第207話

 穏やかな日々だった。明彦の件以降これといった事件もなく、恭弥は千鶴と英一郎という二人の師の元で日々成長を続けていた。


 四年間という日々は人を成長させるには十分過ぎ、光画の指導もあってか、この頃になると恭弥は立派に良いところの坊っちゃんの貫禄が出るようになっていた。それこそ後何年かすれば社交界のような場に出ても恥ずかしくないほどだった。


 そんな折、恭弥は優司に呼び出されていた。この八年間、彼に呼び出されて良い事などなかったので、どうせ今回もろくでもない事なのだろうと思いつつ、彼の待つ私室を訪れると、幾分か老けてシワが目立つようになってきた優司が本を読んでいた。


「なんだい父さん、急に呼び出して」


 そう尋ねると、優司は本を置いて煙草に火をつけた。最近気付いたのだが、彼は話しづらい事などがある時は煙草を吸う癖があるらしい。という事は、今回もそういう事なのだろう。


「いやなに、恭弥も今年で8歳になるだろう? そろそろかなって思ってさ」


「そろそろっていうのは?」


「お務めの話さ。明彦のところの娘二人も今年デビューするらしいんだ」


 優司は言いづらそうにそう言うと、ため息混じりの紫煙を吐き出した。対する恭弥はキョトンとした顔を見せるばかりだ。


 てっきりこの後に良くない言葉が続くものだとばかり思っていたが、待てど暮せど優司は何も言わないので、伝えたい事とはこの事だったらしい。


「……まさか、そんな事のために呼び出したの?」


 そう言うと、優司はムッとした顔を見せて、


「そんな事とはなんだい。僕は恭弥が心配でならないんだ」


「いやいや、なんのために今まで修行してきたのさ。お務めに出るためにしてきたんじゃないの?」


「それは、そうだけど……だけどさあ! 僕は恭弥がお務めに出るなんてまだ早いと思うんだ。それを明彦の奴はいつまでも実戦を知らないままではいけないとか言い出してさあ」


「そんな事言ったって、父さんだって俺くらいの年齢にはお務めに出てたでしょ」


「いや、まあ、そうだけどさ……」


 優司にしてみれば可愛い一人息子を蝶よ花よと大切に育てたかった。出来る事ならお務めなどという血なまぐさい事には関わらせたくないとすら思っていた。しかし、そこは恭弥も日本男児である。自らの務めを果たしたいという気持ちがないでもなかった。


「それで? 初出勤はいつになりそうなの?」


「一週間後だ。相手はシイ。万が一にも不測の事態が発生しないように全力を挙げて調査させてる。桃花ちゃんと神楽ちゃん、それからベテラン一人をつけた完璧な布陣だ」


「それはまた……随分と過保護な」


 シイなど神楽が燧を一振りしただけで片付くような相手だ。とても過去に特級や一級だった退魔師が複数人で討伐するような妖ではない。


(そういえば、あの二人は刀を継承したんだろうか)


 二人が雷切と燧の試練を乗り越えているのであれば、相当に力をつけている事になる。恭弥自身も相応に力をつけたつもりだが、負けていられないな、なんて思っていると、


「本当は僕がついていきたかったくらいだ。それを明彦の奴は過保護だなんだと……」


「いや、そりゃそうだろうさ。シイ相手に4人がかりなんて考えられないよ」


 恭弥がため息をつきながら優司の親バカ丸出しの話しを聞いている頃、椎名家でも同様の会話が繰り広げられていた。


「いいか、二人にとってはこれが初めてのお務めとなる。色々と勝手がわからない事もあるだろう。そこは私が選んだ退魔師の人に聞きなさい」


 明彦は真剣な表情で眼前に正座する桃花と神楽に言ってきかせた。しかし、当の本人達はというと、


「いえ、何度も言うようですが、わたくし達はお務めそれ自体が初めてという訳ではないと言ったはずです」


「そうですよ。だいたい、シイ相手に4人がかりとか恥ずかしくないんですか」


「たかがシイ、されどシイだ。それにお務めに出ていたのは以前の世界での話だろう。その身体で、この世界でのお務めは初めてなのだ。いくら慎重を期しても足りんのだ」


 叱責混じりにそう言うも、神楽などは「そうですかー」とどこ吹く風だ。桃花にしても、一刻も早くこのくだらない会話から解放されたいという思いがにじみ出ている。それが一層明彦の心配を加速させる。


