79話 Beat My Dream その2
アリスが姿を現した。自分の通った道に、ゾンビを配置しながら。
アリスは念のために、廊下の扉を閉める。ナッツが入ってきた時、開閉音で気付けるように。
ゾンビは透明化したナッツに反応しないが、セイレンの逃げ道は塞げるし、ゾンビが透明化すればロメロが消えたことを知らせてくれる。簡易的なセンサー兼地雷としては悪くない。
アリスがいますぐ可能なナッツ対策としては、これが最も効果的。
「ナッツに気付いてる……まずい……」
アリスは不格好ながら挟み撃ち対策を行なっている。死にかけで満足に動けないからこそ、戦術でその穴を埋めようとしていた。
アリスはセイレンがいる方向へとゆっくりと歩いた。奇襲を受けぬよう、慎重に。
二人の距離は五メートル、四メートル……
セイレンはスライムを構える。
三メートル……まだ、待つ。もう少し近くなければ、奇襲は成功しない。
二メートル……いまだ。これ以上は、気付かれる。
セイレンはスライムと共にアリスの前へと飛び出した。
そして懐中電灯のスイッチを入れ、アリスの目に向かって光を収束させた。
「うっ……」
突然の眩しさにアリスが怯んだ。セイレンはその隙を逃さない。
スライムをアリスへ向けて放ち、自分も同時に突っ込む。
「……似たようなことをされた経験くらい、あるんですよ」
アリスはサンタ膂力を込めた拳を、勘だけを頼りに放つ。
それをスライムで受け止めながら、セイレンはアリスの腹部へ蹴りを叩き込む。
「ぐっ……痛いっ、ですね……」
アリスはその攻撃の威力を和らげようとすらしなかった。自分はロメロとの未来を”歩まない”。ここでロメロの障害を排除し、それで終わると覚悟した。
そんな相手に一撃で殺せない攻撃を加えるのは、ただ隙を晒しただけでしかない。
「なっ……」
満身創痍のアリスが放つサマーソルトが、セイレンに直撃する。
痛み分け。いや、攻撃を喰らう覚悟をしたアリスの方が、より多くのダメージを与えた。
「視界が戻ってきました……」
アリスは血を吐きながら、セイレンを睨みつける。
セイレンはそんなアリスを見て思う。ロメロはこんなにも傷付いた状態になり、確実に死ぬと覚悟してまで彼女のために戦おうと思えるほどのサンタなのかと。
直接相対したコールやヌルもまた、ロメロのために命を捨てた。優秀なサンタである彼女たちがそこまでするほどの価値がある存在なのか。
セイレンはその疑問を口にしない。命を賭して仕える相手は人それぞれだ。
「……ロメロは……そこまでしたいと思える相手なんだね……」
セイレンは立ち上がる。彼女はリコに預けた。副官として、自分の夢を。
アリスは捧げた。自分の全てを。ロメロの側に仕える、秘書として。恋人として。ただ、利用されているだけとわかりながら。
アリスはスライムの中にある懐中電灯と自分の位置を入れ替えた。
その行動は完全にセイレンの予想を超えていた。反応が遅れる。
アリスはスライムの中で動きが鈍るが、セイレンの胴体に拳を叩き込む。
セイレンがスライムを操作して、アリスを押し潰そうとするが、その時にはすでに彼女の背後にある消化器と位置を入れ替えていた。
「うぐっ……」
アリスの回し蹴りが背中に刺さる。
「遅いですよ」
死にかけのアリスは強かった。致命傷ですら避ける必要がない。一撃で即死しない攻撃ならためらいなく受ける。だから通常考えられない危険を伴う攻撃を、平然と仕掛けてくる。
そしてキャロルと戦った後だからか、セイレンほどの実力者ですら弱く感じる。とても戦いやすい。
「だったら……」
セイレンは自分の周囲をスライムで覆い防御を固める。
アリスは攻めることをやめない。スライムの中に落ちていたペンを投げ入れ、それを視界に映るゾンビと入れ替える。
「わざわざ自分から……逃げ道を塞ぐとは……愚かですね……」
スライムの中をゾンビが泳いで、セイレンの胸を掴む。
セイレンはそれを肘落としで対処するが、その間にアリスがスライムの側面を回り込んでくる。
「捉えました」
アリスはセイレンの脇腹を狙い、サンタ膂力を込めた拳を放つ。
セイレンはスライムを脇腹に伸ばして威力を和らげつつ、そのスライムでアリスの腕を包み込んで、動きを封じる。
そして動くことのできないアリスの傷口に触れようと手を伸ばす。
