通学路の千本桜

澄田こころ(伊勢村朱音)

山桜の公園

 薄いもやのかかる四月の朝。丘の上にある高校の校舎は、青みがかってよく見えない。

 冬の名残りのキンと張り詰めた空気が肌をさす。大きく息を吸い込むと、大輔の鼻奥がツンと痛んだ。


 生徒が登校するには早い時刻。赴任先の高校へ続く坂道を、ひとりのぼっていた。

 新しい職場への初登校。教師になって七年になるが、これほど緊張する朝はない。昨夜はなかなか寝付けず、早朝に家を出た。


 下ばかり向いていた顔をふっとあげると、坂道の通学路のそばに、小さな公園があった。

 放課後、生徒たちが立ち寄るにはかっこうの場所だ。背広のポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。

 

 公園入口のアーチ型の車止めをすりぬけ、中へ入った。公園の遊具は滑り台とブランコだけ。そして、奥には大きな一本の桜の木が植わっていた。

 ソメイヨシノが満開に咲く時期なのに、その桜は蕾がようやく開き始めたころ。蕾だけでなく、新芽も同時に出ていた。


「あー、これは山桜か」

 誰に言うでもなく、大輔の口から言葉がこぼれ落ちた。


 すると、太い幹の陰から白い人影がさっと躍り出て、大輔に気づき動きを止めた。白いセーラー服を着た女子生徒だった。つややかな黒髪は肩をこえて、重力に従い真っすぐのびている。


 大輔が赴任する高校の生徒だろう。こんな朝早く何をしているのか。教師の顔を忘れず、理由をといただそうとしたが言葉がでない。


 女子生徒はやや吊り上がった目で、大輔を真っすぐにみつめる。その目に射すくめられたように、身動きがとれなかった。

 

 ほうけたように立ちすくむ大輔から視線を外し、生徒は悠然と横を通り過ぎていく。

 振り返り、公園の出口へ向かう揺れる黒髪を大輔は見送った。


 狐につままれたような出来事。朝もやの早朝に、幻でも見たのではないか。大輔はそう自分に言い聞かせ、緩慢かんまんな動きで一歩を踏み出した。


 しかし、あの生徒は幻ではなく間違いなく実在した。大輔が受け持つ三年生のクラスの生徒、秋元桜子として。


                  *


 桜子は優秀な生徒だったが、影が薄かった。その存在は春の霞のように教室にとけこんでいる。

 早朝の公園にいた理由を何度も問いただそうとした。しかし、新学期のクラス担任は雑務に追われ、一度も桜子と話す機会を持てなかった。

 おまけに大輔は赴任してまもない。帰宅して持ち帰った書類を処理してから風呂に入ると、泥のように眠った。


 その多忙な日常の隙間に不思議な夢を見るようになった。夢の中で大輔は時代がかった装束を身につけ、白拍子の舞を見物している。


 片手には盃。ひとりではない。同じ装束の人々と酒を酌み交わし、舞台の上で繰り広げられる優美な踊りを鑑賞している。

 そして、扇で隠された口元から、漏れ聞こえる白拍子への称賛に、聞き耳を立てていた。


『なんと美しい白拍子』

『踊りがことのほかうまい』

『九郎どのがうらやましい』


 それらすべての賛美を、自分の事のように喜んでいる夢の中の大輔。

 あの白拍子は……


 その日も提出書類に不備があり、生徒の保護者と連絡がとれたのは夜の九時。それから仕事を片付けていると、大輔は最後のひとりとなった。戸締りをし、学校を出るともう十時。


 暗闇へとけこむ校舎に背中を向け、坂道をくだっていく。ぬるい空気が漂う春の夜。夜風にのって、白い花びらが視界を横切った。

 風上に目をやると、あの公園がひっそりとたたずんでいた。


 公園へ一歩足を踏み込む。生徒が食べたのだろう。駄菓子の袋が落ちていた。その袋を拾い、顔をあげる。

 朧月夜おぼろづきよの下、夜を忘れたように咲く満開の山桜。黄色の若葉がしげり、降りしきる雪のごとく、白い花びらを散らしていた。


 その白い落花らっかが夜目に揺れている。

 一人の少女が白いセーラー服をまとい、月下に舞をまっていた。夢の中の白拍子と瓜ふたつな優雅で静謐な所作に、大輔は一瞬で心を奪われた。


 目の奥に届く、ほっそりとのびる首の白さ。扇を持たぬのに、その形を想像させる手指のなまめかしい動き。

 足元から震えが全身を駆けのぼり、手にしたゴミくずはカサリと落下した。


「先生」

 その声に、遠い記憶の彼方をこらしていた大輔は、はっと我にかえる。

 目の前の秋元桜子は舞をやめ、ぽつんと所在なげに立っていた。


 教え子の真摯しんしな視線にひるみかけたが、見とれていたおのれを封印し、

「こんな夜遅くに何をしているんだ」

 と威厳をたもちつつ言った。


 いくらここが通学路そばの公園だからと言って、女子高生がうろついていい時間ではない。


 桜子は大輔から目をそらし、桜を仰ぎ見る。揺れる黒髪に月影がさした。

「夢を見たんです」


「夢?」 

 生徒の言葉をバカみたいに復唱する。


「何度も見る夢です。愛する人と別れる夢。とても胸がいたい」


「寝覚めが悪くて、ここで踊っていたのか?」

 いくら悪夢を見ても、ここで踊る意味がわからない。普通の女子高生ならば。


「だめですか?」


 それだけをいい、桜子は身をひるがえし、出口へ向かってかけていった。

 その後ろ姿を目で追い、胸の内でつぶやいた。


――おまえは、あの夢の白拍子なのか。


                


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