81話 Test Your Brave その1
ソニアは五メートル先のヌルへ向かってアクセルを踏んだ。この距離で煙突を打ったところでヌルは見切ってくる。かといって、バイクで轢き殺すことなど不可能。
それでもまっすぐ、ヌルへと走った。
「いいじゃろう。付き合ってやろう」
ヌルは残った左手でクナイを構える。
ヌルは動かない。ソニアが轢き殺そうというのなら、それに付き合う。それが重傷を負い、機動力の落ちたヌルの選択だった。
ヌルはサンタ膂力を左腕に込め、バイクとの距離が詰まるのを待つ。ソニアはアクセルを強く踏みつける。
そして両者の距離が一メートルを切る。
ソニアは引き金を引き、ヌルに向かって煙突が発射される。
それをヌルはクナイをサンタ膂力を込めた左腕で振るい、地面へと叩き落とす。
「万策尽きたか?」
「バカにしないでください」
ソニアはハンドル操作に全神経を集中させる。ヌルは回避するのか。それともすれ違いざまに切りつけてくるのか。
あらゆる状況に対応可能なよう、未来を予測し、心に余裕を作る。
「単調な攻撃じゃな」
二人の距離は僅か十センチ。ヌルはクナイでバイクの前輪を受け止めた。
「なっ……!」
ほぼ全速力で走行していたバイクを、ヌルは立っているのがやっとな体で、しかも片手で止める。
それはソニアが知るサンタの常識を遥かに超えた身体能力。
「ちと、期待外れじゃ」
そしてヌルは、バイクの前輪に食い込ませたクナイを軸に体を回転させ、速度の落ちたバイクへと乗り移った。
「隙だらけじゃ」
そしてバイクを操縦するためにハンドルから手を離すことのできないソニアの無防備な背中へ、クナイを深く突き刺した。
「あうぅぐっ……」
痛みにそれほど耐性のないソニアの頭に火花が舞う。視界が痛みで点滅する。
それでも、この痛みは覚悟していた。どこかで負う必要のある傷だった。だから、次の行動へと淀みなく移れた。
ソニアはバイクの操作を捨て、ヌルの左腕を両腕で掴む。
それと同時にバイクを全て指輪へと格納した。
「普通にやっても……勝てないことくらいわかっています……」
「それはその通りじゃろう。じゃが、この程度の捨て身……幾度も返り討ちにしてきたぞ」
ソニアはヌルを下にして地面に倒れこむ。先にヌルを地面に押し付けることで、落下のダメージを一方的に押し付けられると考えた。
そしてソニアの想定通り先にヌルの体が先に地面に接触した。
ヌルはサンタ膂力を込めた両脚で地面をしっかりと踏みしめ、衝撃を逃したのだ。
その勢いのままヌルは掴まれた左腕を振り抜き、逆にソニアを地面に叩きつけたのだ。
「保身のある捨て身は身を滅ぼすだけ……そんなことすらわからぬか」
叩きつけられた痛みと衝撃で、ソニアは倒れこんだまま動けない。
ヌルは追い打ちとばかりにソニアの背中へ、踵落としを放つ。
ソニアは背中に刺さったクナイを引き抜きながら、踵落としをギリギリのところで横転して回避する。
だがヌルはそこから蹴りに派生させソニアの腹部を狙う。
ソニアは咄嗟にバイクを展開させヌルの蹴りを受け止めるが、その一撃はあまりに重く、衝撃でソニアの体は五メートルも弾き飛ばされる。
「うっ……重……い」
バイク自体の重量ではない。ヌルの蹴りを受けた衝撃で両腕の感覚が消えてしまうほどに、勢いが乗っている。
「どう……すれば……」
答えが見えない。確かに保身を考えていたのは事実だが、ヌルを下にしてバイクから飛び降りることが、彼女に最大のダメージを与える方法であり、あの状況なら最善の策だった。
どうすればヌルに勝てるのか全く見えてこない。解けない知恵の輪。袋小路の迷路。そんな言葉が頭に浮かぶ。
この戦い、ソニアに答えは存在しないのかもしれない。そんな予感が胸を浸し始めた。
