11話 一人の重さ

 膝の上でマナちゃんが眠っている。


 一本で高級車が買える薬なだけあって、効き目が良かった。サンタ戦では内臓が欠損したり、四肢が千切れることは珍しくない。そうした傷を一日で治すための秘薬だから、マナちゃんが受けた傷を治すのはそう難しくなかった。


 安心したように寝息を立てるマナちゃんを見ていると、この世で最も価値のある使い方をしたと、胸を張って言える。


 しかしこれでは何も解決していない。せっかく傷を治しても、明日になればまた同じ傷をつけられるだけだから……


 去年の私はここにマナちゃんを残していても、なんとか生きていけるだろうと思った。私がマナちゃんの生きる希望になれば及第点だと。


 馬鹿だった。酷い虐待を受けて、殺される可能性をどこかで感じながら、放置するなんて最悪の対応だった。ありえない。私は最低だ……


 でも、マナちゃんをここから連れ出したとして、その先に待っているのは、先のない逃亡生活だけ。


 どちらの道もマナちゃんを待っているのは破滅だ……それなら私といられる時間が長いであろう、この道の方がいくらかマシだろうか……


 この考えが自惚れなことくらいわかっている。


 マナちゃんが甘えてくれるから、母親代わりになれる気がしてしまう。こんなダメダメなサンタさんの心を救ってくれるくらいに良い子だから、私に夢を叶えたと思わせてくれる。


 でもその実態は一年に一度しか会いにきてくれない、薄情なサンタさん。


 最も懲罰部隊に感付かれる危険が少ないクリスマスイブにしか会いに来ない、弱虫で最低なサンタ。


 マナちゃんはそんな風に思ったりはしないだろう。こんなにも過酷な環境で育っているのに、儚いくらいに良い子だから。


「……ルシアお姉ちゃん……?」


「ごめんね、起こしちゃった?」


 重いまぶたを開いた先に私がいたことに、マナちゃんはほころんだ笑顔を見せてくれる。それもほんの一時だけで、喜びの表情に影が刺すのに、それほど時間はかからなかった。


「体が痛む?」


「取られちゃった……」

 そう言ってマナちゃんは私に強く抱きついてくる。全てを奪われてきたマナちゃんから、奪える物なんてほとんどない。


 最悪の想像が頭をよぎり、それが現実でないことを祈りながら、体の下に積まれた藁を足で軽く揺らす。そこにはあるはずの物がなかった。大切に隠していたはずの、ペンダントがもうそこにはなかった。


 どうしていままでそのことに気付かなかった!? 藁の中まで、サンタ感覚で探ったはずなのに。


「……ごめんね……間に合わなかった……」


 こうならないためにと、リコに頼んで光学迷彩化装置を頼んだのに。一番大切なものを奪われてしまった後では、何もかも手遅れだ。


 きっと虐待が一段と酷くなったのは、マナちゃんが何かを所持していたからだろう。全て奪われていなければならない奴隷でありながら、隠し事をしていたから。


 奴隷が主人に対して、隠し事をする知恵などあってはならないから。


「ルシアお姉ちゃん……私……もうここにいたくないよ……」


 涙で枯れ果てた声……マナちゃんの受けた苦痛を私には理解できない。下級サンタとして鼻つまみ者にされている私ですら、ここまで酷い目にあったことはないから。その苦しみは想像できる範疇を超えている。


 想像を絶する苦しみの中、生きているマナちゃん……去年のようにほったらかしにするなんて、サンタとして許されない。


「助けて……ルシアお姉ちゃん……離れたくないよ……」


 苦しんでいて、涙を流して助けを求めている子どもがいる。自惚れかもしれない。だけどマナちゃんは私を頼りにしている。


 きっと去年も助けてと言いたかった。でも、その言葉を飲み込んだ。


 そんなマナちゃんにここまでさせておいて、理屈を並べて何もしないなど、私の憧れるサンタの道に反する。


 決めた。マナちゃんをここから救い出そう。追手など蹴散らせるようになればいいだけだ。問題はいまの私に、そこまで圧倒的な力はない。逃亡し続けるだけの知識も準備もない。


 リコには大丈夫だと背中を押されたけど、臨戦態勢でない彼女に気圧されるようでは、懲罰部隊に本気を出して追われ時に、マナちゃんと二人ではとても逃げきれない。


「……私……いまからマナちゃんに辛いお願いしてもいいかな……」


 涙で赤く腫れた瞳が私を射抜く。もう逃げない。リコみたいに理想のために世界を敵に回す勇気も覚悟もないけど、マナちゃんのために死力を尽くす覚悟はできた。そのことだけはもう迷わない。


「来年のクリスマスに必ずマナちゃんを迎えにくるから……誰にも負けないくらい強くなって、ここから連れ出してみせるから! だからそれまで待ってて欲しいの……」


「私のこと……助けてくれるの?」


 あと一年待っててなんて、あまりに残酷なお願いを、すぐにでも折れてしまいそうなマナちゃんにしないといけないのが、辛くて仕方ない。


 いますぐ救い出せる強さがなくてごめんなさい。


「いますぐにマナちゃんを助けられなくてごめん……凄く長くて苦しい一年をマナちゃんに押し付けちゃう。でもそこから先は、どんな悲しみも絶対に寄せ付けないから。だから!」


「……わかった! 私、頑張るよ! だから……絶対だよ!」


「絶対に助けにくるから。マナちゃんを。サンタは良い子の元にやってくるんだから」


 マナちゃんが絞り出すように笑った。湧き上がる恐怖を押し殺すために。こんなこと、二度とさせちゃいけない。


「ごめんね。辛い思いさせて。これで最後だから……」


 私はマナちゃんに救われた。今度は私が救う番だ。


 マナちゃんがこんな私を信じると言ってくれた。全て捨てるなんて生温いこと、これから先、一生口にしない。全部手に入れる。マナちゃんを幸せ一杯にするために必要な全てを。


「これ、マナちゃんにクリスマスプレゼント。来年はもっとスゴイの届けにくるから! 楽しみにしてて!」


「ありがとう……でも……」


「ここ押したら透明になるの。ほら! でも持ってるのが不安なんだったら、また来年持ってくるよ?」


 プレゼントをあげることには不安が伴う。万全とは言えなかったが、それでもわざわざ探さないとわからないはずだった、ペンダントの在り処を掴まれたのだ。


 このぬいぐるみも透明になるだけで、触れればバレてしまう。そうなったらもっと酷い虐待を受けることになるだろう。


 リスクとリターンが釣り合っていないのはわかっている。


「……置いといて欲しい。ルシアお姉ちゃんが近くにいる気がして、安心するから……」


 でもお守りとしてマナちゃんのそばに私のカケラを置いて行きたかった。


 マナちゃんを苦しめる呪いになる可能性を考えると、正しい選択かはわからない。


 だとしても、マナちゃんの支えになって欲しい。明日から始まる、地獄の一年を生き抜くための。


 子どもたちの味方だった初代サンタへ祈った。クリスマスの奇跡が、あと一年続くように。


 そこから先は、私が何があっても奇跡を途切れさせないから……あと一年だけ、マナちゃんを守ってください……

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