第217話
優司はすっかり見晴らしのよくなってしまったかつては窓ガラスに覆われていた、穴の開いた壁としかいえない部分に吹き飛んだソファを引きずっていった。どうやら天城とハクの戦いを観戦するつもりのようだった。
「恭弥もいじけてないでご覧よ。すごい戦いだよ」
自らの部屋をめちゃくちゃにされたというのに、当の優司は全く気にした様子がなかった。それどころか、珍しいものが見れると楽しげですらあった。
あまり気は乗らなかったが、これから使役する式神と契約した鬼の戦いだ。どちらも自身に関係のある妖である。恭弥は優司同様ソファを引きずって窓辺まで持っていった。
「……酷いな、これ。業者呼ばないとダメじゃん」
項垂れている間に一体何があったのか、庭には幾つものクレーターが生み出されていた。
「こうして見ると、改めて恭弥はすごい妖と契約しているんだなぁと思うよ。僕は何度かハクの事を見ていたから、彼女の力はある程度知っているつもりだけど、天城ちゃんは余裕だね。対してハクはいっぱいいっぱいだ」
「天城についていってるハクも十分異常だよ。天城は鬼だから肉弾戦が得意だろうけど、ハクはどちらかといえば術を行使するタイプだろうに」
「そうだね。一度ハクが術を使っているところを見せてもらった事があるけど、その時は結界が崩壊しそうになったからね。ああ見えて、一応気は使ってくれてるのかもしれない」
「気を使ってる、ねえ……」
確かに二人共術は使わずに殴り合いに終始している。しかし、だが、と思う。気を使ってあれなのか、と。
すでに地面に生み出されたクレーターは大小合わせて10を優に超えている。景観を良くするために、と花壇に植えられていた花々は戦闘の余波ですっかり吹き飛んでしまっているし、恭弥お気に入りの喫煙スポットもめちゃくちゃになっている。
「彼女達が本気で戦ったら観戦なんてしてる余裕はないさ」
「それはそうだろうけど……」
「というか、本当に何があってこんな事になったんだい?」
「ハクが俺を蘆屋道満と同一視してたから、天城がそれを強く否定したんだよ。後はもう売り言葉に買い言葉でハクが天城に飛びかかった」
「なるほどね。ハクにとって蘆屋道満は信仰の対象だから、否定されたら怒るだろうね」
呑気にそんなを分析している優司を尻目に、恭弥は更に被害が拡大していく庭先を見てこう言った。
「そんな事より、あれどうやって止めるの。このままじゃ更に被害が……」
「恭弥の式神なんだから恭弥が止めるんだよ?」
「冗談でしょ?」
「当たり前の事を言ったつもりだけど?」
暫し二人の時間が止まった。ややあって、恭弥は誤魔化すようにポケットから煙草を取り出して火をつけた。
大きく煙を吐き出して現実逃避をしていると、優司が「仕方ないなあ」と言って立ち上がった。
「今回はお手本という事でやってあげるけど、次同じ事があったら必ず恭弥が止めるんだよ?」
そう言って、優司は窓からふわりと飛び降りた。そして、互いの顔面に拳をぶつけんとしている天城とハクの間に割って入り、それぞれの拳を足と手で受け止めた。
「二人共そこまでだ。これ以上は家が壊れてしまう」
いとも簡単に止めたように見えたが、後になって聞いたところ、天城の拳を受け止めた優司の右足にはヒビが入っていたらしい。それを聞いた恭弥は「次」がないように上手く立ち回ろうと決意するのだった。
「恭弥、今二人を連れて上に戻る。僕の部屋は駄目になっちゃったから応接室を使おう」
「了解。先に行って待ってるよ」
応接室に移動して、お茶の準備をしていると、二人を伴った優司が入ってきた。
涼しい顔した天城に対し、ハクは犬歯を剥き出しにして威嚇している。襲かかりこそしないにせよ、まだ腹に据えかねるものはあるようだった。
「さて、双方言いたい事はあるだろうけど、とりあえず本題に入らせてもらうよ」
優司はソファに腰掛けてお茶を一口飲んだ後そう切り出した。ちなみに恭弥の隣に腰を下ろした天城に対し、ハクはまた後ろに立っている。
ソファは空いているのだから座ればいいのに、なんて悠長な事を考えていたら、優司が次に言った言葉によって恭弥の頭は真っ白になった。
「まず、恭弥がずっと気にしていた白面金毛九尾の狐だけど、結論から言うと、まだ生きている」
「……………………………………………………は?」
ようやく絞り出せた言葉がそれだった。
「正確には蘆屋道満と共に封印されて眠っている。尻尾の数も七尾になっている」
未だ混乱の最中にある恭弥に追い打ちをかけるように衝撃の事実が叩きつけられた。
「そんな……いや、そんなはずは……」
「恭弥にとっては受け入れがたいかもしれないけど、事実だよ。そして、ハクは白面金毛狐の一尾だ」
次々と受け入れがたい情報が優司の口から語られる。
思えば「ハク」という名には覚えがあったはずなのだ。以前の世界で稲荷が保管していた白面金毛九尾の狐の一尾が「ハク」という名だった。
白面金毛九尾の狐はてっきり過去に戻った蘆屋道満が討ち倒したものだとばかり思っていたから、別人としか、いやそんな考えすら頭の片隅にもなかった。
「ご主人様……」
ハクが気を使って恭弥の肩に手をやるが、そんな事にすら気付かないほど恭弥はショックを受けていた。
自分を落ち着かせるため、ポケットから煙草の箱を取り出す。蓋を開けて一本抜き取ろうとするが、震える手が邪魔をして上手く掴めなかった。
見かねた天城が横から手を出して煙草を取り出すと、恭弥に咥えさせて火をつけた。
「なぜ今になるまで隠しておった」
当然の疑問を、恭弥に代わって天城が優司にぶつけた。その口調は心なしか批難の色が含まれていた。
「蘆屋道満が隠しておけ、と言っていた……じゃ、納得いかないよね」
「当然じゃ」
優司もまた、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「……親心だよ。出来る事なら、恭弥に関係のないところで解決したかった。でも、どうやっても駄目だった。僕達では干渉出来ないんだよ。蘆屋道満が使っていた言葉で表すなら、このイベントには参加資格がいるんだ。僕達には、その資格がない」
「達、というには他にもおるのかえ」
「明彦。それから、薫ちゃんのお父さんの慶一さんも駄目だったようだ」
「なるほどのお……運命もここまでくると笑えてくるの」
「……父さん、とりあえず巻物を見せてくれ。話はそれからだ」
現実を受け入れる準備が出来た恭弥が煙草を灰皿に押し付けながらそう言った。
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