第218話

 優司は無言で古びた巻物を恭弥に差し出した。緑色のそれは、端に付けられた紐で巻かれていた。恭弥は大切なものを扱うように慎重に紐を解いた。


 いつ作成されたのかはわからないが、それには墨文字で現代語が書かれていた。そのアンバランスさがどこか異質なものに思えた反面、彼の自身に対する想いが込められているようで、恭弥はゆっくりと咀嚼するように字を目で追った。


『すまない』


 その書き出しから始まった文には、過去に行った彼の悔恨の思いが綴られていた。


『君がこれを読んでいるという事は、僕は失敗したという事だ。あれだけ格好つけて過去に戻ったというのに、このざまだ。今の君が見たらなんて言うかな? やっぱり、僕じゃ彼女の運命を変える事は出来ないようだ。ここから書き記す事は、僕の懺悔だ。出来る事なら君以外には見てほしくないとすら思う』


 そこまで読んで、恭弥は、

「ごめん。三人共、少し部屋を出ててくれないかな……」

 そう言うと、三人は何も言わずに部屋を出ていった。


『僕は白面金毛九尾の狐が唯一弱るその時を狙って仕留めようと考えていた。その時とは、安倍晴明を生んだ直後だ。どんな生物も出産後は弱る。そこに勝機があると思っていた。だから、彼女を殺せる武器を用意して、彼女が晴明を生んだ直後に襲いかかろうとした。だけど……僕は出来なかった。彼女はあろう事か自身の身を挺して子を守ろうとしたんだ』


 彼は母であろうとする白面金毛九尾の狐を前に、決意が鈍ってしまったのだ。


『その姿を見た時、僕は彼女と和解する道を模索しようと思ってしまった。それが全ての過ちだった。彼女は狐だ。人一人騙すのなんて訳なかったんだ。彼女は人との共存をする意思を見せようと、九尾ある内の二尾を手放した。その内の一尾が今君の手元にいるだろうハクだ。ハクは実によく仕えてくれている。上手く使いこなしてほしい』


 段々と文章に統一感がなくなっていくのを感じた。これではまるで死ににいく直前に書かれた文章ではないか。そう思ったのもつかの間、


『ハクには君に従うよう強く言い聞かせてある。少々不安定な子だけど、いい子だよ。これから僕は、最後の戦いに赴く。もし勝つ事叶わなくとも、せめて封印だけはしてみせる。そうなった時、君には本当に申し訳ないけれど、できれば僕の意思を継いでほしい。是が非でも、彼女を殺すんだ。そのための武器も用意してある』


 続きには白面金毛九尾の狐を殺すためにこしらえたという武器の在り処が書かれていた。


『最後になるけど、このふざけた運命は君の代で終わらせなければならない。なんとしても桃花を救ってほしい。本当に、申し訳ない』


 読み終わった恭弥は、煙草に火をつけるとソファに深く座り込んだ。


 決着がついたと思っていた運命は変わる事なく現代まで続いていたのだ。当事者である恭弥にとってその衝撃は如何ほどだろうか。


「なんのために……これじゃ、あいつが浮かばれない……!」


 知らずの内に握りしめていた拳から血が滲んでいた。やっとの思いで掴んだと思っていた幸せは、その実何も掴んでいなかったのだ。


「…………こんな事をしてる場合じゃない」


 自らに運命を託した彼のためにも、落ち込んでいる時間などなかった。


 恭弥はため息混じりに大きく煙を吐き出すと、大切なものを扱うように優しく巻物を元の状態に戻すと、退室してもらっていた三人を呼び戻した。


「この巻物は厳重に保管してほしい。出来る事なら、誰の目にも触れない場所に」


 そう言って戻ってきた優司に巻物を渡すと、彼は「わかった」と言って受け取った。

 優司は巻物を懐に仕舞うと、恭弥に向かって静かに頭を下げた。


「黙っていてすまなかった」


「いや、いいんだ。父さんが頭を下げるような事じゃない。これは俺の、俺達の問題だ。俺達が解決しなきゃいけない問題なんだ」


「そっか……こういう時、親としては何も出来ない自分が恨めしいよ」


「……この事、桃花には?」

「言っていないはずだよ。明彦と相談して、まずは恭弥に、と思ってね」


「椎名で保管されている巻物にはどんな事が書かれているの?」


「当主に向けて書かれたものと、恭弥が読んだように桃花ちゃんに宛てられた巻物が一つ」


「当主に向けて書かれたもの?」


 優司は先程渡した巻物とは別のものを取り出し、机の上に広げた。


 中を見ると、なるほど確かに当主に向けて書かれたものである事が一目でわかった。ただ事務的に、白面金毛狐が封印されている場所や巻物の開封タイミングなどが書かれているだけだった。


「今すぐ桃花に知らせよう。それから、俺達はすぐにでも白面金毛狐をどうするか決めなければならない」


「となれば、薫ちゃんも呼ぶ必要があるね」

「そうだね。鬼灯の家にある巻物はどうなってるの?」

「そっちはちょっと複雑なんだ。冥道院家が絡んでいる」


 今最も聞きたくない名前だった。冥道院と鬼灯、稲荷は切っても切れない関係だ。おまけに、この世界でも冥道院家は鬼灯、稲荷に滅ぼされている。恨みを持っているに違いない。


