45話 サンタの資質
ジェシーは指定の配達ルートに従い、この街で最も怪しいと推測した孤児院の屋根にいた。
天井の一部が崩れており、中の様子をほんの少し覗き見ることができる。本当に子どもたちが誘拐されるとしたら、見逃さずに済む。
ジェシーは自分に力がないことを知っていた。配達成績も悪いし、要領も良くない。本当は誰かに助けを求めたかったが、それも叶わなかった。
それでも、彼女に諦める選択肢はなかった。去年のクリスマスイブの夜、プレゼントを枕元に置く時にたった一度顔を見ただけ。その後は街を歩いている時に、顔を見ることがたまにあるくらい。
それでも、サンタとして見捨てることはできなかった。
自分が助けようとしても力が及ばないことはわかっている。それでも見て見ぬ振りをして、サンタになれないまま死んで行くよりは、その方が胸を張れるから。
※※※
ジェシーが屋根に登り、中の様子を伺い始めて五分が過ぎた頃、孤児院の入り口が開き、名前は知らないが微かに見覚えのあるサンタが入ってきた。
ジェシーの脳内を疑問が覆い尽くす。一つの配達先に二人のサンタが割り振られることはない。何かがおかしい。
この街にある孤児院の多くは教会だ。入り口である大広間は初代サンタに祈りを捧げる広い空間になっており、そこは食事をする場所としても使われているようだった。
その怪しい下級サンタは周囲や、天井をやたらと気にしながら、並んだ長椅子をどけて、床を開けた。そこには七つの棺桶が収納されていた。
人間一人ではとても持てないほどの重量の棺桶を、そのサンタは一つずつ取り出し、広い空間に規則正しく並べていく。
棺桶を並べ終えると同時に入り口が開いて、ジェシーもよく知る二人のサンタが入ってきた。
サンタ工房バルテカ支局長ロメロと、彼女の秘書であるアリスの二人だ。
「時間通りに準備できてるね。えらいえらい。忙しいから、この仕事もさっさと終わらせちゃおうか」
ロメロが下級サンタを急かしている。そうしていると、孤児院の職員が三十二人の子どもたちを連れて、奥の部屋から出てきた。
子どもたちは怯えてさえいなかった。全身に打撲痕や切り傷があり、一見しただけでどのような扱いを普段受けているのかが簡単にわかる。
子どもたちは家族を戦争で失った後、悲惨な環境で一年近く過ごし、自分を守るために感情というものを壊死させていた。
ロメロとアリスはサンタ衣装を身につけていない。仕事で着ている初代サンタのエンブレムがついているスーツ姿。
彼女たちの側にいる下級サンタは、サンタ衣装を身につけてこそいるが、その表情にサンタらしさは欠片もない。子どもたちを売る罪悪感に苦しんでいる風でもなければ、全てを諦たような虚無を帯びてもいない。人に胸を張ることのできない仕事をしている。、
「これが来年の運営費です。今年もよく働いてくれたと、ロメロ様がお褒めになっておりました」
アリスが職員に小切手を手渡している。ロメロは棺桶に手をかざしながら、子ども達の大きさを観察している。
「1番から14番まではいまからこっちで引き取るよ。17番から31番はここで処理しようかな。残りは育てておいて」
ロメロは職員に簡単な指示を行い、十四人の子どもたちを下級サンタに連れ出させる。彼女が数字を呼ばなかった子どもたちは、職員が奥の部屋に連れて戻った。
「それじゃ、アリス。いつも通り手短にやるよ」
ロメロとアリスの二人は、懐から拳銃を一丁ずつ取り出し、十四人の子どもたちに向けて構える。それは人同士の争いに使われる物で、サンタ戦での使用には威力も速度も全く足りない。
護身用という意図もあって特別な改造を施してはあるが、静止している的を撃つのに効率が良いから使っているに過ぎない。
子どもたちは銃を向けられ、これから自分たちは死ぬと、幼いながらに悟っているが、誰一人として暴れたり泣き出したりといった、当たり前の行動を起こさない。
