第208話
4人は扶桑市の外れにある山の近くの農村地帯に足を下ろした。付近一帯が玉ねぎ畑と畜産場に囲まれた都会らしからぬ場所だった。
シイは狸のような犬のような獣であり、牛を害する妖である。牛の放牧がなされているここは、シイにとって天国のような場所だろう。この分なら一匹二匹では済まなさそうだ。陰陽座に依頼がくるのもわかるというものだ。
「さて、と。大したことない相手だろうけど、どうする?」
効率を考えるのであれば各自バラけて討伐にあたった方がいいだろう。しかし、夜光という不確定因子がいる以上ここは固まって行動するべきだ。とはいえ、それを口に出す訳にもいかないので恭弥はあくまで新人が新人に相談する口調でそう言った。
「念のため固まって行動しましょう。わたくし達は『初めて』のお務めなのですから」
桃花は「初めて」の部分を強調して言った。こう言っておけば、万が一夜光が怪しい動きを見せた時に自然に逃げる事が出来るからだ。実に見事な演技と言えよう。
新人が初めてのお務めから逃げるのはよくある事だ。若干名声に傷は付くが、背に腹は代えられない。
「デスネー。ワタシコワクテニゲチャイソウデスー」
姉が名優なら妹は大根役者だった。そうとしか言えないほどに芝居臭い声音で神楽はそう言った。
きっと彼女なりにいざという時の事を考えて口にしたのだろうが、これなら黙っていた方がよかったくらいだ。ともあれ、
「と、いう事です。俺達は固まって動くんで、夜光さんは後ろからついてくる形でお願いします」
夜光は不敵に笑うと「承知した」と言った。そして、言うが早いかその影を希薄にさせた。
「……え?」
眼前にいたはずなのに、今は夜の闇があるだけで夜光の姿はない。一体どんな術を使ったのか検討もつかなかった。
「……どうやら真面目にやる必要があるようですね」
「ちょっと気合入っちゃいました」
そう言った二人の顔付きは先程までのものとは打って変わって強敵と相対した時のものになっていた。
「勘弁してほしいね、まったく……」
一層不気味な印象を残して消えた夜光を気がかりに思いつつも、三人は務めを果たす事にした。といっても、やる事は至極単純だ。シイが現れるのは決まった場所なので、その場に行って現れたシイを討伐する。ただそれだけの事だ。
この時間であれば牛達は牛舎で眠っているはずなので、そこに行けばいい。事前に牛舎の鍵は開けてもらっているので、待ち伏せるだけで事は済む。
牛舎に入ると、特有の臭いが鼻についた。要するに、糞尿の臭いである。
神楽は案外平気な顔して「牛さん可愛いですねー」などと言っているが、桃花は思い切り眉根を上げて鼻を押さえている。恭弥もどちらかという桃花寄りだった。
「神楽、鼻が利く癖にこの臭いは平気なんだな」
「うーん、まあ臭いは臭いですけど、動物が出す臭いだと思えば特に気にならないですね」
神楽の発言を聞いて、桃花は信じられないものを見るような目で神楽を見た。
「まあ、気持ちはわかるが個人差だ。そんな目で見てやるなよ、桃花」
「そうですよー。牛さん可愛いじゃないですか」
「それとこれとは話が別です」
暫く待っていると、牛を狙ったシイが牛舎に侵入してきた。彼らは大きく裂けた口からよだれを垂らし、今晩のごちそうに目を奪われているようでこちらに気づいていない。
「ま、ちゃちゃっと片付けるか。わかってると思うが、異能は使うなよ? 牛舎がめちゃくちゃになっちゃうからな。特に神楽」
「な、なんでですか! 私にだってそれくらいの分別はありますよ」
「どうだか……っ! きましたよ!」
邪魔者に気付いたシイ達が大口を開けて襲いかかってきた。桃花と神楽は舞でも踊るかのように優雅にそれを躱すと、すれ違いざまに頭骨を両断していく。
恭弥はせっかくの機会なので、英一郎から学んだ石下灰燼流を活かそうと正面からシイを打ち砕いていく。
そうして三人で2、30匹も討伐した頃には牛舎の中がすっかり血泥に塗れていた。
「今ので最後かな?」
「そのようですね。清掃班を呼んで終わりにしましょう」
「牛さんうるさくしてごめんなさい。もう終わりましたよー」
仕方のない事とはいえ、騒ぎ立てた事で牛達はすっかり目を覚まして慌ただしく隅の方に避難して震えている。この分だとストレスで明日の搾乳はミルクが出ないだろう。
牛舎の外に出てると、静寂が待っていた。依然夜の帳は下りたままだ。一体どこに隠れているのか、よく目を凝らしても夜光の姿は見えない。
(結局何もしてこなかったな……俺達の気にし過ぎか……?)
後ろでは桃花がお務めの終了と清掃班の手配を行っている。後は車に乗って帰宅すれば全ての工程が終わる。張り詰めた気を抜くがてら深呼吸をした。――そんな時だった。
「素晴らしい。やはり汝らこそ伝承の子供達」
人二人が倒れる音がした。振り返ると、そこには地面に伏す桃花と神楽の姿があった。その側には怪しく佇む夜光の姿もある。
「……やっぱりこうなるのかよ」
倒れた二人が刀を抜いた様子はない。それはつまり、敵を敵と認識する前にやられたという事だ。不意打ちだったにせよ、この二人がこうまで醜態を晒すとは考えにくい。間違いなく夜光は強い。
(野郎……一体どんな手品を使いやがったんだ……? なんとかして二人を助けないと)
「案ずるな……彼女達は気を失っているだけ。時期に汝もそうなる」
「ご丁寧にどうも。だけど悪いがあんたの思う通りにはならんよ」
いざとなれば天城に出てきてもらうしかない。そう思い、恭弥は天城に話しかけるがどれだけ声をかけても返事がなかった。
(こんな時になんの冗談だ! 天城、返事しろ!)
恭弥の動揺を見て取ったのだろう、夜光は薄く笑うとこう言った。
「汝の切り札は知り得ている。対策は取らせてもらっている」
「テメエ、何しやがった」
「答える義務はない」
恭弥は鬼の力を発動させて一気呵成に攻め立てようとしたが鬼の力が発動しなかった。どうやらそれすらも封じられているらしい。
「チクショウ!」
両の手に生み出した霊刀で斬りかかる。が、夜光は全体重を乗せたそれを軽々と手にした錫杖で受けきった。そして、もう片方の手に仕込んでいた針を恭弥の首筋に刺した。
(やられた……クソ……意識が……)
恭弥もまた、先に倒れた二人同様地面に伏した。
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