52話 Deep White その2
事務室には大量のデスクが立ち並び、入って右側には職員用の寝室がある。そこに人の気配はなく、雪だるまもいない。
だが息つく暇はなかった。扉を潜れない巨大雪だるまは、入口を柱ごと破壊し、事務室へと突入してきた。
「そりゃ、これくらいするよね……」
あまりの執念深さと強さを前に、カナンは余裕を完全に失っている。
だがここまで追いかけてくることなどカナンはわかっていた。ここに雪だるまがいなければそれでよかった。なぜならこれで、サンタ膂力を左腕に溜める余裕が生まれた。
「散々追いかけ回して、ちゃんとお返ししないとね」
事務室を五メートルほど駆け抜けて、サンタ膂力を溜め終えたカナンは、巨大雪だるまに向かって振り向き、左腕を大きく振りかぶった。
巨大雪だるまはデスクを吹き飛ばしながら、カナンへと迫る。
書類が大量に舞い踊る中、カナンは振り下ろされた巨大な氷柱をジャンプで避ける。
叩き付けられた氷柱の衝撃で地面が大きく抉れ、直撃すればサンタであっても即死させるだけの威力であることを悠然と語っている。
そんな光景を目にしてもカナンは恐怖で青ざめることもなく、雪だるまの胴体へ全力のサンタの拳を叩きつけた。
その衝撃で辺りのデスクが吹き飛ばされ、三メートルの巨躯が轟音と共に崩れ去る。
「……はぁ……はぁ……」
さすがのカナンも立て続けにサンタ膂力を使い続け、息を切らしていた。だが休んでいる暇はない。サンタ膂力をもう一度溜め直して、反撃の準備を整えなければ……
「息が上がっているようですが、まだ何も解決してはいませんよ」
煽るような声と共に、壁を崩しながら除雪車に乗ったイーティが事務室へ侵入してきた。三メートル級の雪だるま三体を引き連れて。
「嘘……でしょ……」
無傷の状態だとしても、二体同時に相手をするのは厳しいというのに……三体も同時に……
カナンは崩れた壁の間から、大広間を見ると、そこには倒した雪だるまの残骸である雪がキレイに消失していた。
イーティはカナンが事務室で巨大雪だるまを相手している間に、小型雪だるまの残骸である雪を回収し直し、巨大な雪だるまを生産したのだ。
雪さえあれば、何度でも、何度でも蘇る不死の雪だるまの軍勢。それこそがイーティの真骨頂。
「絶望しているの? 当然のことですが。工房の配達道具はズルイですから。懲罰部隊に渡しているような、貧弱な配達道具で勝てる訳がないのです」
こうなってはカナンはなす術もなく、怯えた表情で命乞いをするように、一歩一歩、奥へと後ずさる以外にやれることはなかった。
「たまに貴女たちのような、初代サンタに憧れたサンタが出てくるんです。そういう、サンタを勘違いした愚かな心を砕くのが楽しみなのです。命乞いの一つでもしてくれれば……」
「こんなことで心を折れるとでも!?」
「声が震えていますよ? 貴女の能力でさっき逃した子をここに連れてきなさい。そしたら楽に殺してあげる」
「そんなこと、殺されたってしない!」
「そうですか。では、試してみましょうか」
イーティは三体の巨大雪だるまをカナンへ同時に差し向けた。
疲労困憊のカナンに、三体の巨大雪だるまの同時攻撃を捌くことは難しく、一体の胴体に大穴を開ける程度の抵抗をしただけで、ほとんど成す術なく地面に押さえつけられてしまう。
「うぐっ……」
一体の巨大雪だるまに馬乗りされ、体が潰れそうになる。イーティはカナンを押しつぶしてしまわないよう、細心の注意を払っている。
「どうしてもっと大きい雪だるまを作れるのに、三メートルで止めていたかわかりますか? 加減が効かなくなって、殺してしまうからですよ」
カナンに乗しかかった雪だるまが、少しずつ体重をかけていく。声が詰まって呻き声すら出せない。
「ハイサムのことと、リコの居場所を教えてくださいませんか? 拷問で正しい情報を得られるとは考えてはいませんが、尋問に向いた配達道具がいま手元にありませんので」
「うっ……ぐっ……」
「質問の仕方としては些か時代遅れですが……これは、愉しむには充分ですね」
