80話 Beat My Dream その3


「戦場で長生きする秘訣が何か……知っておるか……」


 ガレキの山を内側からかき分け、ヌルが姿を現した。


 降り注ぐビルの破片を磁力で操作して、なんとか隙間を作っていた。


 しかしキャロルの妨害もあり、無傷ではいられなかった。


 体のあちこちにガレキが当たり傷だらけ。砕けている骨や、潰れた内蔵もある。


 そして右腕の肘から先が千切れていた。キャロルに妨害される中で肘から先がガレキに埋まり、どうにもならず仕方なく捨てた。


 ヌルは満身創痍。それでも生きていた。


「用心深さ……単純な強さ……戦線に立たず、指揮官になること……知った風な口を利く者は皆、わしより先に死んでいった」


 キャロルの上半身はガレキの山から外に出ている。


 倒壊するビルの破片に当たることで溜まったゲージを使いながら、カナンを悲しませまいとヌルを妨害しつつ、外に出ようと懸命に努力した。


 それでもこれが限界だった。無敵になるためダメージを負い、また無敵になるためにダメージを負う……そうして全身血だらけになり、息をしているのがやっとの重傷を負った。


 キャロルが死にかけている。敵を嵌めるための演技ではなく、何か策があるわけでもなく、本当に死にかけている。


「長生きの秘訣は悪運が強いことじゃ……それに尽きる……こうして……卑怯にも負傷した者を狙い、相打ちに持ち込もうとしたにもかかわらず……こうしてわしだけが動けておる。恩恵を受けておるわし自身、受け入れ難い。生き残るべきは、信念を貫いたおぬしらの方だと言うのに……」


 キャロルとヌルの差命運を分けたのは運。降ってくるビルの破片の位置。その巡り合わせが、キャロルの方が悪かった。それだけの差だった。そこに実力など、ほとんど関係なかった。


 ヌルは埋もれて身動き一つ取れないキャロルと、下敷きにならなかったとはいえ、すでにボロボロで動けないカナンへ語りかけながらクナイを取り出す。


「許せとは言わぬ。いずれ報いを受けることになろう。じゃが、今日ではなかった」


 ヌルはキャロルへと近付く。とどめを刺すために。


「おぬしらは真のサンタであった。おぬしらは誰の記憶にも残らぬ、名もなきサンタ……じゃが、わしの命が消えるまでは、記憶に深く刻むと約束しよう。おぬしらの覚悟を」


 ヌルはクナイを振り上げる。その瞬間、風を切る音が聞こえた。


 ヌルは反射的に背後へ跳んだ。


 その直後、凄まじい速度の煙突が目の前を通り抜けた。



「カナンとキャロルから……離れてください……」


 ソニアのハンドルを握る手は、恐怖で震えていた。


 目の前にいる敵……ヌルは傷だらけ。片腕を失うほどの重傷を負っている。だというのに、勝てるビジョンが全く浮かばない。


 リコやキャロルを打ち倒したという事実に基づいた恐怖ではない。


 それは本能的な恐怖。狼に出会ってしまった兎は、死を予感する。それと同質の恐怖。


 相手は手負いの狼。牙は折れ、脚は動かない。だとしても、兎は生き残るために、立ち去らねばならない。逃げる以外に生き残る道は存在しない。


 決して、立ち向かってはならない。相手が手負いだとしても、絶対に勝てはしないのだから。それほど力の本質に差がありすぎる。


「面白い……おぬしのそれを蛮勇とは呼ばぬ。勇気じゃ。恐怖を自覚し、乗り越えようとしておる」


 ヌルはもはや指先一つ動かせないカナンとキャロルから離れ、ソニアの方へと、一歩ずつ、一歩ずつ、ゆらりと近付く。


「わしはアリスと約束した。キャロルとカナンは殺す、とな。その願いを果たすため、一度は邪道に堕ちた……しかし、それでも、闇に生きるサンタとしての誇りがある。この二人はどうせ動けはせぬ。いま殺そうと、後で殺そうと……仮に殺し損なったとしても、ロメロとアリスの足枷にはならぬ。そこまでわかりなから、おぬしのような勇気を振り絞る者を前にして、無抵抗のサンタを殺すのは、粋な行いとは言えんじゃろう」