 冥道院がどのタイミングで現れるのかわからないが、彼が恭弥の知る彼ならば、きっと一番嫌なタイミングで登場する事だろう。


「冥道院も気にしないといけないってのは厄介だな……でも、とりあえず関係者全員ウチに集まってもらおう。話はそれからだ」


 白面金毛狐。その名は以前の世界の記憶を持つ者にとっては何に差し置いても優先される事柄だ。優司が椎名、鬼灯の両家に連絡を入れると、少しも待たずに関係者が集まった。


 人数が人数という事で、会議室で話し合いをする事になったのだが、そのメンバーはそうそうたるものだった。


 狭間家からは恭弥、天城、ハク、千鶴、優司、文月。椎名家からは桃花、神楽、明彦。鬼灯家からは薫、慶一と、今を時めく若手のエースと御三家の当主が全員集合した。そんな中、口火を切ったのは恭弥だった。


「まず、現状を確認したい。俺達が戦った白面金毛狐は、過去に戻った狭間恭弥が封印しているが、今も生きている。ここに集まった皆、特に俺達世代の人にはもう巻物に目は通してもらったと思う。これは、俺達が解決しないといけない問題だ」


「そうですね。特に、当事者であるわたくしと恭弥さんにとっては至上ともいえる問題です。皆さんには申し訳ありませんが、お力をお貸しください」


 桃花は静かに頭を下げた。それに対して、神楽と薫がこう言った。


「何言ってるんですか姉様。これはお二人だけの問題じゃありませんよ。皆の問題です」


「そうだね。ウチとしても散々煮え湯を飲まされたし、私も当事者だよ」


 二人に続くように親世代である優司、明彦、慶一が、


「出来る事なら僕らの世代で解決したかったんだけどね」

「それが出来ないとなった今、君達の力を借りるしかない。すまん」

「それに、どうやら我が家自体も無関係という訳ではないようだしな」


 かつてないほどの思いの一致を感じた。恭弥は胸に込み上げてくるものを抑えながら、こう言った。


「ありがとうございます。それで、なんですが慶一さん。鬼灯の巻物にはどんな書いてあったんですか?」


「ウチのものは少々特殊でね、白面金毛狐がどうこうというより、冥道院に関わるなというのが主だった」

「というと?」


「知っての通り、冥道院は鬼灯と稲荷によって潰されている。巻物にはそれをやらないようにと書かれていたのだよ。もっとも、我が先祖はやってしまったようだがな」


「なるほど。じゃあやっぱり、最悪の事態として冥道院の介入もあり得ると考えるべきですね。父さん、白面金毛狐の封印はどうなってるの?」


「扶桑タワーがあるだろう? そこの地下深くに封印されている」

「街のど真ん中じゃないか、なんでそんなところに……」


 扶桑市の中心街、そこのシンボルとしてそびえ立つのが扶桑タワーだ。高所から街を望めるという事で、市の有名な観光スポットの一つとなっている。


「風水の関係上、人が沢山集まる場所が良かったんだよ。白面金毛狐は強力な陰の気を持っているからね、陽の気で中和する必要があったんだ。それに、職員に紛れて一級退魔師が複数人常駐している」


「でも、決戦の場は街って事になるのか……住民の避難とかが大変そうだな」

「その辺の根回しは僕らがやるさ」


 頼りになる一言だった。白面金毛狐が街中で動けば死傷者の数は計り知れない事になってしまうだろう。その心配がないだけでもありがたかった。


「千鶴さんはその封印を見た事があるんですよね? 端的に言って、今の俺達で勝てそうですか?」


 恭弥の質問に対し、千鶴はノータイムで「無理でしょうね」と言った。


「蘆屋道満が弱らせたとはいえ、未だその力は私達のそれを超えています。今すぐに戦いを挑むより、力をつけて勝算がある状態で挑むべきだと考えます」


「……タイムリミットは一年後の夏、か。白面金毛狐が存在する以上、桃花の運命は変わっていないはずだ。それまでに勝てるだけの力をつける必要があるって事ですね」


「そうなりますね。それと、蘆屋道満が拵えた武器というのが気になります。優司さんはその武器を見に行ったのですよね?」


「正確には取りに行った、だけどね。強力な結界が張られていて武器に近づく事すら出来なかった。どうやら恭弥以外、近づけないらしい」


 優司の言葉に続いて、明彦がこう言った。


「それこそが俺達の世代での解決を諦めた原因なんだがな。彼が遺したという武器がなければ、白面金毛狐を討つ事は出来ないだろう」


「それほどまでに強力な武器なんですか?」


「白面金毛狐を殺すためだけに作られた刀だと聞いている。相応の力があるだろうさ」


「それじゃあ、明日にでもその刀を回収してきます」

「それがいいだろうな」


 文月がホワイトボードに決定事項を書き出す。唯一戦う能力のない彼女には議事録係を行ってもらっていた。


「タイムリミットぎりぎりまで力をつけるのはいいとして、冥道院の扱いをどうするか、ですね。あいつは以前の世界で文月を依り代とするために誘拐しました。今回も同様の事が起きないとは限らない。何か対策をしないと……」


 それぞれが意見を出すが、冥道院という人物の凶悪さを知っているが故にこれといった案が出なかった。考えが煮詰まり始めたその時、


「案がないのであれば、僕が彼女を守りますよ」


 声は聞こえたが、姿が見えなかった。キョロキョロと室内を探していると、


「ここですよ、ここ」

 と、声の方に目をやると、文月の足元に一匹の狐がいた。


「あら、狐さん?」

 恭弥達にとっては見慣れない存在であったが、どうやら文月は違うらしい。


「おい、まさか……」

 そう言ったのもつかの間、狐が光に包まれた。グングンとその姿を大きくしていき、やがて人の形になって光が晴れたかと思うと、そこにいたのは宗介だった。

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