体の上に乗った雪だるまが、氷柱の右腕を大きく掲げ、カナンの右腕へと狙いを定める。
「ですが少し飽きました。もう少し派手な展開を見せてください」
イーティがそこまで言ったと同時だった。彼女の背後にある大広間の更に奥……食堂の方からとてつもない爆発音と衝撃が巻き起こった。
「なっ……!? 貴女が何かやったのですか!?」
突然の爆音にイーティは混乱を禁じえなかった。
「気分が悪いよ……子どもたちを守るために……サンタが子どもを利用するのは、気分が悪い……あなたたちはどんな気分なの? 自分の利益のために、子どもたちを利用して、犠牲にする気分っていうのは?」
イーティが大広間の方を振り向くと、食堂の壁は爆風で吹き飛び、炎に包まれていた。そして周囲を覆う氷壁が、熱で少しずつ溶け始めていた。
そして、大広間ではナナカがカナンのことを心配そうに見つめていた。
「どうしてナナカちゃんを食堂へ逃げさせたと思う? 拳で氷を砕けないとしても、熱なら溶かせるかもしれないと思ったから、念のために……これ以上、怖い思いをさせたくなかったのに……」
巨大雪だるまの下敷きになっているカナンに、さっきまでの怯えはなかった。あるのはサンタとして悪を砕くという強い意志と、サンタでありながら子どもを利用してしまったことへの不甲斐なさ。
「何を言って……」
「食堂にならガス管があるでしょ。ナナカちゃんにそれを開けてきて貰ったの……あなたの加虐心を煽れば、ガスが充満するだけの時間を稼げると思った……そして、ナナカちゃんが爆風から避難できるように大広間からあなたを引き離す必要もあった。楽しんでくれたようで何より……あなたがずっと大広間にいたら、この決断はできなかった。拷問して情報を集めようとしていたけど、懲罰部隊なら……サンタ戦に慣れているなら、最後の一人になるまではさっさと殺している。それがサンタ戦の鉄則だから」
勝ちを確信したイーティの慢心……誰の目にも明らかな緩みが、彼女の絶対的有利に綻びを生んだ。
ナナカの体をカナンが操作することで、安全に攻撃を回避させる。その意図しかイーティには見えていなかった。
まさか無力な子どもにすぎないナナカが、逆転の可能性を紡ぐとは想像すらしていなかった。
「勝ち誇っているようだけれど、こんなことをしてもどうにもなりませんよ。いまからでも貴女の始末くらい間に合いますから」
「その通りだよ。私はここで死ぬかもしれない……だけどこれで、ナナカちゃんは助かる……」
「ありえません。貴女を殺した後、すぐにこの場にいる全員を死体に変えるだけのことです」
「そうはならない。すぐにわかる……」
「そうですか。だったら明るい未来を、いつまでも信じていることですね」
運転席からイーティは雪だるまを操作した。カナンに全力で体重を掛け、押し潰すようにと……だが、その目論見が達成されることはなかった。
圧倒的なサンタの力で投擲された巨大なガレキが、カナンに馬乗りになっている巨大雪だるまに直撃し、粉々に粉砕したからだ。
「悪い子っていうのはさ、おもちゃを独り占めするものなんだよ。だから、本当に怒ってるんだよ。私の大切なおもちゃに手を出してさ」
燃え盛る炎の中、ゲージを最大まで溜めた、悪虐なる少女が姿を現した。
孤児院の雪だるまを無傷で一掃し、子どもたち全員安全な場所に避難させた。
憂いはない。残っている仕事は、目の前の悪しきサンタを倒すことだけだ。
「……キャロル……やっぱり……来てくれた……」
超重量の雪だるまに押し潰され、大きなダメージを負ったカナンが浮かべている表情は、まさしく安堵だった。
それに対して、イーティの表情は恐怖であった。現れたのは何のことはない、雪だるまの前には脅威足り得るはずなどない、一回り以上年下の、懲罰部隊に所属する少女。だというのに、その少女から感じるのは、原始的で圧倒的な、死の予感。
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