75話 Decision and Duel その1
アリスはキャロルを相手に、辛うじて生き延びていた。
キャロルには近距離の転移を用いた猛攻も通じなければ、レンズに付着した血を拭う隙さえ与えてくれない。
あまりに絶望的な状況で、アリスはひたすら耐えた。
ロメロかヌルがなんとかしてくれると。それまで耐える。仲間を信じて。
「私のサンタさんをあんなにしたんだから、手加減しないよ」
キャロルの猛攻は止まらない。アリスは紙吹雪を用いて、近距離ワープでひたすら回避に徹する。
攻めっ気を一切出さなければ多少は凌げる。アリスとて極めて優秀なサンタなのだ。
それでも相手が悪すぎる。キャロルはサンタの常識を超越した怪物。
そのうえ、いまのキャロルはなぜか、アリスがデータで聞いていたよりも、身のこなしが洗練されている。
暇つぶしとはいえ、ヌルと手合わせしたことのあるアリスの目から見ても、キャロルの対応力は異常だ。
もうアリスがどうこうできる相手ではない。配達道具が万全だったとしても、攻めれば確実に返り討ちにされる。長距離転移が可能だから、逃げられる程度の差でしかない。
「うっ……それだけの強さがあれば……どれだけロメロ様のお役に立てることか……」
「勧誘してるつもりなのかな? 残念だけど、悪い子だから自分のやりたいことしかやらないよ」
「いえ……矛盾するようですが、あなたがロメロ様に仕えていなくてよかったと思っています。あなたがロメロ様の側にいたなら、私は捨てられていましたから。そうでなくとも、嫉妬で自殺しています」
「なかなか気難しいねー」
キャロルは渾身の前蹴りを放つ。アリスはそれをなんとか両腕で受け止めるが、腕の骨にヒビが入る。
それどころか受けた衝撃だけで、胸骨が折れかけるほどの衝撃が全身を駆け巡る。
「ぐっ……はぁ、はぁ……」
アリスは全身血だらけ。キャロルを相手に近接戦を三分近く行い、生き延びているだけで、並外れている。
本人の技量と配達道具の力。そのどちらもサンタ協会でもトップクラスだから、まだ生き残れている。
アリスもまた下級サンタとして、埋もれていた者。だが世界には絶対に越えられない壁が存在する。
「痛めつけるのって、あんまり好きじゃないんだよね。もうさすがに倒れてくれないかな」
「ロメロ様のため……倒れるわけにはいきません……」
アリスの体は満身創痍をとっくに超えている。執念だけで立っている。
ロメロのチームは皆、意志が強い。その行いは悪しきサンタそのものであるのに、真の強さを持っている。
「認めるよ。強敵だったってさ」
キャロルは一切攻め手を緩めない。心で相手を認めこそするが、行動には一切反映されない。
敵は徹底的に潰す。情報が必要なら捕らえる。必要ないなら殺す。その生き方しかキャロルは知らない。
キャロルは躊躇いなく、最早立っていることしかできないアリスへ、サンタ膂力を込めた拳を放つ。
「アリス! 伏せよ!」
その瞬間だった。
ヌルの声と共に、大量のクナイがキャロルへと降り注いだ。
そしてクナイを一本、アリスの背後へと投げる。それと同時にカナンの方へも、十六本のクナイを投擲する。
「奇襲のつもり? ちゃんと読めてるよー」
セイレンからこっちにヌルが向かっているという連絡を受けていた。
キャロルはアリスとの戦いで、ゲージを最大の三本まで溜めた。一度も無敵時間に入ることなく、マックスを維持していたのだ。
キャロルは迷うことなくゲージを二本消費して、0.5秒の無敵時間に入る。
ヌルはキャロルの無敵時間を考慮して、タイミングを少しずつズラしてクナイを投げた。
だがその程度のことは、キャロルには小細工以下でしかない。
投げられたクナイ見れば、最適な無敵時間の長さくらいわかる。
キャロルはアリスの眼前へ飛び込み、視界を塞ぎ、僅かな転移も許さない。
ヌルはアリスの服の下に仕込んであるクナイに、引き寄せられる性質を付与する。
そしてアリスの体が、彼女の背後に投げられたクナイへと引き寄せられる。
キャロルは無敵時間でクナイを受け止めながら、離れていくアリスへ拳を放つ。
それはアリスの胴体へ刺さり、内臓すら砕いた。
そしてキャロルは無敵時間を利用し、筋肉のリミッターを外し、地面に左脚を全力で叩きつけた。
そのサンタを凌駕した一撃により地面が隆起し、カナンへ向かうクナイの進路を完全に封鎖。
キャロルの無敵時間はそこで終わるが、クナイはただの一本たりとも、キャロルとカナンに刺さっていない。
「あっ……ぐぅっっ……」
アリスはキャロルの攻撃を受け続け虫の息だ。まさに生きているのがやっとという状態。
「アリスよ、退け。無意味に命を散らす必要もなかろう」
ヌルはキャロルを牽制し、アリスを逃そうとする。
「無……意味ではありません。リコと……セイ……レンを……私が潰します……」
