72話 Hide Your Sight その1

 アリスはサンタ工房と関わりの深い下級サンタの生まれだった。


 それはつまり、サンタ工房と縁のある上級サンタに、半ば奴隷のように扱われるサンタということだった。


 そんな境遇のため、アリスは生まれた瞬間からひたすら搾取された。自分の才能と能力を。


 下級サンタであるという理由だけで功績は一切認められず、汚れ仕事をこなす日々。


 そんな世界に突然ロメロが現れた。彼女もまた自身の家柄のせいで、功績を認められないサンタの一人だった。


 二人は仲を深め合った。


 アリスはロメロが語る夢に憧れた。


 アリスはロメロに傷を癒してもらった。体に付いた傷を、心の傷を。


 二人は愛を誓い合った。そして二人で夢を阻む、ガラスの天井を共に打ち破ろうと誓いを立てた。


 アリスは自分を支えてくれるロメロを敬愛した……いや、初代サンタのように崇めた。




 ロメロと出会い半年が過ぎた頃、アリスは上級サンタを四人殺した。


 自分を生まれた瞬間から搾取し続けていた、上級サンタを皆殺しにしたのだ。


 突然、いままでの怒りが爆発したわけではなかった。


 ロメロはその上級サンタ達から、陰湿なイジメを受けていた。


 中級サンタでありながら、実力で地位を手にしつつあるロメロを妬んでの行動だった。


 それを知って、アリスの箍が外れた。


 いままで我慢していたものが噴出したわけでは、本当にない。ロメロに手を出したこと。それだけが本当に許せなかった。


 ロメロが傷付けられることだけは、どうしても耐えられなかった。

 


 全てはロメロの計画通りだった。


 なんのことはない。ロメロがアリスに近付いた理由は、その上級サンタを自分以外の誰かに殺して欲しかったから。


 アリスを搾取していた上級サンタは、ロメロが成り上がるための障害になっていた。


 ロメロ自身が彼女たちを皆殺しにすることは容易かったが、立場上自分でやるわけにはいかない。だから誰かに始末して欲しかった。


 そのためにアリスが最も都合が良かっただけ。便利だから選ばれただけだった。


 自分のことを理解して、認めて、優しくしてくれる誰かを求めていたアリス。


 そんな彼女の心はとても操りやすかった。


 アリスはそのことを知っても、ロメロを崇めることをやめなかった。


 救われた。アリスにとって、その事実こそがなによりも大切だった。ロメロは自分のことを助けてくれた。癒してくれた。


 ロメロの本心よりも、実際にしてくれた行動が嬉しかった。それで満足だった。


 アリスを搾取する上級サンタには裏表がなかった。まっすぐ、実直に、アリスを苦しめ、全てを奪った。


 ロメロはそれと真逆だ。上辺だけアリスを愛し、癒し、支えた。そして、心の奥底で彼女を利用した。


 アリスは後者に自分の幸福を見出した。それだけのことだった。



 アリスが上級サンタを殺してから二年後、ロメロはサンタ工房バルテカ支局支局長となり、アリスはその秘書となった。


 この空白期間に何があったかはわからない。


 確かなことは、ロメロはその間に、イーティ、アズサ、コール、ヌルという優秀なサンタ四人を集めたということ。


 そして、アリスを秘書とし、恋人とした。


 二年の間に愛が生まれたのか、それはわからない。


 アリスは幸せだった。敬愛するロメロの側に仕え、彼女の役に立てることが。


 ロメロが夢を叶えた時、真っ先にその喜びを共有する相手が自分であることが。


 それ以上の幸せをアリスは知らないし、彼女の世界に存在してもいない。必要がないからだ。

 


