第238話

「お前にしちゃ随分と甘い決断じゃねえか」

 合流した文月と健介と共に、全員で英一郎に申請書を出すと、彼を恭弥に向かってそう言った。


「そうですかね?」

「天上院はともかくとして、俺ぁてっきりガチガチに固めるもんだとばかり思ってたよ」

「最初はそのつもりでしたよ。けど、色々ありまして」


「ふうん……ま、なんにせよおじさんはハンコを押すだけだ。お前がいいならそれでいいさ。けど、やるからにはしっかり守ってやれよ? それがリーダーの仕事ってもんだ」

「もちろんですよ。実はその件で折り入って相談があるんですけど」

「ん? 面倒事じゃないだろうな」


「今俺につけて貰ってる稽古を健介にもつけてほしいんです」

「なんだそんなこ――」

「はあ!?」


 英一郎の言葉を遮ってそう言ったのは栞里だった。彼女は納得いかないといった様子でこう続ける。


「おかしいじゃない! あたしの事は戦力にカウントしないとか言ってたくせにあたしよりずっと弱いこいつには特別に稽古をつけるっての? そんなんズルよ! ズル!」

「うるさいですよ。チームから外されたいのですか?」

「ぐっ……! な、納得のいく説明をしなさいよ。じゃなきゃズルよ」

「弱い……なあ天上院さん、俺ってそんなに弱いのかな?」

「比較対象がプロの方々ですから、しょうがないかと」


 大声を出して反発する栞里に、桃花が静かにうるさいと言い放ち、弱いと言われた健介が文月に慰められている。なかなかに混沌とした状況になったが、恭弥は冷静にこう返した。


「いや、ズルじゃないよ。健介のチーム入りは元々そういう約束の元だったんだ。それに、高柳はもう式神使いとして手癖がついてしまっているから、稽古をつけようにも俺達の戦闘スタイルとは違いすぎるからできないんだ」

「うぅ~……ズルい! ズルいズルいズルい! あたしも強くしなさいよ!」

「そう言われてもな……」

「あー……おじさん、発言してもいいかな?」

 いたたまれない空気になりかけた時、英一郎は手を挙げながらそう言った。


「なんですか?」

「ようは飯田と高柳の二人に稽古をつけてやればいいんだよな?」

「そうですけど、高柳は式神使いですよ? 俺達の戦闘スタイルとは違いすぎます」

「何も鍛錬は術を強化するだけじゃない。見たところ、飯田は基礎も出来上がっていない状況だからそっちの鍛錬なら一緒にできるんじゃないか?」


「というと?」

「アレだよ、アレ」

「アレって……あー、マジで言ってます? 相当キツくないですか?」

「キツくなきゃ鍛錬にならんさ。ちょうど今週末は俺もオフだ。土日を使ってたっぷりシゴイてやるよ」

「俺達は不参加で頼みますよ」

「バカ野郎。お前は強制参加だ」

「嘘だろ……」


 一人事情を知っている恭弥はその場に崩れ落ちた。そんな彼を栞里達は不思議そうな顔で見ていた。


    ○


 そうして迎えた土日。恭弥達は扶桑市内にある霊山を訪れていた。彼の両手足には霊力を一定以上使えないよう調整された霊縛呪の鎖が付けられていた。その上で、鎖に重さ何十キロとある鉄球がくくりつけられている。