「その運用は想定済み……ですよ」
アリスはうろたえることなく、セイレンの背後に迫るゾンビと位置を入れ替え、彼女の背中を蹴って距離を取る。
「ぐっ……捕まえられない」
「ここで死ぬつもりですから……だからこそ、まだ……捕まるわけにはいきません……」
アリスはゾンビの群れの中に飛び込み、周囲のゾンビを次々とセイレンの周囲に入れ替えていく。
その間、アリスは背中をゾンビとぴったりとくっつけ、抱きしめてもらう。
廊下の扉が開く音がした。ナッツが入ってきた。
ナッツに刺された時、その痛みに反応して致命傷を避ける体力はもう残っていない。
背後はゾンビに、心臓や喉などの急所はゾンビの腕に守ってもらう。
ロメロが操作するゾンビに抱きしめてもらう…… それはまるで、ロメロに直接抱きしめてもらっているようにさえ感じられた。
きっとこれが最期の逢瀬。直接ではないが、心はきっと、ここにある。
「背後からは無理……だったら……!」
ナッツはゾンビの群れをジャンプで飛び越え、アリスの頭部を狙う。
しかしアリスの頭部はゾンビの頭で隠れて攻撃できない。
ナッツはアリスの目の前に着地し、ガードされていない腹部にナイフを突き刺した。
「うぐっ……こうするしか……ないでしょう……?」
アリスは姿の見えないナッツの腕を、傷の位置から推測して掴んだ。
「あなたの配達道具を無傷でやり過ごそうとすると……厄介極まりありませんが……被弾することを受け入れてしまえば、大したことありませんよ……」
アリスはセイレンの近くにいるゾンビと入れ変わる。
そして背後を振り向き、ナッツがいそうな場所をゾンビで埋め尽くした。
「ロメロ様……あとは任せました……」
ナッツの正確な位置を誰も把握していないが、ロメロの操作は正確だった。
ゾンビは的確にナッツに組み付き、無色透明の肉を喰い千切った。
アリスはナッツをそばにいないロメロに一旦託し、ゾンビをスライムで凌いでいるセイレンに確実なとどめを刺しに向かう。
「まずい……」
セイレンに迫るゾンビの力は強い。この一箇所に集中しているからか操作も精密。スライムで押し留めるだけで精一杯。
スライムの操作に全神経を集中させなければ、やられてしまう。
それでもなんとか、反撃くらいなら加えられる。
「あなたをこの一撃で殺します……その反撃を受けたあと、ナッツを殺します。それが私の最後の仕事……」
「サンタとして……お前たちと相入れることは決してない……だけど、お前の副官としての覚悟は本物だって……尊敬する……だけど、私は、まだリコと前に進みたい」
アリスはセイレンに向かって駆け出した。自分の持てる全てのサンタ膂力を込めた蹴りを放つ。
セイレンはわずかなスライムで覆った両腕をクロスさせ、受け止める。
「この程度では捉えられませんよ」
アリスはセイレンの背後にいる、スライムで押さえつけられているゾンビと入れ替わり、回し蹴りを放つ。
「ぅっっ……」
「いっっ……」
回し蹴りが直撃したセイレン。
スライムの中に入れ替わり、スライムの力で右腕をへし折られたアリス。
アリスは痛みを恐れることはなく、また別のスライムで押さえつけられているゾンビへと入れ替わり攻撃を放つ。
そのアリスをセイレンはスライムで攻撃する。
そうしたやりとりが何度も、何度も、繰り返される。
一撃を入れて、一撃を入れられる、泥仕合。そこにサンタらしさはない。
それは二色の意地の張り合い。
仕えると決意した人を守るため。仕えると決意した人の役に立つため。
サンタとして正反対の二人が、同じ志を胸に、殺し合う。
「ぅっっっ……やっと抜けられた……」
ナッツは手足を二箇所ずつ噛み千切られながらも、取り囲むゾンビを透明にすることで、ロメロの操作を断ち、逃げ出した。
そしてセイレンとアリスの方へと全速力で駆けた。
「ごめん。ナッツに抜けられた」
アリスに通信が入った。それは他ならぬ、いま一番聞きたいロメロの声だった。
「わかりました」
これがロメロと交わす最後の言葉だと、アリスは心のどこかで確信した。
「アリス……あなたのこと、そこまで大切に思ってはいなかったよ」
ロメロがアリスに伝える言葉は短く、残酷なものだった。しかしアリスに悲しさはなかった。