※※※



「煙ですか。浅知恵ですね」


 アリスは発煙筒が撒かれる前に目にした、カナンの姿で勝てると判断した。


 イーティ戦でのダメージが深い。明らかに弱っている。


 アリスもリコの鞘を右肩に受けた傷は回復しておらず、さっき受けたナイフが背中に刺さったまま。


 それでもカナンの方が遥かに手負い。


 その上、この電波塔の各所にはゾンビを仕込んである。


 最愛のロメロが操るゾンビと共にある、この戦い。アリスに敗北の未来は見えていない。


 ハッキリと見えているのは、初代サンタと並び評されるまでになった、覇道を歩むロメロの姿。


 カナンは煙で覆われた視界の中、輪郭だけがぼんやりと見えるアリスへと飛びかかり、膝蹴りを放った。


「遅いですね」


 アリスはその攻撃を両腕をクロスして、受け止めようとした。


 カナンはその動きを見てから、攻撃を回し蹴りに切り替え、アリスの右肩を攻撃する。


「痛っ……!」


 アリスが痛みに呻く。カナンは配達道具を用いた戦闘や、長期戦をするつもりなどない。


 体力は煙突に飛び乗ったことで既に限界。そんな状態で、アリスにゾンビの群れが加わってしまえば、もうどうにもならない。


 短期決戦だ。それも得意な近距離での白兵戦。仲間の到着まで持つかさえ怪しいいま、時間を稼ぐためにも“短期決戦”を目指すしかなかった。


「悪いけど、サンタらしい戦い方はしないよ」


 カナンに一切の容赦はない。徹底的にアリスの右半身を攻め立てる。


 執拗にリコが付けてくれた右肩の傷口を狙い続ける。


「そういう戦い方……とても癪に触ります」


 アリスはカナンの攻撃を最小限のダメージで抑えながら、ゾンビがいる方へと少しずつ移動する。


 ダメージはカナンの方が明らかに深いが、近接戦闘技術の差でアリスが押されている。


 それでも、焦っているのはカナンの方だ。


 アリスは戦いを遅延させれば勝てるが、カナンは短期決戦を目指さなければ、時間稼ぎさえままならない。


 アリスに理想の動きをさせないためにも攻め続け、動きを止めなければ。


「焦りが隠せていませんよ。疲労も」


 アリスは反撃する余裕さえないが、それでも精神的には余裕があった。カナンを煽れるほどに。退路があるということは、それほどまでに優位を作り出す。


「命乞いなどいまさら受け入れませんよ。ロメロ様に迷惑をかけた、その償いをしてもらわなければなりませんから」


「もう勝ったつもりなの?」


「まだ負けていないと思っているのですか?」


 カナンの前蹴りをアリスはバックステップで回避。


 そして入れ替わるようにして、ゾンビの群れがカナンに襲い掛かった。


「思ったより早い……」


 カナンはゾンビ対策用のハンドガンを引き抜く。しかしゾンビの数があまりにも多かった。


 煙の中に見えるだけでも、二十体近くいる。


 一体倒すのに三発は必要。弾丸は合計で五十一発。


 一発で複数体を撃破するような威力はなく、いまいるゾンビすら絶対に全て倒しきれない。


 かといってこの戦いから逃げてしまえば、アリスを捕らえるチャンスはもう二度とやってこない。


 カナンには戦う道しか残されていなかった。




 キャロルは高層ビルを制圧し終え、カナンのいる電波塔へと向かっていた。


 そしてソニアはこれからどうすべきかを考えていた。


「私はいまからカナンのところへ向かうよー。それで、ソニアはどうするのー?」


「どうすべきでしょうか!?」


「アリスに勝てる自信はある?」


「……あまり、当てにならないと思います」


 ソニアは自分が一人で増援に赴いたところでどうにもならないとわかっていた。


 アリスは強い。入れ替えの判断を見ているだけで、実力・判断力、共に劣っていることは明白だった。


 だから自分が行くことよりも、キャロルを一秒でも早くカナンに合流させる方が良いと判断した。


「キャロルが先に行って……カナンを助けてください」


「わかった。それじゃ、私を煙突で飛ばすために合流しよっか。その方が普通に行くより速いからさ」


「わかりました」


「それと、ソニアのことあんまり知らないけどさ、頼りにしてるからね」


 アリスの視界が発煙筒で閉ざされ、自律兵器の供給が止んだことで、キャロルたちはかなり行動を取りやすくなっていた。