あるのはこれで終われるという、ある種救われるような感覚。生というものに夢も希望もない子どもたちは、殺されることをただ静かに受け入れていル。
屋根に空いた穴からその様子を見ていたジェシーは、これから何が起こるのかを理解した。
身体はひとりでに動き出していた。工房のサンタに勝てるなどと自惚れてもいないし、大勢の子どもたちを救えるとも思っていない。ただ、サンタらしくあろうとした。
ジェシーはサンタ膂力を込めた殴打で天井を崩し、引き金に指をかけたロメロへ向かって飛び降りた。
「気付いていないと思ったの?」
優秀なサンタであるロメロに対して、ジェシーの攻撃は奇襲にならなかった。
ロメロは孤児院に到着する前から、ジェシーの存在には気付いていた。屋根の上に移動して始末するのが面倒だから、降りて来てもらっただけのことだった。
ロメロはジェシーの放った拳をなんなく掴み、そのまま彼女の体が引き千切れない程度に、地面に叩きつけた。
「嗅ぎ回ってる下級サンタがいることくらいわかってたの。でも、面倒でしょ。始末する指示を出したりするのは。その時間でたくさんのことができる。それに私が直接あなたを殺さないと、良い死体にならないから、おびき出させてもらったの」
ロメロはサンタ握力で、ジェシーの右手首を引き抜き、脱臼させる。ジェシーは地面に叩きつけられ衝撃で、激しい痛みに声を上げることさえできなかった。
「いかがしますか?」
「健康なサンタは便利だから運ぶよ。ここで抵抗できないように処置してからね」
ロメロは自身の配達道具を操作する。すると規則的に並べられた棺が内側から開かれた。その中から起き上がった物は、子どもの死体だった。
眼球が抜かれている物、手足が欠損している物、全身が異常に肥大化した物……どれも直視に耐えない、残忍な殺され方をした子どもの死体達。
それらは床で苦痛に呻いているジェシーに近寄り、彼女の体を担ごうと力を加える。
「あ……なた……たち……が……」
ジェシーの言葉に誰も答えない。この街で子どもたちが行方不明になり、殺されていることは知っていた。だが、ここまで酷いとは思っていなかった。
子どもたちに拷問を加え、殺害し、その死体を、配達道具で操作し利用する。
さっきの下級サンタはこのことを知っていて何もしない。それどころか手を貸している。この街ではサンタが率先して大勢の子どもたちを猟奇的に殺している。
それがジェシーには耐え難かった。全身を駆け巡る激痛よりも、自分がサンタとして非力なばかりに、目の前で運ばれて行った子どもたちを救うことさえ叶わない無力感が耐えられなかった。
「これだけあれば、少しは余裕が出るね」
予期していた邪魔者を無力化したロメロは、地面で怒りと悔しさに震えるジェシーを顧みることなく、子どもたちに向けて引き金を引いた。
弾は出なかった。というより、銃身が両断されていて発砲されなかった。
リコが目の前にいた。姿勢を下げ、トキムネに手をかけた……川のせせらぎよりも静かに、燃え盛る業火よりも激しい殺意を宿したサンタが。
それはロメロの理解を超えていた。三メートル離れた場所にいるアリスは、ロメロの方を確かに見ているというのに、リコの存在に気付いていない。
リコの奇襲はジェシーのそれとは次元が違った。並外れて優秀なサンタであるロメロが、その命を絶たれる寸前になるまで認識できないほどに。
「アリス!」
そう叫びながらロメロは後方へ全力で跳んだ。その叫びの意味をアリスは未だにに理解していない。
リコは一歩踏み込み、その勢いを乗せたトキムネを神速で振るう。
音を置き去りにした斬撃がロメロの胸を裂き、勢いよく血が溢れる。あと千分の一秒でも反応が遅れていれば、ロメロは問答無用で死んでいた。
「……っ! ロメロ様!」
ようやくリコを認識したアリスが体を動かそうとする。が、その瞬間には彼女の右肩にトキムネの鞘が突き刺さっていた。
