82話 Test Your Brave その2
「私……勝ち方は一つも……その尻尾さえ掴めませんでした……それでも、負け方はたくさん思いつきました……」
ソニアは極限まで追い詰められていた。
周囲は煙突で覆われ、上にはヌルがいる。胸にはクナイが少しずつ、少しずつ、だか着実に、体の奥深くに潜り込んできている。
「そして……思いつく中で一番嫌な展開にどんどんなっていきました……そういう意味では、読み通りです……別に、読みが鋭いわけではありません……負けることなんて、誰でも簡単にできますから……」
ソニアは指輪を付けた右手をヌルの首元に回す。
「ここまできて、やっと……ちゃんと、捨て身をする覚悟ができました……こうまでしても、届かないかもしれませんが」
そしてバイク全体を、この狭い煙突の中で具現化させた。
「なるほど。潰す気か。しかし、不利なのはおぬしの方」
「わかっています」
バイクがヌルの背後で具現化を始める。しかし、周囲に空間がなく、少しずつ、少しずつしか具現化されていかない。
しかもヌルの背中が形になっていくバイクに押され、クナイを押し込む力が増す。
ヌルにマウントを取られたソニアは、バイクの具現化による圧力もあり、力比べではどうにもならない。
だが、そこにソニアは活路を見出した。
ソニアはヌルの左腕に巻き付けた脚の角度を少し変え、膝をヌルの腹部に押しつけたのだ。
「これで……挟みました……」
「いいじゃろう。根比べといこうか」
ヌルの背中はバイクで押され、押された先にはソニアの膝がある。ヌルの腹部をバイクと膝で挟んで潰す。それがソニアが見つけ出した、か細い勝ち筋。
だがヌルは一切うろたえない。ソニアの胸部に刺したクナイに、より一層力を加える。
ヌルが押され、クナイも押される、
ヌルを追い詰めるほどに、ソニアもまた追い詰められる。
「ぐっっっ……っぁぁ……」
クナイが深く刺さる。その激しい痛みと恐怖に耐えながら、ソニアはヌルの腹部を必死に圧迫する。
ヌルは至って冷静だ。勝つにしろ、負けるにしろ、覚悟はできている。
いまさら痛みや恐怖に呻いたりはしない。晩節は汚さない。
「そろそろ限界と見える」
「その……通りです……ですが、まだです……」
ソニアは手探りでバイクのアクセルを押した。
これが文字通り最後の一押し。これでダメならソニアも、カナンとキャロルも死ぬ。
三人の命を賭けた決死の足掻き。
「これが……私の覚悟……です」
バイクのエンジンがかかり、さらなる圧力がヌルの背中に加わる。それに負けじと、ソニアは脚に力を込める。
押し込まれるクナイを止め、ヌルの腹部を潰す。その一心で、サンタ膂力と気力を脚に集中させる。
ヌルはクナイを握る左腕に全霊を込める。
ミサイルを撃ち、ゾンビの群れと戦い、自律兵器を薙ぎ倒す。そんな激闘の果てとは思えない、地味で血塗れの最後。
エンジン音、そして骨と内臓が軋む音が響く。サンタと悪しきサンタの意地の張り合い。
「ずっあっっ……!!!」
ソニアの肺にクナイが届いた。それでも脚の力を抜かない。
ヌルの胃が潰れる。それでもクナイを握る力を緩めない。
傷で息が詰まる。圧力で息が詰まる。
どちらかの息の根が止まるまで、終わらない。
「こ……れが……私の……サンタとしての……」
ソニアはなけなしのサンタ膂力を脚に込め、不格好な膝蹴りをヌルの腹部へと叩き込んだ。
その衝撃でヌルの背中がバイクの前輪に巻き込まれた。
「……おぬしの……勝ちじゃ……老体がちと、響いたわ」
ヌルはバイクに轢き込まれ、煙突の外へと投げ出された。
「えほっ、えほっ……」
ソニアは咳き込みながら、煙突の外へと這い出した。
肺は傷付き呼吸が乱れている。刺さったクナイを引き抜けば、血液で気道が塞がって、窒息するだろう。
ヌルは最後、クナイを抜き損なったことで、ソニアの命は繋がれた。
「わしに……とどめを刺さぬのか……?」
バイクの前輪に巻き込まれ、後輪にも巻き込まれ、ボロボロになったヌルが満身創痍のソニアへ語りかける。
「……あなたは隙を見ていつでもカナンとキャロルを殺すことができました。人質に取ることだって……だから……です……」
二人の間に流れる、緊張と静寂。
甘さを見せればそこを突かれるのがサンタ戦。
それを誰よりも理解しているはずのヌルが甘さを見せた。
ソニアにその基準はよくわからないが、ヌルの中にある譲れない一線がそれだった。
だからソニアも自分の中にある、譲れない一線に従うことにした。根拠もなく、最善だとは思えないが、そうすることに決めた。
「……私はサンタになりたかったんです。私の憧れるサンタは、殺したりはしません」
甘いことを言っていることはわかっている。
それでもソニアは殺したくなかった。サンタとして、そして人間として。
ソニアは誰かの命を奪うためにサンタになったわけではない。
子どもたちに夢を届けたかった。誰かの夢を守りたかった。願いはそれだけだ。
「……甘いのう……そんなことでは、遠からず死ぬことになる……」
ヌルは眠るようにまぶたを閉じる。ソニアはその姿を見て、ヌルに背中を向けた。
これで決着は付いたと確信して。
その時、ヌルの右手が僅かに動いた。まるで弓を引くかのように。
その動きを視界の端でギリギリ捉えたソニアは、反射的に体を逸らした。その瞬間、ソニアの頭のすぐ横を、超高速でコンクリート片が通り抜けた。
「まずっ……」
ソニアはバイクを構え、ヌルの方を振り向く。こうなっては殺す覚悟を決めるしかないと、決意して。
だがその決意は空振りに終わった。
ヌルは生きていなかった。頭部がコンクリート片で潰されていた。
