学校

 翌日。月曜日。

 昨日はよく眠れなかった。

 僕は下を向きながら歩いていた。

 行く先は学校の剣道場だ。

「あら、久葉くん?」

「おはようございます。千鳥先生」

 校庭で顧問の先生に出くわしてしまった。なにか大きな箱を抱えている。中に入っているのは、修理に出す防具だった。

「おはよう。久葉くんも道場掃除?」

「えっ?」

「もうみんな来てるわよ」

「あー、先こされちゃいましたね。かっこ悪い」

 僕は頭をかいて、作り笑いをした。

「いいのよ。競争じゃないわ。剣道は自分との戦いだから。道場掃除に取りくむのも立派なこと」

「はい」

「でも、夏休みの宿題もやること。推薦だからって、油断しちゃダメ」

「はーい」


 いつもどおり裸足で道場に上がると、足裏に何かがべったりとまとわりつくような感じがした。普段はこんなこと感じないのだけれど。

 先に来ていたみんなは、黙って掃除をしている。

 三年生たちは気まずそうな、後輩たちは訳のわからないといった顔だ。

 沈黙を破るのは僕の役目みたいだった。

「やっぱり、加賀美くんと関わっていた僕たち三年生が、ちゃんと決着をつけないといけないと思うんだ」

「先輩!俺も助太刀します!」

 二葉が条件反射みたいに言ってきたが、僕は首を横に振る。

「関係ない君を巻き込むわけにはいかないよ」

「でも!」

 僕は黙って首を横に振った。

「せんぱい。そもそもあの動画の人は誰なんですか?」

 三谷と鳥居が、僕を見つめる。

 またしても、気まずい沈黙だ。

「実はね、加賀美くんは僕たちをかばって、利き腕を駄目にしたんだ」


 あれは一年生の夏休み。調子に乗った僕と三谷、鳥居、それに加賀美の四人は、夜遊びに繰り出した。行ってはいけないと学校から言われていた場所に行ったのだ。

 真昼にはほとんど人がいない静かな場所なのに、夜になるとピンクや青のけばけばしいネオンサインが灯って、たくさんの人が集まる場所だった。僕たちは軽い肝試し程度にしか考えていなくて、お店に入らずに通りを抜けるだけなら、全然平気だろうと思っていた。

 でも、そうはいかなかった。僕がうっかり人にぶつかってしまったのだ。相手は不良グループの一人だった。不良はすぐに仲間を呼んで、僕たちを取りかこんだ。

 ガラの悪い連中相手に立ち向かえたのは加賀美だけだった。不良の一人が持つ竹刀をひったくると、大立ち回りをやってのけた。自分より大柄な男四人を相手に、あんなことが出来る人はそうそういないと今でも思う。僕たちは呆然と見つめているだけだった。

 争いのさなかに、金属バットが加賀美の右肩を砕いた。

 竹刀が地面に落ちる音を合図に、僕たちは逃げ出した。三人だけで。最初に逃げたのは誰だったろう。たぶん僕だった気がする。

 もしもあんなことがなかったら、団体戦で大将になったのは僕じゃなくて、加賀美に違いない。個人戦の優勝やスポーツ推薦も、僕のものではなかったかもしれない。

 もしもあのとき、僕がもっと注意して歩いていたら、加賀美の肩は無事だったはずだ。もしも僕のほうが見捨てられる側だったら、僕も加賀美と同じように道を踏み外したかもしれない。

 僕は友達を見捨てた罪を償うべきじゃないか?


「右肩壊したせいで、前と同じ剣道はやれんようになって、あとは、いつの間にかそんときの不良グループに混ざって、そのまま退学や」

「しばらくは部にも顔だしてたけど、オレたちとは口もきかなかったな」

「でも怪我したからって、そんなのおかしいですよ。その、高一なのに、四人をいっぺんに相手にしたんでしょう。リハビリとかすればきっと」

「二葉くん、ショックから簡単に立ちなおれる人ばかりじゃないんだよ」

「あ、はい…」

 昨日のことを思い出したのか、二葉はスマホを入れてるポケットに手をやって大人しくなった。

「これは、あのときの四人の、僕たちの問題だと思うんだ」

「たしかにこれは、オレたち全員の問題だ」

 三谷くんが、僕の目をじっと見た。

「いいか、決闘は犯罪だ。これから受験だぞ。全国大会優勝者のいる剣道部が暴力沙汰、なんて新聞に載ったら、オレたちの進路はどうなる?久葉、お前の推薦もおしまいだぞ」

「もしやるなら退部届書いてくれ。退学届にしろとまではいわん。どのみち、親のハンコもろうてくる時間はないからな。退部届でええ。とにかく、ワシも降りるで」

「先輩たち、それってひどくないですか?」

「加賀美は久葉の才能を羨ましがってた。だから、剣道を続けてる久葉が憎いのさ」

「そういうこっちゃ。アイツら二人の問題を、ワシらみんなの問題にされちゃかなわん」

 なんてどんでん返しだ。「全員の問題」の意味が違っていた。

 二人とも振り返らずに道場から出ていった。

 残されたのは、僕と後輩二人だけだ。

「退部届はどこだっけ」

「あ、はい。取ってきます」

 答えるとすぐ、新田は走りだしていった。

「先輩、やめちゃうんですか!?」

「うん。そうすれば、少なくとも剣道部の名誉は守れるんじゃないかな」

「それじゃ先輩が…」

 僕が黙っていると、新田が戻ってきた。

「せんぱい、退部届です」

「ありがとう。パシリみたいにしてごめん」

 退部届に署名して、日付も忘れずに書く。

「俺が先生に出してきます!」

「はい。ぼくも」

「駄目だ。君たち二人は、道場掃除にきただけ。何も見なかったし、何も聞かなかった。いいね」

 道場を出るときに退部届を置いていけば、先生が見つけてくれるだろう。

 僕は竹刀を手にとって、素振りで時間をつぶした。

 後輩たちには知らんぷりを決め込んだ。

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