「油断と慢心、その結果何が起こるかなどお前達にして当然わかっているはずだ」


「油断も慢心もありませんよ。そもそも、パートナーに恭弥さんも選ばれているのでしょう? わたくし達の出る幕はないと思いますが」


「ですねー。私達がお茶してても終わるんじゃないですか?」


「馬鹿者! お前達には恭弥君に何もさせないと言うくらいの気概はないのか」


「ありませんね」

「ないですねー」


「……私はお前達が心配なのだ。なぜ親心がわからん」


「過保護が過ぎるのです」

「ていうか父様そんなキャラでしたっけ?」


 至極当然過ぎる返しに明彦は激昂した。


「ええい、お前達などもう知らん! 人の心配を尽く無視しおって! 好きにしろ!」


 そんな様子に、姉妹は揃ってため息をついた。奇しくもそれは、恭弥がため息をついたタイミングと同じだった。


「そのように心配せずとも、無事に帰ってきますよ」

「ですです。私達は強いですからねー」


 そんなやり取りから一週間、恭弥、桃花、神楽の3人は陰陽座が手配した車の中にあった。


「しかし父さんには参ったよ。直前までソワソワして忘れ物はないかだとか聞いちゃってさ、側にいた文月に笑われちまった」


 そう言いつつも、恭弥の顔はどこか嬉しそうだった。親というものを知らなかった恭弥にとって、過剰過ぎるともいえる優司の愛情は口ではなんと言おうと嬉しいのだ。


「そちらもですか。我が家も家の者総出で見送りをされました」


 戦う前だというのに、桃花はすでに若干疲れた顔を見せている。人嫌いな彼女にしてみれば、総出で見送られるなど精神攻撃の一種に思えた事だろう。


「恥ずかしいったらないですよ。父様なんて仕事遅らせてまで見送りにきましたからね」


 神楽の暴露に苦笑しつつ、「お互い親に愛されてるな」と返した。


「そういえば、ベテランを補佐につけるって言ってたけど誰が来るんだろう?」


「高橋さんらしいですよ」

「恭弥さん聞いてなかったんですかー?」

「聞く暇がないくらい心配されてた」


 そう返すと、二人は何かを察したようで押し黙った。


「しかし、高橋さんなあ。あの人には会ってなかったな」


「相変わらずでしたよ。何かにつけて規則規則ってこーんな顔しながら言ってました」


 神楽は指で眉間にシワを作って見せた。その様子に、過日の高橋の顔を思い出して思わず笑ってしまった。


「まあでも、高橋さんならやりやすそうだな」


 なんて事を言っていると、車が停まった。どうやら新たに人を乗せるらしい。


 三人を乗せた後部座席のドアが開く。立っていたのは高橋――ではなかった。


 漆黒の霊装に顔を覆い隠す程の大きさの三度笠を被ったおおよそ現代にそぐわない格好をしたその男は、自らを「夜光やこう」と名乗った。


「……付き添いは高橋さんじゃないんですか?」


 夜光なる男の名など聞き覚えがなかった。それに加えて見るからに怪しいその様相。思わず尋ねる声が鋭くなる。


「彼は急病により床に臥せっている。故に私が派遣された」


 顔を見合わせる三人を見て、夜光は「私では不足かな?」と付け加えた。


 見たところ、彼の実力は申し分ないように思う。伊達に風変わりな格好をしている訳ではなさそうだ。


 三人はいつまでもこうしている訳にもいかないと思い、夜光の乗車を許可した。ただし、彼が座るのは助手席だ。この車は運転席と後部座席が隔絶されているので、こうすれば、これから行われる会話は聞かれない。


「……確認取ったか、神楽?」


 口火を切ったのは恭弥だった。神楽は夜光の姿がなくなってからスマホでどこかと連絡を取っていたので、それを見て聞いたのだ。


「はい。今連絡が来たんですけど、急病なのは本当らしいです」


「普通こういうのは事前に連絡入れるよな。まあ、急病って言われたらそれまでだけど……」


「だからこそ怪しいんですよ。状況が整い過ぎてます」


(この世界はこういうのないと思ってたんだけどな……)


 否が応でも以前の世界の陰謀を思い出してしまう。それほどまでに夜光という男は影の匂いを漂わせていた。


「しかし、夜光ですか……どこかで聞いた覚えがあるような……」

 隣に座る桃花が引っかかりがあるような口振りで言った。


「前の世界でか?」

「ええ。ですが、どうにも思い出せません。何事もないとよいのですが……」


 車が停車した。どうやら目的地についたらしい。三人は意識を切り替えた。どのような思惑があるにせよ、お務めはこなさなければならないのだ。

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