7話 それでもサンタらしく……
「うーん……ひっ! ごめんなさい! 叩かないで……っ下さい……」
サンタとしての全てを諦観して、踵を返す私の耳に刺さる、あまりに悲壮な怯える声。
どうやらマナちゃんを起こしてしまったらしい。しかも私を虐待しにきた屋敷の人だと思ったようだった。
サンタ感覚でマナちゃんの状態が深くわかってしまう。発汗や脈が酷い状態としか形容できない。
気温と傷のせいで肉体がボロボロなだけでなく、私を見ただけで心が壊れてしまいそうになっている。PTSDなんて生やさしい状態じゃない。
一体どれだけのことをすればここまで追い詰められるのだろう。マナちゃんはまだ十歳にもなっていないのに……
ここまでなるなんて、これまでどれだけ酷い扱いをされてきたのだろう。
「ひっぐ……ひっぐ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
マナちゃんは体を縮こまらせて、うわごとのように謝罪の言葉を吐き出し続けている。目を覆いたくなるほどに悲惨な姿で……
最初に見た時のマナちゃんは、あまりに悲しい夢にうなされていた。
そしていまは、積み重なった現実に震えている。
そんなマナちゃんをサンタの私が放っておけるわけがなかった。
「大丈夫だよ。怖がらないで。私はサンタさんだよ。今日はマナちゃんに幸せを届けに来たの」
迷いはあった。でも体と口が勝手に動いていた。
不思議と……いや、当然のように自分の行動に後悔はなかった。
このことがバレたら、懲罰部隊に追われる身になる。でも、そうなったとしても殺されるだけで済む。
ここで怯えるマナちゃんを見捨てたら、本当に最低のサンタとして、サンタ人生を終えることになる。
そして今日のことを、一生後悔し続ける。心が死んだままで生きることになる。
それは無残に殺されるよりも、悲惨なことだから。これからの人生に後悔はないって言い切れる。
「そうなの? 叩くんじゃないの……よかった……」
真っ先に喜ぶことがサンタに出会えたことではなく、暴力を振るわれないことなのが胸を締め付ける。
「……お姉さん、サンタさんなの?」
「うん、そうだよ。サンタ手帳見てみる?」
これは本来プレゼント倉庫に入るための物で、こうして一般人に、ましてや子どもに見せるものではないのだけど、マナちゃんの緊張をほぐすためならなんでも使おう。
「こんなのあるんだ……本物のサンタさんに会えるなんて、嬉しいな……」
よくよく考えると、サンタ手帳の存在は知られていないのだから、逆に怪しまれる可能性もあった。でも信じてくれたからよかった。
「……サンタのお姉さん……寒いから抱きついても良い?」
私が本物のサンタだとわかって落ち着いたのか、マナちゃんは泣き止んでいた。そして照れながら、顔を少し下げて、こんな可愛らしいお願いをしてくる。
無意識なのだろうけど、上目遣いになっているせいで、ものすごい破壊力になっている。
「別に良いけど、私の体、冷えてるよ」
「やったっ!」
こんなズルイおねだりの仕方をされたら断れるはずがなかった。
マナちゃんが嬉しそうな声を上げながら、弱々しく私の胸に飛び込んでくる。
飛んでくる物といえば、刃と鉛玉のサンタ人生だった。だからこんな風に甘えてくる子に、どう対応すればよいのかわからず、戸惑いを隠せない。
「お姉ちゃんの体暖かい……えへへ……お母さん……」
まだ私は十七歳で、お母さんと呼ばれるほど頼り甲斐があるとは思えないけど、安心してくれてるならそれほど嬉しいことはない。
「昔お母さんが読んでくれた、絵本に出てくるサンタさんにそっくり。綺麗で、優しい……」
「ありがとう。嬉しい」
わしゃわしゃと甘えてくるマナちゃんが、寒くないように抱きしめる。
私が憧れていたサンタは、隠れてプレゼントを枕元に置いたり、お金や権力で子どもを測る存在じゃなかった。
困っている子や、悲しみの只中にいる子に寄り添って、救い出して幸せにするのがサンタだったはずだ。
だとしたらさっきの私よりは、少しは憧れのサンタに近づけたかな……
でもいまの私は無力で、マナちゃん一人、本当の意味で救うこともできやしない。
マナちゃんをここから連れて逃げることは簡単だ。でもそんなことをしたら、懲罰部隊に私だけでなく、二人とも追われることになる。
マナちゃんを守りながらでは、半年も逃げおおせないだろう。二人まとめて処刑されるのがオチだ。
一人なら後先考えず死んで元々と、追われる身になっても構わないといまなら思える。でもそんな境遇を、私の独断でマナちゃんに追い込むなんて無責任なことはできない。
だけどこうして、過酷な環境にマナちゃんを置いておくのも、無責任だ。こうしてお話までしたのだから、どうにかして助けてあげたい……
