第5話 物語を作れて楽しい!
薔薇が咲き乱れる庭園で、私はサリーを相手に頭の中で書き上げた小説を諳んじる。
物語を紡いでいくこの快感に勝るものなど、きっとこの世にないだろう。
「────昔々、ある所に貴族の娘がおりました。
美しい外見をしていましたが、それを妬んだ姉からは虐められます。
新しいドレスも与えられず、舞踏会に繰り出す姉を横目に屋敷の掃除をする毎日」
「まあ……なんてひどい!」
「ある時、彼女は姉に虐められていた使用人の少年を助けます。けれど、姉は怒って父に根も葉もない話をでっちあげます。怒った父は使用人の少年を追い出し、娘を塔に監禁してしまいました」
飛び出しかけた悲鳴を手で押さえるサリー。
とても反応が良くて、見ていて面白い。
「誰もが娘のことを忘れた頃、その娘の父の元に一人の騎士が現れました。そしてこう告げたのです『あなたの領民を苦しめる魔物を討伐して見せましょう。その代わり、討伐した暁には末の娘、あの塔に監禁されている娘を私の妻としていただきたい』と」
「まあ? 一体誰なのかしら」
「父は『あの出来の悪い娘が欲しければくれてやる』と言い捨てました。その騎士は何も言わず、魔物を狩る旅に出ます。山を越え、谷を越え、たどり着いた洞窟の奥には山よりも大きな蛇の魔物がいました」
「そんなに大きな蛇の魔物が……!?」
蛇が嫌いだったのだろう、少しばかり顔を顰めるサリー。
動物博愛主義でなかったことに胸を撫で下ろしつつ、私は話を続けた。
「その身に毒を受けながらも蛇の魔物を討ち取り、その大きな鱗を背負って来た道を戻ります。ですが、それはとても困難を極めました」
「もう魔物は倒したのに!?」
「毒の苦しみ、襲い来る盗賊、娘が監禁されている塔が見えて来た頃には満身創痍。もう一歩も歩くことは叶いません」
「あ、あぁ……そんな……頑張って、騎士様!」
ここからがクライマックスだ。
既にサリーの心は掴んだ。あとは望む通りに描写するだけ。
「倒れ込む直前、騎士の脳裏に幼い頃の思い出が浮かび上がります。それは、自分を助けてくれた貴族の娘、今も塔に囚われている孤独な人の笑顔です」
「…………あの時の使用人の少年!?」
「折れた剣を支えにして、騎士は踏ん張ります。
『今、ここで私が倒れたら誰があのお方を救うのか。思い出せ、騎士になってあのお方を救うと決めた誓いを!』
毒でままならぬ身体を引き摺って娘の父に鱗を突き付けます。約束通り魔物を倒した。だからあの塔に監禁された娘を解放しろと」
ごくりとサリーが唾を飲み込む。
「そこに待ったをかけたのは娘の姉です。魔物を討ち取った騎士に一目惚れした姉は父を唆し、婚約しようと騎士を誘惑します」
「な、なんて浅ましい女なの!?」
「騎士はそれをすっぱりと断ります。そして冷たい声音でまた告げるのです。『あの塔にいる娘を解放しろ』と」
「…………ど、どうなっちゃうの?」
不安に揺れるサリー。
もう少し展開で虐めようかとも思ったが、視界の端で薔薇の紹介を終えた母が戻ってくるのが見えたので話を締めくくることにした。
「騎士の覚悟が固いと知った父は塔の鍵を騎士に渡します。『どこへなりとも消えてしまえ。いなくなって精々する』と。その鍵を手に、騎士は塔に向かい、娘に会うなり膝をつきました」
息を飲んでエンディングを待つサリー。
「『あなたをお迎えにあがりました。どうか何も言わず、私の手を取ってください。どこか遠い場所へお連れします』」
「…………っ!!!!」
「娘はじっと騎士の顔を見つめ、こう呟きました。『あなたはあの時の……』騎士の傷ついた鎧を見て息を飲み、涙を浮かべて騎士の手を取ります。そして、二人は夜の闇に紛れて消えるのでした……」
そうして締めくくったストーリーは基本を押さえたテンプレート。
ボーイミーツガール、そして純愛を貫いた二人の物語。
虐げられているところを異性が助けるというありきたりでありながらもハッピーエンドのお話。
時間さえあればもっと掘り下げることも出来たが、口頭で伝えるならこれぐらい短い方がいい。
「まあ、なんて素敵なお話なのかしら」