 それでも、時間が経てばアリスの視界は晴れ、戦線に復帰してくる。悠長にしている時間はない。


「私はなにをすればいい? カナンまでは私の方が若干近いけど」


 ナッツはキャロルに指示を仰ぐ。昨日は敵同士だったが、いまは少し事情が違う。


 現在のナッツの指揮官はキャロルだ。指揮系統は遵守した方が勝てる。


「電波塔から半径五百メートル以内にある、入れ替えて逃げられそうな物体を消していってくれると嬉しいねー。アリスが外に出た時に逃がしたくない」


「了解」


 いくらサンタ製とはいえ、発煙筒の目眩しは長くは持たない。


 カナンには時間も体力も残されていない。一秒も無駄にはしたくなかった。





「思ったよりも悪くなったのう」


 必要だったことを優先したとはいえ、アリスの退避が遅れたことの影響が大きくなり始めている。


 ヌルとアリスの配達道具、そしてロメロのゾンビ。それに、サンタ工房の通常兵器の物量を加え、懲罰部隊五人と兵器開発局の生き残り一人を相手に五分に持ち込んでいた。


 ヌルたちにはまだ余力があったが、アリスが欠けたことで、その余力も消えけている。


 不利になったとまではいえないが、何も対処しなければ、まずいことは確かだ。


「後方で指揮を取るのも嫌いではないが、今となってはこうしたサンタ戦は珍しいからの……そろそろ直接、出向くとするかの」



※※※



「カナンがアリスを止めてくれてる。潜り込むならいましかないよ」


「心得た」


 リコとセイレンはアリスによる攻撃が止んでから、一気にヌルへと詰め寄っていた。


 自律兵器とヌルによる磁力の付与だけなら、いくらでも対処可能だ。


 ヌルのいるビルまで、残り四百メートルを切っている。


「上手くいきすぎている……悪い予感がする」


「そうだね。そろそろヌルが何か行動を開始する頃だと思う」


 さらに突き進み、ヌルのいるビルまで残り三百メートル。彼女が移動していない保証はない。


 それどころかカナンと交戦したアリスの救援に向かっている可能性は高い。


「どうする? カナンの方に向かうか、ヌルがいる可能性の高いビルを目指すか?」


 リコは選択を迫られる。ヌルを攻めるか、それともアリスの対処に向かうのか。


 そもそもアリスの機動力を利用させないために、ヌルとアリスを同時に攻撃することを選んだのだ。


 サンタ工房で最も脅威なのはアリスの配達道具だと判断したからだ。ヌルがアリスの救援に向かっている可能性が高いのなら、カナンの方に向かうべき。


「アリスの対処が最優先だ。カナンの方へ……」


 リコがそこまで言葉にしたのと同時だった。


 上空から一台の自立兵器が、二人目掛けて勢いよく落下してきた。地上の自立兵器に引き寄せられるように。


 その照準はヌルの遠隔操作により、リコとセイレンをしっかりと捉えている。


 それに合わせて、地上に配置されている十数台の自立兵器も同時に二人に狙いを定める。


「私が上をやる」


「任せたよ」


 リコはトキムネを構え、迎撃態勢を整える。


 セイレンは水道管から大量のスライムを用意し、周囲を囲み、防御態勢を整える。


 次の瞬間、二人の頭上と周囲から、一斉に砲弾が放たれた。


 リコはトキムネを振るい、頭上の砲弾と自立兵器を両断した。


 セイレンはスライム防壁で、四方からの砲弾を受け止める。


 セイレンは十三回も砲弾をスライムで捌いたことで、受け方のコツを身に付けつつあった。


 そのおかげで、この数の砲弾を受け止めても、スライム防壁をギリギリ崩壊させずに持ち堪えられるようになった。


「……第二射は……持ち直さないとキツいよ……」


「ならば切り抜けるのみ」


 リコは上への対処を終え、カナンの方へと向う道を切り拓こうと動き出した。


 それと同時だった。リコの右肩にクナイが刺さった。


「良い動きじゃが、いささか老獪さが足りんの」


 ヌルがいた。落下してきた自立兵器の裏に潜んでいたのだ。気配を極限まで殺して。


 ヌルはいとも容易く、リコの警戒網を潜り抜けた。その時点で只者ではないことは明らか。


 懲罰部隊隊長をも上回る実力者。


 リコに走るひとつの予感。サンタ工房で真に危険だったのは、このヌルなのかもしれない。