アリスはレンズに付着した血液を完全に拭い、ふらふらという形容詞では生温いほどによろけながら……本当に気力だけで立ち上がる。
「私では……キャロルはむりです……任せ、ました」
アリスはヌルが自分を助けにきたことをわかっている。ヌルは自分に生き延びて欲しいと、願っていることも。リコとセイレンを後回しにしてまで来てくれたのだから。
だがその結果、二人にとどめを刺し損なった。ならば、ロメロのために、自分が二人を倒さなければならない。
リコの刃は確かにロメロに届いていた。重傷とはいえ、生かしてはおけない。
そして、キャロルはリコ以上に危険すぎる。ヌル以外には託せない。
「……死にゆく者の最後の頼みじゃ。引き受けよう」
アリスの傷は深い。いますぐ治療すれば助かるだろうが、リコとセイレンに追い討ちをかけたなら、確実に反撃を喰らう。
そうなれば、次こそ死ぬ。
ヌルはアリスの命を優先して、リコたちを捨て置いた。
だがアリスの望みはそんなことではなかった。ロメロの役に立つこと。それがなによりも最優先だった。
そんなことわかっていたはずなのに、ヌルは敵にとどめを刺すよりも、アリスを助けにきてしまった。
仲間が死ぬのは何度も経験し、その度に耐え難い苦痛と寂しさを味わった。それは強靭な精神力を有したヌルであっても慣れるものではなかった。その恐怖が、その恐怖だけが唯一ヌルの判断を鈍らせるもの。
イーティ、アズサ、コール……アリスまで失いたくはない。
だが皆それぞれ譲れない何かを持っている。それを見守るのもまた、年長者の務め。
その願いの先に待っているものが、確実な死であったとしても。
「さぁ、行け」
ヌルの言葉に後押しされるように、アリスは入れ替わる先を探した。近くに手頃な物体はない。
あるのはただ一つ。目の前にある、低めのビルの屋上にある貯水タンク。
それと入れ替わった。
「ここしか選択肢はないよね」
その声は誰にも聞こえない。アリスが入れ替わった貯水タンクの側に、ナッツは姿を消しながら潜んでいた。
あえて一つだけ消さずに残しておいた。アリスが入れ替りたくなるような物体を。
アリスはそばにいるナッツに気付くことができない。あまりに深いダメージ頭が動いておらず、潜んでいる可能性にすら至れていない。
こんな露骨な誘いに気付くことが不可能なほどに弱っている。
「パインとクルミお姉ちゃん。アリーさん……ボロボロだからって容赦しないよ」
家族を捕虜にし、尋問したロメロ達。躊躇う理由などどこにもない。
ナッツはサンタ膂力を込めた拳を全力で振るった。
それと同時に、ヌルはアリスの服に仕込んであるクナイ同士に反発し合う性質を付与した。
満身創痍のアリスがナッツの位置を読む必要はない。万全のヌルがやればいい。
「わしからの餞別じゃ。受け取るが良い」
アリスの服の下からナッツの方へ、配達道具による磁力で加速されたクナイが飛ぶ。
ナッツはこの反撃を全く想定していなかった。それゆえ完全な奇襲となる。
普段なら反応できる速度に、対応できない。
「うっ……」
ナッツの体に四本のクナイが刺さる。咄嗟に香水を吹きかけ、クナイを透明にする。
透明にした物体には、配達道具の能力を付与でない。こうすることで磁力による拘束を防いだ。
リコが刺さったクナイのせいで拘束されたと報告を受けていなければ、この判断はできなかった。
「そこに……いたのですか……しかし、関係ありません……」
アリスはナッツを無視して、入れ替えを行い、ひたすら前へと進む。
ロメロの役に立つために。ロメロの前に立ちふさがる障害を打ち砕くために。
アリスを取り逃したナッツは下にいるキャロルと意思疎通を行うために、透明化を解除した。
「私はどうしたらいい!?」
ヌルと対峙しているキャロルに判断を仰ぐ。
「私はカナンのことを守って欲しいけど……二人のところに向かうのが最善だと思うよ」
「わかった」
ナッツは自分に香水を吹きかけ、アリスを追う。
キャロルは重傷のカナンを透明化させて欲しかった。だがナッツの戦闘能力で、ヌルを切り抜けてそれをするのは時間がかかりすぎる。
セイレンとリコはビルの中で籠城している。ヌルが操作する自立兵器の砲撃にアリスも加われば、間違いなく陥落する。一刻も早い増援は絶対に必要だった。
「たった一人でこのわしに立ち向かうか……おぬしは強いか?」
「その自覚はあるよ」
ヌルはクナイを両手で構える。自立兵器はアリスの支援に可能な限り回したい。
ソニアの足止めにも割かなければならない。キャロルとの戦いに自律兵器を回す余裕はない。
ゾンビもソニアに回している。完全に一対一だ。
「そうか。楽しみじゃ」
キャロルは足元に散乱しているクナイを一つ蹴り上げ、右手に逆手で持つ。
「キライじゃないよ。こういう、決闘って雰囲気……」
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