73話 Hide Your Sight その2
カナンの戦いはギリギリだった。
満身創痍の体でゾンビの群れをなんとか対処しながら、アリスを逃さないように立ち回る。
ガラスを割る隙を与えてしまえば、そこからアリスは外に出て、入れ替えを利用し、二度と追いつけない地点まで逃走する。
キャロルとソニアが来てくれるまで、持ちこたえるしかなかった。
キャロルはあと二十秒程度で煙突に乗ってやってくる。それまでなんとか……
カナンは窓を割ろうとするゾンビの胴体に、弾丸を三発撃ち込む。
装填中の弾丸は残り三発。弾倉が一つ。後がなくなってきた。
弾は減るのにゾンビの数は一向に減らない。
「そろそろ負けを認める気になりましたか?」
アリスはゾンビの後ろに隠れ、ひたすらカナンから距離を取り続けている。
煙が晴れるのを待っているにしては不自然。明らかに何かを待っている。
「まだ負けてないから、認めるも何もない」
カナンは目の前を塞ぐ一体のゾンビに、装填中の弾丸を全て撃ってからリロードする。
これで最後の弾倉。これで完全に後がなくなった。そんな時、キャロルから通信が入る。
「そっちにヘリが一台、ヌルの能力でスゴイ速度で吸い寄せられて行ってるよ。速いし、距離もあるから、撃ち落とせないみたい。そっちにはあと十秒でぶつかると思う……私が着くまでなんとか、耐えてね」
「無茶言うね」
アリスまでの距離は五メートル。立ち塞がるゾンビは二十二体。
発煙筒は切れかけ。ヘリにはおそらくゾンビが乗っている。
ヘリを電波塔に衝突させて、アリスを逃す算段だろう。
キャロルが着くまで残り十八秒。なんとしてでも時間を稼ぐ。
カナンは真っ直ぐ駆け出した。その進路を塞ごうとゾンビが立ち塞がる。
カナンにはもう、ゾンビとの格闘をする体力はほとんどない。
天井の窪みに手を入れ、伝うようにして距離を詰める。
五十センチ進んだところで、ゾンビに掴まれそうになる。そいつに弾丸を三発撃ち込んで、行動不能に追い込む。
そしてそのゾンビを思い切り蹴ることで、周囲のゾンビを怯ませ、その隙に着地。
アリスへ向けて、ゾンビの間を駆け抜ける。
「気付いたようですが、いまのあなたでは足止めにすらなりませんよ」
アリスまで一メートル。彼女は動かない。
おそらくヘリが衝突する地点が決まっていて、そこから動きたくないのだ。
アリスは近くにいた四体のゾンビをカナンへと差し向ける。
カナンは走りながら、最前にいるゾンビに弾丸を三発撃ち込み撃破。
二体目の攻撃を両腕で受け止め、地面へ打ち倒す。
三体目は胴体へ弾丸を三発、四体目はサンタ膂力を込めた顎へのアッパーで打ち上げ、天井に埋める。
そうしている間にも、カナンの背後にいる十七体のゾンビが持ち直して、彼女の方へ向かってきている。
前にはアリス、背後にはゾンビの大群。前に出たことで、退路がなくなった。
「自ら進んで死地へ飛び込むとは。やはり愚かですね」
キャロルが着くまで残り十三秒。カナンは足止めをするため、アリスへ組み付こうと近寄る。
それに対してアリスは、ポケットから紙吹雪を取り出してカナンへ投げつける。
「まず……」
カナンは危機を理解して身構えるが、アリスはそれよりも早い。
アリスは紙吹雪と入れ替わり、攻撃を仕掛けた。
紙吹雪と入れ替わると同時にカナンへ攻撃を当て、次の瞬間には別の紙吹雪と次々と入れ替わっていく。
本当にゼロ秒で位置を入れ替えながら続く、上下左右、文字通り全方位からの絶え間ないヒットアンドアウェイ。
その猛攻を前にカナンは防御さえままならない。彼女が万全の状態であったとしても、数秒凌げれば良い方だろう。
アリスの凶悪な配達道具と優れた近接戦闘能力を合わせた、強烈な猛攻を前に、疲弊しきったカナンにはどうすることもできなかった。
「ここからどうしますか?」
それでもカナンは当てずっぽうに反撃を仕掛けるが、当たるはずもない。
「そんな体ではどうにもなりませんよ」
アリスはヘリが到着するまで残り三秒程度だとわかっている。
ナッツに爆煙で、カナンに発煙筒で能力を封じられ、少し追い込まれたように感じたが、これで何の問題もない。
「ついでですから、あなたはここで始末しておきましょう」
アリスはカナンの背後にある紙吹雪と入れ替わり、彼女の右腕を掴む。
そして、カナンに迫るゾンビの大群の方へと引っ張る。
「ロメロ様に楯突いた罰です。ここで貪り喰われなさい」
カナンの左脚にゾンビが噛み付いた。鋭い牙が皮膚を破り、深く食い込む。
激痛が走る中、カナンは左足をあまりに力強く、一歩踏み出した。
ゾンビに噛み付かれた脚の肉が千切れるほどの力で。
「ぐっ……いまの私にはこれくらいしかっ……できない……」
