84話 Wisp of Voodoo その2
リコとセイレンは正面玄関から入り、エントランスの中央付近にいた。
正面にあるエレベーター。その右側には二階に続く階段とエスカレーターが。左側には社員用と思われるカフェがある。
サンタ工房がバックについているだけあり、企業として一流の設備が整っている。
二人はお互いの姿が見えない中で、一定の距離を保ちつつ移動する。
訓練と経験。それが二人を繋いでいた。
二人は同時に一歩踏み出す。隣から足音が聞こえた。
音のした方を振り向くと、そこには自分が最も信頼を置く、相手の姿が現れていた。
「……なんということだ……この短時間でナッツがやられたというのか……」
リコは危機感を覚えた。ナッツと分かれてからまだ五分と経ってはいない。
にも関わらず、ナッツの居場所が特定され、撃破されるという最悪の事態がこうもあっさりと起きてしまった。
「どうやってナッツの居場所をロメロは見抜いたの?」
「わからない……だが確実に……見過ごしている何かがある……」
二人は顔を見合わせる。謎が解けない。それでも選択肢はある。
裏口に回りナッツの元へと向かうことだ。そこにロメロがいるかはわからないが、正体不明の危機が迫っており、その正体は見極められる可能性は高い。
だが外にはゾンビの大群がいる。透明化していなければ、裏口に回る前にゾンビの大群に見つかり、物量で押し潰されかねない。
「……どういうわけか、内部の警備は少ない。内部を通ってナッツのいる裏口へ回り込……」
「アリス以上の警備なんて存在しない。だから中には最小限のゾンビしか普段は用意していないの。経費の無駄だから省いてる。無駄な人件費は削らないとね」
セイレンの言葉に、ロメロが途中で割り込んだ。二階にある廊下の奥から、ロメロは姿を表した。周囲に八体のゾンビを引き連れて。
リコとセイレンは護衛の少なさに違和感を覚える。ビルの周囲に配備してあるゾンビをいまから手元に戻すのだろうが、それなら準備が整ってから出てくればいい。
「誘っているつもりか? 最上階で籠城しているのが最善だったはずだ」
「あなたたち二人に籠城なんて通用しないでしょ? いまさらゾンビの群れで止められないことくらいわかってる。私が直接出ないと、この戦いは終わらない」
ロメロは懲罰部隊の強さを、この約二時間で正しく認識した。
サンタ工房は懲罰部隊へは意図的に、それほど性能の高くない配達道具しか配備していなかったが、それを覆すだけの経験とサンタとしての地盤がある。
配達道具の性能差で押し潰せるほど、簡単な相手ではなかった。ロメロたちは突然の事態にも最善を尽くしたが、それだけでは足りなかった。
ロメロは最初、多くても二、三人の犠牲で済むと考えていたが、結果は配達道具持ちのサンタは彼女以外全滅。生きているのは重傷のアズサただ一人。
それだけの犠牲を払ったおかげで、リコの戦力をほとんど削ることには成功したが、これは予想を大きく上回る大損害だ。
生体認証を面倒な手続きなしで行えることから、リコを倒し、奪われた配達道具を取り戻せば戦力自体はある程度まではすぐに回復するだろう。
だが、今日失った者達と同じだけの戦力を手にするには時間がかかる。いや、もう二度と同じレベルにまで戻らないかもしれない。
訓練も必要だし、何よりも信頼関係の構築に時間がかかる。
アリスたち五人は、ロメロが支部局長という地位を手にする前に集めた仲間だった。
ロメロの世界を手中に収めるという夢と実力に同調した五人。
必要とあれば自分自身を犠牲にし、仲間の命を自分の手で直接奪えるだけの覚悟がお互いにあった。
二度とその関係は手に入らない。
ロメロはもう地位を手にしてしまった。こうなっては、ロメロの夢にではなく、地位に人材が集まってしまう。
それではダメだ。最終的にサンタ工房を出し抜き、初代サンタの遺物を手にする計画なのだから、地位に寄ってくるような人間は信用できない。
そういう連中は、しょぼい地位と引き換えに密告する。そういう連中は、平時はそれなりに役に立つが、肝心な時に裏切り、足を引っ張る。
ロメロはアリスたち五人を捨て駒のように扱ってはいたが、この世で最も信頼している仲間なのは紛れもない事実だった。
むしろ、信頼しているからこそ捨て駒にできた。自分のために死ねと命令して、死んでくれるからこそ全幅の信頼を置けた。忠誠心のない者にそんな命令をすれば、敵に寝返り情報を売られる。
アリスたち五人にそんな心配をする必要は微塵もなかった。
そんな全幅の信頼を置く仲間を使い潰す覚悟と決断力がなければ、サンタ工房を出し抜くことなど不可能だ。
そこまでする覚悟と、それに付いてくる仲間がいなければ、所詮は中級サンタでしかないロメロがサンタ工房支部局長の地位を手にすることは、絶対に無理だった。
今日こうしてリコたちをここまで追い込めたのも、全てロメロの非情で的確な判断の成果。