うっとりとしているサリーの後ろで、レティシアの母エリザベータとファーレンハイト侯爵夫人がぱちぱちと手を叩いていた。
母の顔を見て、私はさっと血が失せる。
彼女の顔には僅かに怒りの色が見えて、苛立っている気配が組んだ腕を握る手の強さから伺えた。
「レティシア、そんな素敵なお話を知っていたら私に教えてくれても良かったのに」
すぐに新鮮な話を先に聞かなくて拗ねているだけと気づいて、頭をフル回転させて彼女を宥める言葉を選ぶ。
「実は他にも吟遊詩人から聞いたお話がありますから、機会がありましたらお母様にもお話致しますわ」
「そう、それはとても楽しみにしているわ」
ふっと力が緩んだことを確認して、私は内心ほっと息を吐く。
さすがに人前で叫ぶほど自制心がないとは言わないが、目に見えて不機嫌になることがある。
客人がいるなかで不機嫌になるという最悪の未来は回避した。
「まあ、他にもお話を知っているの!? 聞かせて、聞かせて!」
好奇心に目を輝かせたサリーが私の手を取って鼻息荒く詰め寄って来た。
興奮して我を忘れているらしい。
サリーを私から引き剥がしたのはファーレンハイト侯爵夫人。
ライトブラウンの瞳を吊り上げている。
「サリー、いい加減になさい。もう帰る時間よ、ご挨拶なさい。ごめんなさいね、レティシアさん」
「いえいえ、私も楽しいお話を聞かせてもらいました」
「うー……まだお話したかったのにぃ」
むくれるサリー。
ここまで気に入って貰えたなんて、作者冥利に尽きるので少しだけサービスすることにした。
「次、会った時に
「うー……そういうことなら」
ついでに、暗にルーシェンロッド家は吟遊詩人と長い時間共にいられることをアピールする。
父と同じ派閥とはいえ、それでも牽制しなくてはいけない。
「…………っ」
微かにファーレンハイト侯爵夫人の瞳が鋭さを増したことに気付いたが、それでも私は微笑は崩さない。
やはり、サリーを焚きつけたのはこの人で間違いないようだ。
こうした貴族の駆け引きは面白い。
小説のよい題材になりそうだ。
ふっと夫人から視線を逸らしてサリーに微笑みかける。
「また遊びに来てちょうだい、サリー。親友のあなたなら大歓迎だわ」
「まあ、親友!? 絶対、絶対また遊びに来るわ!」
「ええ、待ってるわ」
ただ一人、貴族の駆け引きを知らないサリーは満面の笑顔を浮かべていた。
引き攣った笑みを浮かべる夫人と余裕を感じさせる笑みを浮かべるファーレンハイト侯爵。
それぞれ三者三様の雰囲気を醸しながら、三人は使用人に案内されて馬車が待つ屋敷の正面玄関を出て行く。
その背中を見送り、馬車が出発したのを見計らって父が私に話しかけてきた。
「レティシア、ファーレンハイトのご令嬢に失礼なことはしていないだろうな」
その顔は少しばかり不機嫌で、やはり当主同士の話でなにか合ったのだろうと察した。
「興味深いお話を伺いました。なんでも吟遊詩人とお会いしたとか……」
「やはりか」
「私もお話を聞いた御礼をせねばと思い、拙いながらも吟遊詩人から伝え聞いたお話をしました。大変気に入られたご様子です」
父の冷たいワインレッドの瞳が私を見下ろす。
紅の髪と白い肌が相まって『ドラキュラ』を連想してしまう。
「そうか。よくやった」
この数日で初めて聞いたポジティブな言葉に思わず呆気に取られる。
そんな私の心情の変化に気づく様子もなく、父はニヤリと笑った。
「ファーレンハイトの仰天した顔が目に浮かぶわ」
そう言って私に背を向けてさっさと執務室に向かう父の背中を見送りながら、母はポツリと呟く。
「まあ、あの人、笑うことができたのね。私、あの人が笑うところなんて初めて見たわ」
存外、夫に向けるには失礼な言葉に苦笑いを噛み潰しながら私たちも屋敷に戻る。
この二人の関係性も小説の題材になりそうだと私の直感が告げる。
いつか母の話をじっくりと聞く必要がありそうだ。
こうして微かにきな臭い香りを漂わせながらもお茶会という名の密やかな貴族の社交界は幕を閉じた。
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