踏み出したことで牙に引っ張られた左足の肉が千切れ、おびただしい量の血が溢れる。カナンはその血をアリスの顔に飛ばした。
アリスの視界が真っ赤に染まる。血がメガネのレンズにこびり付いて剥がれない。視界が塞がり能力が使えない。
「普通に血を飛ばしたんじゃ避けるでしょ……だから、身を削らせてもらった……まぁ、これで……痛み分けってところかな……」
「イラつきますね……ですが、こんなことをしても無意味ですよ」
「キャロルとソニアが……なんとかしてくれるよ」
その瞬間、電波塔にヘリが激突した。そして二人のいるフロアのガラスが一斉に割れる。
ヘリの運転はゾンビ行なっている上、その中には大量のゾンビが待機している。
次の瞬間には夥しいゾンビの大群がフロアを埋め尽くすだろう。
カナンはこれ以上、このフロアにはいられない。
退路も進路も絶たれたカナンは、掴まれた腕ごとアリスを引っ張る。
「なにをっ……!?」
全身打撲だらけ。それでも切れかけの気力を振り絞って、負傷した左脚を無理矢理動かし、割れた窓から後先考えず二人で飛び降りた。
「まさか……心中するつもりですか!」
「それも悪くないね」
アリスは咄嗟にヘリの下部を掴む。
レンズが血で染まり、近距離の入れ替えさえ行使不能。逃げられない。
サンタ膂力を込めていない状態でこの高さから地面に激突すれば命に関わる。少なくとも先頭に大きな支障をきたすことは確実。
「くっ……死ぬのはあなただけです。ロメロ様の邪魔をする……!」
アリスは自分の腕に捕まるカナンを蹴る。蹴る。蹴り続ける。徐々にカナンの捕まる力が弱まっているのがわかる。
「落ちて死になさい」
アリスが最後の一撃を加えんと、サンタ膂力を込めた蹴りを放とうとした瞬間、ヘリの前面に煙突が突き刺さった。
「遅くなっちゃった」
「本当に……もうダメかと思った……」
煙突が着弾する直前に手を離したキャロルは、煙突の勢いを乗せた飛び蹴りをアリスに向けて放つ。
アリスはそれを避けるために、ヘリから手を離すしかなかった。それでもサンタ膂力を込められた。これなら無傷で着地できる。
カナンにも充分以上のダメージを与えた。成果は得た。
だが、キャロルがタダでアリスを逃すはずがない。
「ワープが使えないなら、逃がさないよー」
キャロルはヘリの下部をサンタ膂力を込めた両足で蹴り、自由落下するカナンとアリスへと跳躍する。
アリスには血で赤く染まった視界しかない。そんな状態でキャロルの攻撃を受けられるはずもない。
カナンは掴んだアリスの手を離す。
そしてアリスの胴体へキャロルのパンチが命中する。その勢いでアリスは地面へと叩きつけられた。
「カナン! 腕伸ばせる?」
「なんとか……ね」
キャロルはカナンの腕を掴み、お姫様抱っこの体勢に持っていく。
そのままキャロルは地面に着地した。
「ここで休んでて。私が終わらせてくるよー」
キャロルはアナンを地面に横たえてから、アリスの方へと駆け出す。
「うっ……頭にきました」
アリスはふらつきながら立ち上がる。メガネのレンズの血を少しは拭えた。
これで近距離の転移なら使える。
「返り討ちにします」
アリスは自分の周囲に紙吹雪を舞わせる。ダメージを負ったとはいえ、これでキャロルへの迎撃体制は万全だ。
「そんな小細工じゃ、悪い子は騙せないよ!」
「あまり調子に乗らないことです」
アリスはキャロルの背後にある紙吹雪と位置を入れ替える。
その瞬間、転移直後のアリスの顔面にキャロルの裏拳が命中する。それは、すでに攻撃が設置されていたかのように、錯覚するような現象だった。
アリスは怯みながらもう一度入れ替えを行うが、その位置にキャロルの攻撃が先に”置かれて”いる。
「その速さで入れ替わっても、自分にダメージがないっていうのは、羨ましい限りなんだけどさ」
何度入れ替えを駆使しても、キャロルの攻撃が常に先。
「私に転移系配達道具の扱いで上を行こうなんて、調子に乗りすぎじゃないかなー?」
キャロルの鉄山靠でアリスは地面に叩きつけられる。
キャロルは昔、性質こそ違うが転移を行う配達道具で無数の懲罰部隊を沈めた。
転移の読み合いで、アリスに遅れを取るはずがない。
「ぐっ……なぜ……ロメロ様の前に、このような理不尽が……」
アリスは圧倒的な理不尽を前に、怒りで血液が沸騰する。
だが怒ったところでどうにもならない。実力の差は埋まらない。
キャロルは強い。自分よりも。レンズの血を拭おうとして、片手でも塞がれば命を取られる。
何かきっかけが必要だ。状況を打開する何かが……
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