もし人材を惜しんでいたなら、ロメロは一時間近く前に、確実に死んでいた、
「失うには惜しい人材だったよ。あそこまで育てるにはすごくコストがかかったのに。もったいない……優秀なら誰でもよくて集めたサンタたちだったけど、いまではこの五人以外は考えられなくなってた」
ロメロのチームの信頼関係は、リコのチームとは似ても似つかない。だが、確かに一つのまとまったチームとして機能していた。
そのことは、直接相対したリコとセイレンが誰よりも理解している。
「戻らない物事にいつまでも囚われるのは頭の悪いことだから、そんなことはしない。だけど、報復はしないとね。ちゃんと報復はすると示しておかないと……何回もこんなこと繰り返されたら、時間も資源も、いくらあっても足りなくなる」
二人は既に一度、ロメロと交戦している。単純な戦闘能力だけなら、彼女はそれほど大きな脅威ではない。
だがサンタ戦の勝敗はそれだけでは決まらない。
リコたち懲罰部隊は戦闘能力に優れている。だがこれまでの死闘の連続で、ダメージを負い、普段の二割以下の力しか出せない。
それに比べて、ロメロはほぼ無傷だ。トキムネの切っ先を僅かに受けただけ。そんなものダメージに入らない。
そしてロメロの真の武器は、おぞましい悪に平然と手を染め、愛着を持っている仲間達ですら捨て駒にする、覚悟と判断力。それが彼女の本当の武器であると、これまでの激闘で散々味わった。
ロメロは強いサンタではない。ヌルの方が遥かに危険。だが、最凶という言葉なら当てはまる。
ロメロの判断能力はこれまでにない脅威だ。あれだけ暴れ回ったアリスたちを従えていたことからも、その実力は明らかだ。
「一つ約束しとく。あなたたちの死体は決してゾンビにはしない。使い物にならないような状態にする」
リコはトキムネに手をかける。セイレンは背後に配置してある巨大なスライムを操作する準備を整える。
ナッツの配達道具による暗殺を目指していたが、もうそれは不可能。直接戦闘で仕留めるしかない。
ロメロはその優れた頭脳で、ビルの内外に敷き詰めたゾンビ達の遠隔操作を全て行えるよう、余計な情報を隅に追いやる。
「殺し合いをしましょう。少しだけ楽しみなの。組織で雁字搦めだったから、こうやって……本気で殺したい相手と、殺し合えることがね」
リコとセイレンは、二階にいるロメロに向けて動き始めた。
それと同時に、ロメロは三階にいるゾンビに命令を下した。床を破壊しろ、と。
次の瞬間、三階の床は崩壊し、ゾンビの大群が吹き抜けの一階へと雪崩れ込んできた。
二人の頭上を覆い尽くす、百を越すゾンビの群れ。
その中には子どものゾンビいる。親子と思われるゾンビまで。
リコは躊躇わない。今度は迷わず斬る。二度とこんな悲劇を繰り返させない為に。
「リコが前に出て! 私が上をやる!」
「任せた」
セイレンは巨大なスライムを厚く、広く、傘のように頭上へと広げる。
リコは負傷した体を奮い立たせ、全速力で前へとひた走る。振り向きはしない。セイレンがリコの速度に合わせて、スライムでゾンビをなんとかしてくれる。そう信じて。
「スライムごときで、そいつらを止められると思う?」
スライムの傘が、三十体近くのゾンビを受け止める。だがゾンビの量がとにかく多すぎる。
スライムを広げられるのは、セイレンから半径十メートル。天井全てが崩れ、そこからゾンビが落ちてきているのだ。
十メートル防いだ程度ではどうにもならない。傘の外側からゾンビが次々と内側に入り込んでくる。
「防ぎ切れない!」
リコからロメロまでは高さにして三メートル。距離は十メートル。
リコとセイレンの距離は五メートル。振り向ける距離だが、時間が経てば経つほど不利になる。
リコはセイレンの声を聞いて、地面へトキムネを奥深くまで突き刺した。
「この辺りにあるはず……」
リコは水道管を狙った。これなら時間のロスは最小限でありながら、自分が戻るよりも大きな援護になる。
しかしトキムネを抜いても、中から水が溢れてこない。
「止めておくでしょ。能力を知ってるんだから。街の水道全部は無理だったけど、このビルくらい」
ロメロの対応は当然だった。スライム対策は水道を止めてしまえばいい。
外から持ち込まれる分は仕方ないが、それ以上は決して許さない。
建物を燃やして、スプリンクラーを起動させる手も考えていたが、そもそも可燃物がない。それに水道を止めることに頭が回ったロメロが、スプリンクラー対策を怠っているはずがない。
スライムの補給は不可能。
「どうす……」
「前しかない!」
リコは躊躇った。トキムネならゾンビを斬れる。リコが加勢したところで、この体で、あの大群が相手では厳しいが、少なくともセイレン一人であの数を長時間相手にするのは、不可能でしかない、
それでもセイレンは、リコに前進を求めた。
これだけの数を相手にする体力はお互いにない。勝機は速攻にしか見出せない。
「……っ……命令だ! 死ぬな!」
「リコの背中を守って死ぬなら悪くない!」
