ねる。ゆくゆくはボロが出ていつかは真実が明るみになる』とは誰の言葉だったか。
お茶会で『吟遊詩人から詩をいくつか聞いた』と嘘をついた以上、母のエリザベータにも詩を聞かせなくてはいけなくなってしまった。
短気な母のことだ。
好みから大きく外れた話だった場合、怒り出すこともありうる。
しかし、彼女の好みがどんな話かは分からない。
さっくりと純愛路線の不倫ものと試練を乗り越えて愛を深める夫婦ものを書いたが、これらは父と母の関係性によっては大爆発を引き起こす地雷になりかねない。
念の為に保険として前世のお伽話や童話を書き出しておいたが不安は尽きない。
いわゆる、プチスランプに陥りかけていた。
小説を書くのに欠かせないこと。
それはインプットとアウトプット。
自分の『書きたい』を突き詰めるのも大切だが、同じぐらい視野を広く持つことで創作の幅は広がる。
己の可能性を決めつけることはスランプに繋がる。
それに、新たな需要を探すというのもなかなか面白いのだ。
想像すらしていなかった新世界に触れることができる。
そう、あれは前世の父の部屋に忍び込み、ベッドの下に隠されていた『どすけべ◯◯パーティー二十四時〜百八の美女に囲まれて◯◯不可避の不倫三昧〜』という本を見つけた時のような……ってこれは黒歴史だ。
父の名誉の為にも闇に葬っておこう。
閑話休題。
とにかく。
折角、異世界に転生したのだから、この世界にしかないような物語を読んでみよう。
もしかしたら母ぐらいの年代が好むような物語があるかもしれないし、スランプ脱却の切っ掛けになるかもしれない。
そう思い至って今世の父、ルードの書斎に忍び込んでみたのだが……。
「……ないわ」
天井すれすれまで作られた本棚から試しに一冊抜き取ってページをめくってみるが、見事に領地の報告や罪人の処刑数に関する調査報告書しかない。
抜き取った本の他にも数冊見てみるが、どれも父の仕事に関するものばかり。
これはこれで面白いのだが、いかんせんレティシア自身も知らない単語があって暗号めいたものにしか見えない。
「はあ……」
そうこうしているうちに次のレッスンの時間が迫ってきた。
そっと元の位置に戻しながら書斎を後にする。
レティシアの部屋にあるものもマナーや楽譜の教本ばかりで小説のようなものは見当たらなかった。
私を呼びにきたリディを軽く労いながら、父が手配した家庭教師を出迎える。
にこやかに遠方から来たことを労い、さっそくレッスンのために楽器を準備している最中でも思考は止まらない。
父の書斎はどちらかといえば大学教授の研究室を彷彿とさせるような本のラインナップだった。
仕事をしているから、必然的にそのような本が割合を占めるのは
しかし、しかしだ。
レティシアという年頃の娘の部屋に設置された本棚の中身まで娯楽用の小説がない理由が分からない。
助けてくれた相手に恋をするほどの、恋に恋する乙女ならば恋愛系の小説が一、二冊あってもおかしくはないはず。
「それではレティシア様、基本的なフルートのレッスンから始めましょうか」
「あー、ええ、はい」
フルートを吹き鳴らし、小鳥が囀るような軽快な音が部屋の中に転がっていく。
可愛らしい音に控えていたリディが指でリズムを取っているのを視界の端で捉えながらも、私の思考は加速して一つの可能性を弾き出した。
すなわち、娯楽用の小説に社会的な価値が認められていない。
文学の歴史を紐解けば数々の名作も執筆された当時は遊びの延長線上に置かれては『くだらない』と嘲笑されてきた。
その価値が認められるまでに長い年月がかかったことは言うまでもなく、文学の価値は今もなお形を変え、姿を変え、色々な人に嘲笑されながらも進化を続けている。
この世界の文学も、もしかしたらまだ進化の兆しを見せている段階なのかもしれない。
困った、これは大いに困った。
日本にいた時のような言論の自由どころか、作品を公開できる場も必然的に存在しない可能性がとても高い。
そのあまりの悍ましい事実に気付いた私は思わず手元が狂ってリズムが外れた。
早春の小鳥の囀りはたちまち早朝威嚇し合う鴉のような音色に変わる。
「…………始めから演奏します」
「ええ、そうしてください。レティシア様」
氷の如き微笑を浮かべる家庭教師の威圧に冷や汗を流しながらいつのまにか捲っていた楽譜を番号順に並べ直す。
レッスン中に集中しないのはさすがに失礼だ。
気の緩みが招いたミスなので、心の中で自分を叱りながらフルートを構え直す。
すう、と息を吸って再び軽やかな音色を紡ごうとした矢先。
蝶番を壊しかねないほどの勢いで扉が開かれた。
「レティシアッ、レッスンは中止だ! 今すぐ私の書斎に来なさい!」
そこにいたのは髪色と同じ顔色をした父、ルードだった。
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