リコはトキムネの能力起動に必要な鞘を何の迷いもなく攻撃の為に使い捨てた。
アリスの体は鞘の勢いで壁に叩きつけられる。アリスは全力で体を動かそうとするが、肩を貫通した鞘が壁に突き刺さり、動くことができない。
そうしている間にもリコは全力でロメロとの距離を詰めにかかる。
「不味いっ……」
ロメロは後方にいる七体のゾンビを操作し、リコへと差し向ける。二人の間に割り込むのが間に合ったゾンビは一体だけだった。
両目のない子どもの死体。リコはそれを見て、トキムネで斬ることを刹那の間、躊躇ってしまった。
普段のリコであれば、これまでの情報からロメロの配達道具が死体を強化し操作するものだと断定し、迷いなく斬っていた。
だが、サンタとして見過ごすことなど到底不可能な蛮行を目の当たりにし、サンタとしての衝動に突き動かされていたリコは、万が一この死体が”死体”でなかったら……その可能性を捨てられなかった。
「くっ……」
判断ミスだとわかりながら、リコは右手に持ったトキムネではなく、左腕で目の前のゾンビを後方へとなぎ払う。
ナッツの言っていた通り、強化兵士はサンタに匹敵するほど……いや、それ以上に頑丈で、死体のように冷たい。
リコはこの判断が致命傷にならないよう祈りながら、さらなる加速のために地面を蹴る。
それと同時、背後に殺意を感じたリコは、体を回転させ後方をトキムネで切り払った。
右腕がアリスの右腕とぶつかる。リコは反射的に投げたトキムネの鞘を見る。そこにいたのは、壁に拘束されたアリスの体ではなく、さっき殴った子どものゾンビだった。
自分の体と視界にある物体の位置を入れ替える能力。アリスのメガネ型配達道具という形状とも矛盾はない。
リコは一瞬でアリスの能力に当たりをつける。
「ロメロ様に、手出しはさせません」
アリスの視線が右下に泳いだことをリコは見逃さなかった。
アリスの体が刹那という時間さえなく消え、リコの背後にある長椅子と位置を入れ替える
そうすることを読んでいたリコは空中へと跳び、足元に移動したアリスが放つ手刀を避けつつ、トキムネで切り込もうとする。
その瞬間、リコは真下で自分を見上げているアリスが、自分を見ていないことに気付いた。
通常、頭上を取られればそこに注意を払う。だがアリスはそんなセオリーを堂々と無視している。
崩れた天井から落ちる一つのレンガ。それが瞬時に肥大化したゾンビと入れ替わった。
アリスの配達道具は視界に写る物体と物体も入れ替えることも可能。その可能性を考えてはいたが、迅速に倒すことを優先したリコは、頭上から落ちてくるゾンビへの対応ができない。
リコは巨躯のゾンビに押し潰されることを予感した。こうなれば、なんとかアリスとの相打ちに持ち込むしかない……
「リコっ!」
セイレンの声が教会に響き渡る。それと同時に、リコの頭上に迫ったゾンビの落下が止まった。スライムのハンモックが間一髪の所で受け止めたのだ。
「やると決めたなら逃さないで!」
追いついたセイレンによる完璧なアシスト。リコは迷うことなく、アリスへ向けてトキムネによる刺突を放つ。
……突き刺したのは、ゾンビの体だった。アリスの視界の端へと潜り込んだゾンビと位置を咄嗟に入れ替えたのだ。
。 トキムネがゾンビの体を貫通しない。リコが両腕でゾンビを弾き飛ばしている間に、アリスはリコとの距離を離し、ロメロの側まで後退する。
「すまない……取り逃した」
「相手は工房の幹部だよ。一筋縄じゃいかないことくらいわかってた」
巨躯のゾンビをスライムで押し潰しながら、セイレンは着地しリコと合流を果たす。
ロメロ達との距離は十メートル。ダメージは与えたが、どれも軽傷で致命傷には程遠い。
完全に仕切り直しだ。
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