スライムの内部にいるゾンビだけでも潰したい。だが一体一体の耐久力が高く、この数では上手く力を加えられない。
セイレンは数を減らすことから、時間を稼ぐことに方針を切り替える。
スライム傘の量を少し減らし、地面にスライム盾を作り、内側に回り込むゾンビを受け止める。
「逃げ出さないのか? 貴様の力では私を止められはしない」
リコはロメロへ向かって一直線に駆け抜ける。
「勇ましいね。死に行くサンタにぴったり」
ロメロは動こうとしない。リコは二階へと続く壁を駆け上がる。
「それよりいいの? あなたの自慢の副官様が、死体に食べられちゃうけど」
リコは柵を飛び越え二階に到達。ロメロとの距離は三メートル。
リコの背後では、スライムの盾をゾンビが破り抜けようとしていた。
「問題ない。すぐに私が貴様を始末する」
「頑張って。応援してるよ」
ロメロは八体いる護衛の内、五体をリコへけしかける。
リコはトキムネに手をかけ、地面を蹴る。
初代サンタの伝説で語られる移動術、縮地。その域に到達せんとする、圧倒的な速度と共に、リコは五体のゾンビの間を通り抜ける。
次の瞬間、五体のゾンビは四肢を切断された。
ロメロにはリコが振るった刀の残像さえ、見ることができなかった。
ここまで負傷していても、リコの剣技は次元を超えている。かなり強い程度のサンタでは、捉えることさえ不可能だった。
「本物の懲罰部隊隊長ともなると違うね……
」
ロメロはハイサムを知っている。彼女とリコでは、同じ懲罰部隊隊長でも実力が違いすぎる。所詮、ハイサムはサンタ工房の圧力で隊長になっただけ。単純な試合であれば、この二人は勝負にならないだろう。
万全のリコはヌルと最低でも互角。それ以上であってもおかしくはない。だがいまは違う。弱り切っている。
その強さは計り知れないが、持久力はもうない。最終決戦だからと気力だけで、全力を出しているに過ぎない。
決して長続きしない、
「……とは言っても、このまま直接やったら殺されるね」
ロメロはそばにいるゾンビに、自分を廊下の奥へと放り投げさせた。この方が走って逃げるよりも早い。
「逃しはしないぞ」
リコは目の前の空間を切り刻む。そして巻き起こる、空間の圧縮。
空間圧縮による減速により、ロメロはほとんどリコと距離を離せないまま、地面に足をつけることになった。
「面白い動きをするね。強くない配達道具なのによくやるよ」
逃げられなかったにも関わらず、ロメロは焦らず、自力で背後へ跳ぶ。
何か策があるのかもしれない。だがリコは前を斬り拓く。セイレンを自分の夢の犠牲にしないために。
リコはトキムネで残り三体のゾンビを全て薙ぎ払う。
ロメロとの距離は二メートルと少し。
「貴様、さすがに前へ出すぎたな」
リコは更なる加速の為に、一歩踏み込んだ。
その瞬間、なんの前触れもなく、彼女の足元に直径二メートルの穴が空いた。
「……なっ……まさか……」
この浮遊感にリコは覚えがあった。そして、最悪の展開が頭を過ぎる。
リコの体が落下を始めたと同時に、巨大な二本のチェンソーが、地下の暗闇から襲いかかった。
「ぐっ……」
辛うじてトキムネでチェンソーを受け止めるが、真下には腹部の装甲を展開し、ミサイル兵器でリコを狙う、メイド服を身につけたアンドロイドがいた。
そして落下するリコをつけ狙うかのように、天井に張り付き、地雷を手に持つ、死体のように青ざめたパインがいた。
「貴様っっっ!!!」
リコは激昂した。サンタとして……なによりもリコとして。
リコはナッツが家族に向ける感情を知った。確かにナッツたち四人がしてきたことは、サンタとして許されないことだ。
だが、それでも、彼女達の願いはありふれた願いで、ただそれを叶えたかっただけだ。
残虐なサンタに奪われた家族を取り戻したかっただけだ。
ただ、家族と過ごすかけがえのない時間を取り戻したかっただけだ。
その可能性に、縋り付いただけだ。
リコだって何度も何度も願った。だが、命を賭して助けてくれた、二人のサンタとの約束があった。
だから決して、間違った道は歩まない。誰かを犠牲にするような安易な近道は歩むまいと、心に誓った。
だからといって、無数の誰かを犠牲にしてでも家族を取り戻したかったナッツ、パイン、クルミ、アリーの四人が……こんな結末で終わることを、平然と受け入れられるほどリコは、善くあることに酔ってはいない。
善くあることよりも大切で、譲れないものが世界に存在することを知っている。
だからリコは、そんな大切な存在を平然と踏みにじるロメロを……決して、許せない。
「配達道具持ちサンタの
ロメロに敬意や冒涜という概念はない。
あるのはシンプルな思想。この世にある全てを、自分の夢のため、徹底的に搾取する。
生まれ落ちたその瞬間から、死の黄昏に沈んだその後まで。
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