「思ったよりも早く出てきたな。焦っているのか?」


「気は急いておるの。戦場の空気に当てられてな」


 ヌルはしがみついた自立兵器から降りて、着地。


 そのまま両手に持ったクナイで、リコに切りかかる。


「速いっ……貴様っ、ただの工房所属のサンタではない!?」


 リコはすんでのところでトキムネの刀身でクナイを受け、左腕でヌルの右腕を止める。


 この一瞬のやり取りで理解する。ヌルはこれまでに戦った、凶悪な配達道具の操作技術で生き残ってきたサンタとは違う。


 懲罰部隊のように、己の技術で生き延びてきたサンタであると。


「悪くない動きをする。楽しめそうじゃ」


 ヌルはリコの脇腹をすり抜け、怯んでいるセイレンへと向かう。


「させるものか」


 リコは素早くトキムネを振るい、ヌルを引き寄せる。


 それに合わせてヌルはクナイを二本、リコの胴体へ投擲する。


「昨日似たようなことを、見えない状態でされた後だ」


 リコは空間圧縮で加速されたクナイをトキムネで叩き落とそうとする。


 その軌道を完全に捉えている。だが、クナイが急にその軌道を変え、カーブを描くように、リコの右脇腹に刺さった。


 このクナイはヌルの配達道具の能力を適用できる特別製。


 リコの右肩のクナイに引き寄せる性質を付与したのだ。


「読み損なえば、おぬしほどのサンタでも被弾する。それはわしも同じこと。読み勝ってみせよ」


 クナイが刺さり怯んだリコを放置して、ヌルはセイレンの無防備な背中に向かう。


 それと同時に、ヌルは右手に半透明なキーボード型配達道具を出現させ、周囲の自律兵器をより精密に操作。第二射の装填を完了させる。


「貴様は読み勝てと言ったな。消極的だが……読み勝ちはしたぞ」


 リコは空間圧縮と同時にセイレンを引き寄せておいた。万が一、ヌルを止められなかった時に備えて。


 セイレンは圧縮に合わせてリコの方へと跳び、ヌルの攻撃を回避する。


「逃げるぞ!」


「準備できてる!」


 リコはセイレンの腕を掴み、破壊しておいた水道管の上に乗る。


 そしてスライムの塊を一気に噴出させ、二人一緒に近くのビルの屋上まで吹き飛ばした。


「なるほど。悪くない一手じゃな」


 リコが刺さったクナイを肩から抜いて捨てるのを確認する。


 最初にクナイを使って、自律兵器をリコへ引き寄せる方法もあったが、それでは予備動作が大きすぎ、回避されるだろうと判断し、二本のクナイを確実に刺す選択を取った。


 そしてそれは正しい判断だった。リコに目立つ大技は当たらない。徐々に追い詰めていく、堅実な方法しかリコには効果はない。


「アリスの方へと向かっておるか。ならば、わしも同じ方へと向かうかの」


 ヌルはリコとセイレンを追い始めた。


 両者の速度に差はない。サンタとして、同程度の身体能力があるからだ。


 ならば自立兵器で妨害されるリコとセイレンの方が遅い。確実に追いつき、致命傷を与えられる。



「キャロルの言った通り、ヌルは危険すぎる」


「そうだね。ズルイ配達道具に、あの戦闘技術……正面から戦うのは得策じゃなさすぎる」


 ビルの上を飛び移りながら、二人はヌルへの対処方を考える。


 凶悪な配達道具でゴリ押してくるだけの相手でも、充分な脅威だった。


 ヌルはそれに加えて、リコに匹敵するかそれ以上の体術を有していた。


 あのまま戦っていたなら、二人とも殺されていた。


「ああいう実力者タイプが一番厄介だね。何か策はある?」


 配達道具で攻めてくる相手ならそれの対策をして、裏を取れば済む。


 だがヌルにそれは通用しない。真正面から、実力で上回らなければ、勝利へと結びつかない。


「……名案と呼べるものはない。とにかく、ヌルをカナンたちの元へ辿り着かせるわけにはいかない。だが単純に引き離そうと、私たちがアリスから離れようとすれば、私たちへの追跡を止めるだろう」


「逃げながら、策を考えるしかないみたいだね。とりあえず、スライムの補充をしないと」


 二人はビルを飛び越えながら、アリスのいる電波塔へと進んだ。時間を稼ぐために。

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