「……どうして……どうして……こんなことを……」
なぜこうなったか。その意味など分かっている。ヌルがなぜこんな決断に至ったのか、それもわかる。
それでも『どうして』という言葉が漏れた。
ヌルは配達道具を使用する時に、手の動作など行なっていなかった。
明らかにソニアに攻撃を予期させるためだけの行為だった。
ソニアが殺すことを選べないのならと、自決することを選んだ。
ヌルには闇に生き、手を汚してきたサンタとして、譲れない一線があった。
生き延びようとはしない。時が満ちたなら死ぬ。それが自分らしくあるということ。
たとえあがける余地が残っていたとしても、敗北したのなら死ぬ。
それが悪しきサンタとしての、ヌルとしての誇り。
「こんなことになるのなら……自分で殺しておけば……」
こんな結末をソニアは望んでなどいなかった。
こんな死に方、自分の手で殺すよりも、よっぽと罪深い。
ヌルはカナンとキャロルを追い込んだ。罪のない子どもたちを殺していた。
サンタとして倒さねばならない相手であったことは間違いない。
そのはずなのに、この結末はソニアの胸に後悔を刻み込んだ。
だが、振り向いている場合ではない。
もう体力も気力も全て使い果たし、立つことさえ難しいソニアだが、最後にやるべきことが残っているのだから。
ヌルとアリスは死に、辺りは静寂に包まれていた。
耳をつんざく砲撃音も、おぞましいゾンビの叫び声も聞こえない。
自律兵器の大軍は制御を失い、ロメロは機能を停止させた。サンタを抑えるには、力が足りなさすぎるからだ。
ゾンビの大群は、重傷のソニアたちにとどめを刺すことよりも、ロメロの元へ向かうことを優先している。
ソニアはボロボロの体を引きずりながら、ガレキに埋まるキャロルの元へ歩み寄った。
「いま、助けますから!」
ソニアは必死にキャロルを掘り起こした。しかし受けた傷が深く円滑に作業が行えない。
それでも体を動かし、一分近くかけてキャロルの全身を掘り出した。
「……私が気付けてなかっただけで……ソニアはとっても強い……サンタさんだったんだね……」
体にかかる圧力がなくなり、呼吸を行えるようになったキャロルは、咳き込みながらそんな言葉を口にした。
「キャロルはサンタさんにこんなに心配かけて……とっても悪い子です」
ソニアはキャロルを膝の上で寝かせながら、頭を撫でる。
そんな二人の元へ、カナンは地面を這いながら近付いた。
「カナン! 大丈夫ですか!?」
「死んではないから大丈夫……それより、キャロルの方が……」
カナンはソニアに近付くなり、キャロルのことを強く抱きしめた。
「……もう二度と……こんな危ないことしないで……次同じことしたら絶対……」
「……ちょっと……悪いことしすぎだったかもね……ごめんね……」
キャロルはこんなことをしても、カナンが喜ばないことくらいわかっていた。
それでも失いたくなかった。あんなに酷いことをしたのに、優しくしてくれる、プレゼントをくれる、サンタさんを失いたくなかった。
生まれてからずっとサンタに命を狙われてきたキャロルがずっと欲しかった、優しくしてくれるサンタさんとずっと一緒にいたかった。その一心だった。
「謝らなくていいから……いままでのこと全部、気にしてないから……もう、充分償ったから……だから、もう、私のために危ないことしないで……サンタさんとの約束……」
「……そういうことなら仕方ないね……でも、大事なサンタさんだから、見捨てたりしないよ」
「……だったら、キャロルに守ってもらわなくてもいいくらいに、強くならないとね」
キャロルはカナンの言葉に嬉しそうにしながら、二人に体を預けている。
「わがまま言っても……良いかなー?」
キャロルは恥ずかしそうに、そんな言葉を口にした。
「良いですよ」
「無茶言わないでね」
「……そんなこと言わないよ……もうちょっと、甘えても、良いかな……」
「ここからまだ甘える余地が残ってるなら」
カナンは笑いながら、そう返した。
キャロルはソニアの胸に飛び込んだ。
そしてカナンはキャロルを離すまいと、ソニアごとキャロルを背中から抱きしめる。
「サンタさんを守るのも好きなんだけどさ……ずっとこうして、サンタさんに守って欲しかった……」
「わかってる。私たちはキャロルに手を上げたりしないから。安心して」
キャロルにとってサンタは、自分の命を狙ってくる存在だった。
だけど、やっと出会えた。遠回りをして……懲罰部隊に入って、優しいサンタさんに出会えた。
自分のことを守ろうとしてくれるサンタさん。
キャロルは自分の方が強いことをわかっている。
カナンもソニアも、キャロルに守られる立場だということをわかっている。
それでも、キャロルは二人に甘えてもいいと思えた。
カナンとソニアはキャロルを必ず守ると、サンタとして誓った。
自分のために、戦って、泣いて、笑ってくれる。
キャロルは子どもとして、サンタさんに甘えても良いのかな……そう思えた。
「私では少し頼りないかもしれませんが」
「そんなことないよ。とっても頼りになるよ……だってちゃんと、カナンもソニアも約束守ってくれたからさー。明日からも寂しい思い、させないでね」
「はい。サンタさんとの約束です」
「もう読んだんでしょ。だったらそこに書いた通り。キャロルを絶対に一人にはしない」
カナンは他の子と同じように、キャロルのプレゼントにもメッセージカードを挟んでおいた。
そこに書いておいた通り。
子どもと交わした約束は必ず守る。それがサンタだ。
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