「サンタのお姉ちゃんは、名前なんて言うの?」
「私? ルシアだよ」
「ルシアお姉ちゃんのこと、お母さんたちに紹介してもいい?」
そう言って、マナちゃんの視線が藁の中に泳いだ。サンタ感覚をそこに集中させると、ペンダントが藁の中に隠されている。
「うん。ぜひ。マナちゃんのお母さんに会いたいな」
そう言って、マナちゃんが藁のベッドに潜り込む。ごそごそと藁の中を漁る音が辺りに響く。
そうして一分ほど経ち、マナちゃんが中から出てくると、その手には予想通りペンダントが握られていた。
「お母さんたちが生きてた頃に、プレゼントでもらったの」
マナちゃんの首にかけるには、少し大き過ぎるペンダントを開いて、中に入った写真を見せてくれる。
そこには私より年上の女性二人と、その間に挟まれている、今よりも更に幼い頃のマナちゃんが写っていた。
「お母さんが、子供の頃にサンタさんからプレゼントを貰って、いつかまた会ってみたいって言ってたんだ」
「そうなんだ……マナちゃんは優しいね」
お母さんに本物のサンタさんを見せられたことに、心から嬉しそうにしているマナちゃんを見て、思わず強く抱きしめてしまう。
冷たいけど、暖かいマナちゃんの体を抱きしめ続ける。
あげられるプレゼントもなく、ここから連れ出すこともできない私には、これくらいしかしてあげられることがなかった。
それでも何か形に残る何かをマナちゃんにできないかを考える。
すんでの所で私をサンタとして繋ぎ止めてくれた、マナちゃんに何かお礼をしてあげたかった。
「マナちゃんは欲しいプレゼントとかある?」
捻り出した答えは結局、サンタらしくプレゼントをあげることだった。
手元にプレゼントはないけど、蓄えが少しある。深夜まで開いているお店に行って、オモチャを買って来るくらいのことならできる。
いまさらサンタ規則違反なんてどうでもいい。マナちゃんに被害が及ばない範囲でなら、なんでもしてあげたかった。
「えっと……うんと……」
「遠慮しなくてもいいよ。無理なことだったら、無理って言うし。ね?」
「……私が何か持ってたらね、ご主人が奪っていっちゃうの……だから……」
予想だにしていなかった言葉に胸が痛くなる。幼くして親を失い、奴隷として扱われ、私物まで奪われる。
マナちゃんは多くを語らなかったけど、あのペンダントはお母さんたちとの思い出が詰まっている、本当に大切な物のはずだ。
本当なら肌身離さず持っておきたいはずなのに……
何か持っているとバレたら、奪われてしまうから、ああして人目につかないよう藁の中に隠していたのだ。
幼いなりに必死に考えたのだろう。この追い詰められ、限られた状況で選べる隠し場所としては、ほとんど最善に近い。
「だから形に残らないものが欲しいな……」
マナちゃんがさっきよりも強く、ギュッと抱きついて、甘えてくる。
「しばらく……こうさせて欲しいな……」
サンタだからプレゼントだなんて、傲慢な発想をした自分が恥ずかしかった。
「わかった。好きなだけこうしてていいよ」
サンタになって初めて、サンタとして報われた。
マナちゃんの抱えている困難に、根本的な何かをしてあげられたわけじゃない。ただ一時的に悲しいのを忘れる手伝いをしてあげただけ。
そんな不完全なサンタの私を、マナちゃんは理想のサンタさんかのように接してくれる。
その優しさのおかげで、根本的に救われたように感じる。私が小さい頃に憧れていたサンタらしく、最後はほんの少しだけど振舞うことができたから。
小さかったとしても、良い子に幸せを届けられたから。
最後の最後に救われた。サンタとしてもう思い残すことはない。
「ルシアお姉ちゃん……わがまま言ってもいい?」
「私に叶えられることなら、なんでも言って」
「来年のクリスマスも私のところに来て欲しいの……ダメ、かな……」
「サンタさんは良い子の所に来るんだよ? 言われなくても、来年も、再来年も来るよ」
前言撤回だ。ここまでマナちゃんに求められて、サンタをやめてなどいられるか。
マナちゃんを救えないことには変わりなくても、か細くとも生きる希望になれるなら、それ以上にサンタとして光栄なことはない。
「ありがとう! ルシアお姉ちゃん!」
大粒の涙を浮かべながら、汚れのない笑顔を浮かべているマナちゃん。それに釣られて、私も笑顔になってしまう。
マナちゃんの人生を変えられるわけじゃないけど、幸せな時間を過ごしてあげられたことが、何よりも嬉しかった。
結局私は、夜明け前までマナちゃんと過ごした。それでも一緒に入られたのは、三時間にも満たなかった。
そんな短い時間でも、私の荒んだ心を優しく溶かしてくれた。
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