「惚けている暇ないぞ」
ヌルはソニアの背後にあるビルに、自分が持つクナイを引き寄せる性質を付与した。
思わず逃げ出したくなる。それでも、恐怖と絶望を押し殺し、バイクの前輪を具現化し、大剣のように両手で構える。
「腰が引けておるぞ」
ヌルは磁力による加速を加えた左腕を、サンタ膂力と気力を込めて振るった。
並みのサンタであれば死んでいる傷を負った状態で振るわれるクナイ。その攻撃に鋭さは失われていない……いや、それどころか重さは増し、音を切り裂くほどに加速している。
ヌルはギリギリのこの戦いを心から楽しんでいた。年甲斐もなく、我を忘れてはしゃいでいた。
ヌルの極限にまで昂った精神が、肉体の限界を置き去りにした。
「こんなの……受けられっ……」
ソニアはヌルの猛攻を凌ぐことさえ叶わない。前輪でクナイを受け止め、怯み、その隙を突かれ、体が斬られる。
ヌルが一撃放ち、ソニアは怯み、ヌルが一撃を放ち、ソニアは負傷する。この流れがただ繰り返された。
バイクの前輪とクナイでは、重量差で取り回しやすさに差がある。
だが二人の差はそこではなかった。ヌルであればバイクの前輪であっても、同じだけの戦果をあげるだろう。
二人の実力差はダメージの違いで埋まるような、そんな些細な違いではなかった。
超えてきた修羅場の数があまりにも違いすぎた。
ヌルは凌ぎ方を知っている。例え満身創痍の状態であっても、配達道具を操作する集中力が失われようとも、同格どころか格上すら喰う。そんな不可能をやってのけるだけの経験があった。
ソニアにそんな積み重ねはない。あるのはただこの一瞬に賭ける覚悟の強さだけ。ただカナンとキャロルを失いたくないという、後ろ向きの覚悟。
目の前に立ち塞がる絶望を乗り越えなければ、自分が自分でなくなるという恐れ。
「うぐぁっ……」
ソニアはヌルの攻撃を前輪で受け、その衝撃を利用して後方に跳んだ。しかし、ヌルの強烈すぎる威力を利用すると決めていたのに、全身に迸る衝撃で思わず呻き声が漏れる。
脳震盪を起こして意識が飛びそうな中、ソニアはバイクを完全に具現化させ、それに乗り込んだ。
「させぬぞ」
ヌルはソニアに向かってクナイを投げる。その狙いは正確無比。クナイはソニアの胸に命中する。
間髪入れず、ヌルは新たなクナイを一本取り出し、ソニアに刺さったクナイと引き合う性質を付与する。
「くぅ……」
ソニアはバイクのハンドルを掴み、磁力に抗う。
一本に加えられる力だけでは、ソニアをバイクごと引き寄せるには少し足りない。
「抗うか……ならば、こうするのみ」
ヌルは追加で四本のクナイを投げた。
ソニアは刺さったクナイをなんとか引き抜き、バイクのアクセルを踏む。
そして弧を描くようにハンドルを切ることで、投げられたクナイを回避した。
「ならば、追尾弾とでもするかの」
ヌルはさらにクナイを取り出し、それに引き寄せる性質を付与することで、回避されたクナイをソニアへと誘導した。
「これくらいなら……」
ソニアはヌルと距離を取るようにハンドルを操作し、追従してくるクナイを避ける。
ヌルはその動きに合わせてクナイを操作するが、ソニアのバイク捌きはそれなりに洗練されており、追いつくことは難しい。
それでもヌルはソニアに追いついた。
ソニアを追いかけて飛ぶクナイと、自分の体が直線に並んだと同時に、自分の体を引っ張らせたのだ。
「そうくると、思っていました」
これはソニアの意図した通りの展開だった。直線に並べば跳んでくると。
ソニアは向かってくるヌルへ向けて煙突を撃つ。
迎え撃つように放たれた煙突でさえ、ヌルは左手に持ったクナイで軽々と斬り落とし、バイクの前面に組み付く。
「さっきのようにはゆかぬぞ」