 霊力が少ししか使えないので、鉄球の重さが直に身体に響いた。そんな重荷を背負った状態で険しい山道を歩く彼の額には、玉のような汗が浮かんでいた。


「ちくしょう……桃花のヤロー自分だけ逃げやがって……!」


 不参加を表明していた桃花と鍛錬の必要のない文月はここにはいない。霊力が制限された状況下での山籠りは、恭弥をしてキツイと言わしめる訓練だった。


 英一郎は健介と栞里の鍛錬として、霊力制限下での山籠り訓練を設定したのだ。


「おらおらどうした高柳、足が止まってるぞー」


 後ろからついてくる英一郎は気楽なものだった。一人だけしっかりと山に入る準備をして、煙草を吹かしながら散歩でもするかのように山道を歩いている。


「なんで……あたしが、こんな事しないといけないのよっ……!」

「お前があたしも強くしろとか言うから……とんだやぶ蛇だ」

「悪かったわね! まさかこんな事やらされると思わなかったのよ!」

「くそう……健介、無事か?」


 そもそも霊力の扱いを知らない健介は、霊縛呪を使用していないが、あまりのキツさにずっと黙っていた。


「なんで、お前ら、喋れるんだよ……」

「鍛えてるからな」

「お、余裕そうだなあ狭間? 重り追加するか?」

「冗談でしょ。勘弁してくださいよ」

「はっはっは。おじさん冗談言わない事にしてるんだ。20キロくらいでいいか?」

「マジかよ……」


 どうやら本当に重りを追加する気らしく、英一郎はリュックから追加の重りを取り出していた。


 諦めの境地で追加の重りを受け入れた恭弥は、もう何も余計な口は叩かないと決意して再び険しい山道を歩き始めた。


「あんた、何キロの重りつけてんの?」

「知りたくないね」

「狭間の重りは全部で160キロかな?」

「マジ? あんたほんとに人間に?」

「一応人間のつもりだよ」


 何が悲しくて自分の体重の倍もある重りをぶら下げて山道を歩かねばならないのか。栞里がドン引きするのも納得というものだった。


 考える事を放棄した恭弥は、それきり口をつぐんでひたすらに歩いた。


 そうして歩く事二時間、やっと目的地に到着した。眼前にはそれまでの鬱蒼とした景色とは違い、特撮ものでよく使われるような開けた岩場が広がった。


「よし、到着だ。ここで一泊するぞ」

「え、こんな何もないところで寝なきゃいけないの?」


 栞里がそう言いたくなるのもわかるというものだった。恭弥も初めてここに来た際は、まったく同じ感想を抱いた。


「何もなくはないぞ。汗を流したければ近くの滝に行けばいいし、岩の上で寝るのが嫌ならベッドを作ればいい。食料だって、山なんだから豊富にある」

「……あたし達、いつからサバイバル番組に出てたのかしら?」

「最初からだよ。この訓練は極限まで身体をイジメ抜く事で限界を超える事を目的としてるからな。何か欲しいと思ったら自分で作るしかない」


「作るったって、どうやって?」

「それを俺が教えたら意味ないだろ」

「そうだぞー。一生懸命、頭を捻って一泊二日の旅を快適にするんだ。とはいえ、飯田までお前らと一緒にやってたら死んじまうからな。飯田には食料と水だけは与えてやる」


 健介は返事をする余裕もないらしく、ひたすらに地面に倒れ伏していた。


「そんじゃあ、明日の下山まで各自、自由行動って事で。飯田は飯食ったら俺と特訓だからなー」

 言うが早いか英一郎は手際よく火を起こしてテントの準備を始めだした。


「さて、と。俺達も飯と寝床の準備をしないとな。高柳も急いだ方がいいぞ。山は暗くなるのが早いからな」

「あ、ちょっと! 待ちなさいよ!」


 ズリズリと鉄球を引きずって山に向かって歩きだした恭弥を栞里は慌てて追いかけた。


「どうかしたか?」

「どうかしたか……って、どうすりゃいいのよ?」

「お前はお嬢様か? いや、高柳ったらそこそこイイとこのお嬢様だったか」

「悪かったわね!」


「飯が食いたけりゃ山に入って食い物を探す。汗を流したければ鉄球引きずって滝まで行けばいいだけの話だ。英一郎さんも言ってただろ?」

「そうだけど……」

「っ! 静かにしろ」


 そう言って恭弥は栞里の口を抑えた。彼の視界には地面を掘っているイノシシが映っていた。


「ツイてるな。今夜は焼肉だ」

「どうやって仕留めるの?」

「機動力が封じられているからな、一撃で仕留める」


 恭弥は手元に槍を作り出すと投擲体勢に入った。霊縛呪によって常のものより脆いが、それでも弱点に当てる事ができれば致命傷となりうるだろう。


 恭弥が槍を投げた。狙い澄ました一撃はイノシシの右目に突き刺さり脳を破壊した。


「よしっ!」


 鉄球を引きずりつつイノシシに駆け寄った恭弥は、新たに生み出した小刀でイノシシの心臓を一突きにした。


「死んだな。よっと!」

 掛け声一つ、イノシシを肩に担いだ恭弥はそれを持って下山を開始した。栞里もまた彼の後についていく。


「鉄球引きずりながらイノシシも担ぐって……ドン引きなんだけど」

「そう思うなら少しは手伝ってほしいんだが?」

「うぅ……血が付きそうでやだなあ……」


 言いながらも、栞里は後ろからイノシシを支えた。ちなみに肩に担いでいる関係で、恭弥の身体はイノシシから垂れてくる血で塗れていた。


「よーし。解体すっか。高柳、やってみるか?」

「え、あたしが?」

「手伝ってくれたら肉分けるよ。その間俺は火を起こすからさ」

「ナイフは?」

「ほれ、これを使え」

 恭弥は解体用のナイフを生み出して栞里に手渡した。


「……あんたの能力、ほんと便利ね」

「まあなあ。初めてこの鍛錬をやった時は能力の使用を禁止されたよ。あん時は刃物を探して石を割って歩いた。もう二度とやりたくない」

「でしょうね。あたしはもう家に帰りたくてしょうがないわよ」

「人生諦めが肝要だ。そんじゃ、俺は山に木を拾いに行ってくるよ。あ、毛皮は布団として使えるからなるべく綺麗に切り取ってくれな?」

「はいはい、いってらっしゃい」

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