わかっていたことなのだから。愛されていなかったとしても、アリスはロメロのことが大好きだったから。
自分の愛する人に使えること、それが幸せだったから。
「……はい……わかっています」
「だから私は振り返らず、前に進むよ」
ロメロのために汚れ仕事をした日々は楽しかった。帰ってロメロに抱きしめてもらえるから。
ロメロのために仲間たちと過ごした日々は楽しかった。初めて仲間と友達ができたから。
自分には似つかわしくないほどに、充実して、幸せな毎日だった。
「……はい!」
最愛のロメロと交わす最後の言葉がこんな物だなんて……とても……ロマンチックだ。
自分がいなくなっても、ロメロは夢に向かって一直線に進んでくれる。
それが約束されているのなら、安心して邪魔者を道連れにできる。
ロメロから勇気をもらったアリスは、ナッツが来るよりも早く、セイレンを殺すため、最も危険なゾンビと入れ替わった。
セイレンが肘落としで撃破したゾンビと入れ替わる。
「そう来ると思ってた」
セイレンにスライムの残りはない。防御はしない。
アリスの手刀にあえて飛び込み、自分の右肩に突き刺さらせてやる。
「抜けないっ……」
手刀に刺さることで相手の動きを封じる力技。セイレンにはこれしかなかった。アリスが捨て身なら自分も捨て身。
セイレンはアリスの右肩の傷に手を伸ばす。
「……これで……動きを封じたつもりですか?」
アリスの正面にはセイレンの体があり、入れ替えられないが少し首を曲げればそこにゾンビがいる。
「逃げ道はいくらでもあります……」
「間に合えっ!」
ナッツに根拠はなかった。ただ、できることをした。
手を伸ばし、アリスが選びそうなゾンビに香水を吹きかけ、消した。
そして、自分の透明化を解除することで、アリスの視界に写る物体を少しでも減らそうと、懸命にあがいた。
「これは……最悪……ですね……」
入れ替えられる物体がない。首の角度を変えるだけの時間もない。
「……肝心な時に……お役に立てませんでした……」
セイレンは自分とナッツの傷を見て、決してそんなことはないと、思った。
これだけのダメージ、とても無視できない。ロメロとの決戦で深刻な影響が出る。
アリスが命を賭して与えたダメージは、確実にロメロの役に立つ。
「悔しいけど……あなたはロメロの役に立ったよ」
セイレンは賞賛の言葉を送った。仕えると決めた人のために命を賭けた。その覚悟に、敬意を表した。
セイレンはリコが与えたアリスの肩の傷口に触れ、彼女の血液を一斉にスライム化させた。
全身に張り巡らされた毛細血管の端から端まで、脳を巡る血液まで全て同時に。
そして、血液スライムを一気に引き抜いた。
アリスの体が一瞬で青ざめ、力を失い床の上に倒れ込んだ。
「懲罰部隊を名乗りながら、自分からは殺さない人の集まりだと思ってた」
「……私以外のみんなもやるよ。ただ、好きじゃないだけ。サンタの仕事は殺しじゃないから」
セイレンはアリスの瞳を閉じさせ、リコの元へと向かう。
「どうだか。配達道具なんて兵器を遺したらどうなるかなんて、初代サンタはわかってたでしょうに。こんなの造ったってことは、伝説に謳われるほどの存在でも、きっと殺してたよ」
「……使い方だよ。私はそう信じてる。きっとこんな運用は、初代サンタの望みじゃなかった」
周囲のゾンビは掃討した。外の自立兵器はヌルの制御下にない。どうとでも切り抜けられる。
「それで、これからどうするの?」
「カナンとキャロルの方へはソニアが向かってる。私たちはロメロの方へ向かう。アリスとロメロが敗北して、極限まで追い詰められてる。逃げ出すかもしれない」
ロメロが逃げ出してしまえば、世界のどこかでまた誰かが強化兵士とされ、戦場に送られる。
ロメロの持つ配達道具を奪い、処分しなければ、この悲劇は何度でも繰り返される。
「そうだね。時間は限られている」
カナンとキャロルのことはソニアに任せた。ロメロの方へと向かい、ゾンビをロメロ自身に集中させる方が、ソニアの役に立つはずだ。
三人は透明化してロメロがいるであろう場所……サンタ工房の表向きの顔である、トイズ・ファクトリー、その本社へと向かう。
全ての決着をつけるために。
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