 ヌルはクナイを構える。彼女にはもう最初のように、動き回る体力はない。


 戦いながら自律兵器をここに移動させる程度のことですら億劫だ。


 それでも、ソニアを殺す程度のことならやれる。


「じゃから、おぬしが選んではくれぬか? おぬしがわしに立ち向かうと言うのなら、二人の始末を先に伸ばそう。逃げると言うのなら、おぬしを追うことはせぬ。そもそもこの体では追いつけぬ……その代わり二人をこの場で殺そう。どうじゃ?」


「……そんな脅しに、屈して、私が逃げると……思っているんですか?」


 震えが止まらない。止めようとしても、恐怖が胸の底から湧いてくる。


 やめておけと、心の芯が叫んでいる。立ち向かえば死ぬと、理性が絶叫している。


 その声は鼓膜が破れそうなほど、強く響いている。いっそ聞こえなくなって欲しい。だが決して、消えることはない。


「……カナンは、どうしようもない、落ちこぼれの私を見守ってくれました……」


 それでもハンドルを握る。決して離さない。本当に怖いことが何か……本当に自分が失いたくはないものは何か……ソニアはわかっている。


「……キャロルと約束したんです……サンタとして、寂しい思いはさせないと。あなたに立ち向かうのに、これ以上の理由が必要ですか……」


 決して見失わない。痛みや死の恐怖に負けて、見失うことだけはしない。


 ソニアとキャロルの関係はそれほど深くはない。それでもキャロルは、ソニアとの約束を守ってくれたことくらいわかる。


『カナンを助けてください』その言葉を。


 だから、ソニアもキャロルとの約束を守る。サンタとして。



 ヌルの心は震えていた。


 ソニアは彼女がいままで無数に殺してきた、有象無象以下の力しか持たない、取るに足らない三流サンタでしかない。


 しかしその実力とは不釣り合いな、サンタとしての強さを持っている。


「確かに、その通りじゃ……まさしくその通り。それ以上の理由など、サンタに存在せぬわな」


 その覚悟に、ヌルはヌルなりの敬意を評した。


「おぬしのサンタとしての望みを踏みにじることは誓ってせぬ……三人一緒に同じ場所へ送ってやろう。さすれば、寂しくはなかろう」


「……その通りです。ずっと三人一緒です……だから、寂しくはありません」


 どうやってもハンドルを握る手が、震えて震えて止まらない。止まらない。これまでの人生で一番怖い。


 ルシアにペンダントを渡すよう強要され、訳がわからぬ間に、懲罰部隊に殺されそうになった時よりも、よっぽど怖い。


 電車の中で透明なコンテナに閉じ込められ、袋叩きにされた時よりも、よっぽど怖い。


 バイクにゾンビが取り付き、足を噛まれ……矢印で飛ばされた屋根に吹き飛ばされた時よりも、よっぽど怖い。


 本当に怖いことからは、逃げ続けてきた人生だった。


 人と壁を作ることで、耐え難い別れを避けた。


 挫けることが怖くて、夢を持たず、他人に良いように使われることを選んだ。


 それが決して強くなどないソニアの、最善の生き方だった。


 それでも逃げられない。逃げてはいけない。


 懲罰部隊に入り、決して別れたくないと思える人と出会った。


 懲罰部隊に入り、身の丈に合わない、サンタらしい夢を持っていたことを思い出した。


 ここで逃げてしまえば、自分の大切な全てを失ってしまう。


「……ソ……ニア……に……げて……」


 キャロルが声を絞り出す。


 カナンは強い願いを込めて、ソニアを見つめる。ここから逃げてと。


 ソニアはふたりに向かって、首を横に振った。


「キャロルは悪い子なんですよね……だったら最後まで、サンタさんを頼ら困らせなきゃ……ダメです……」


 アクセルを踏む。勝算など知ったことか。


 逃げることが弱くてちっぽけな自分の最善なことくらいわかっている。


 だとしても、サンタとして立ち向かわねばならないのなら、立ち向かう。


 自分にとって本当に大切な決断は、最善かどうかでは決めさせてくれない。


 だったら、辛くて、痛くて、息苦しくて、怖いことを受け入れて、震えながら前に進むしかない。


「私がカナンとキャロルを守ります。サンタとして」

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