「わかっています」
ソニアは瞬時にバイクを九十度ターンさせることで、背後から飛来していたクナイを、フロントに張り付くヌルへ当てようと試みる。
「浅知恵じゃな」
ヌルは飛ばしていたクナイを反発させることで地面に落下させた。
キャロルほどの技量がなければ、ヌルの配達を逆に利用することなど、できはしない。
「……私の考えがあなたに及ばないことくらい、わかっています」
ソニアは高速でバイクを後退させる。狙う先はさっき叩き落とされた煙突だ。
それにバイクをぶつけて、跳ねさせる。それが狙いだ。
「無意味な策じゃな。成ったところで、意味をなさぬ」
ソニアはひたすらバックを続ける。
その間にもヌルはフロントから這い上がり、ハンドルを掴む。
「お主はここで死ぬ」
「まだ……です!」
ソニアはバイクを地面に埋まる煙突にぶつけ、跳ね上げさせた。
ヌルは平地を走るだけなら片手を攻撃に使えるだろうが、跳ね上がるバイクから振り落とされないためには車体にしがみつかねばならず、片手が塞がる。
隻腕のヌルはこの間、攻撃の手を封じられる。ソニアはそう考えた。
「悪くない考えじゃが、わしには届かん」
ヌルは前方のビルに、服の下に仕込んであるクナイを引き寄せさせた。
そしてヌルは車体から手を離す。そしてヌルの体ごとクナイはビルに引き寄せられ、すれ違いざまにソニアの胸にクナイを三本突き刺した。
「きてもらおうかの」
ヌルはビルの外壁にクナイを押しつけ、磁力で接着。
その状態で、ソニアの体に刺したクナイをビルの外壁へと引き寄せた。
「うぐっっ……」
ソニアはバイクごと勢いよくビルへと引き寄せられた。そんな中で、懸命に照準をヌルへ合わせ煙突を放つ。
ヌルはそれを難なく回避。煙突はビルの奥に埋まった。
「これで、終わりじゃ」
ソニアは勢いよく壁に叩きつけられた。
胸に刺さったクナイがビルに張り付き、身動きが取れない。ほんの僅かに手足が動かせる程度。
そんな無防備なソニアへ、ヌルは攻撃を加えた。片手は壁に張り付いたクナイを持ち、足で徹底的にソニアを何度も蹴りつけた。
「がっっ……ぅぐぅっ……」
僅かに動く手足でバイクを動かし、ヌルの攻撃を凌ぐ。
痛みに呻きながらも、バイクの角度を合わせ、自分の胸に刺さったクナイに向けて煙突を撃った。
そうすることで、刺さったクナイを三本全て、傷口は広がったものの引き抜いた。
「痛っっ……」
ヌルの蹴りは鋭く、ダメージは深い。胸の傷口も大きく開いた。
その痛みを無視し、ソニアは壁を蹴り地面に急降下する。
「逃しはせぬぞ」
ヌルもそれを追い、壁を蹴り急加速。
ソニアは真上から向かってくるヌルへ、煙突を放った。
ヌルはそれを体を逸らして回避。地面に仰向けに落下したソニアへ、クナイを突き刺した。
「あぁぁゔっ……で、すが、これで捕まえました」
ソニアは胸にクナイが深く刺さった痛みに叫びながらも、自分の脚をヌルの左腕に絡ませ、拘束する。
「落下してくる煙突をわしに当てるつもりじゃろう。そうするために、こうして攻撃をあえて受けることなどわかっておった」
「……わかっています……この方が手っ取り早く私を殺せると思ったことも……それは正しいと思います……」
ヌルは突き立てたクナイに力を加える。ソニアは脚の力でそれをなんとかおさえる。
自由落下を始めた煙突が二人に迫る。
ソニアはヌルの腕に巻き、バイクを指輪の中に格納することで、煙突の内部に入れる体勢を取った。
それに対応し、ヌルは煙突に巻き込まれないよう、体を小さくまとめる。
そしてソニアとヌルの上に煙突が落下し、二人を覆うように地面に突き刺さった。
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