第204話

「明彦さん、私がわかりますか?」

 美智留が地面に横たわる明彦の頬を労るように触れながら問いかける。


「う、む……ここは……? そうか、私は……」


 意識を取り戻した明彦の目に写るのは、自身を心配そうに見下ろす最愛の家族達の姿だった。


 桃花も神楽も父の名を呼ぶ。明彦もまた、愛する家族の名を一人ずつ呼んでいく。


「美智留、桃花、神楽……心配をかけたな。私はもう大丈夫だ。恭弥君が助けてくれた」


「そうですか……流石は狭間家の長男ですね。いくら礼を重ねても足りないですね」


 美智留の言葉に明彦は力強く頷いて見せた。しかし変だ。自身を助けてくれた件の少年の姿が見えない。どこか焦燥感を覚えた明彦は恭弥の様子を尋ねる事にした。


「……恭弥君はどうした?」


 明彦がその言葉を発した直後、人が地面に倒れる音が聞こえてきた。それと同時に、優司の切羽詰まった声が聞こえてきた。


「恭弥!」


 視線を声の方に向けると、恭弥が地面に倒れているのが見えた。


「高熱を出しています! 急いで寝かせる準備を!」


 千鶴が恭弥の額に触れて、椎名家の女中に指示を出す。それを見て明彦は、休息を要求する身体に鞭打ってなんとか立ち上がる。


「あなた、急に立ち上がっては……」


「……恩人が倒れているのに寝ていられるか。医師の手配を急げ……寝かせる場所は母屋の客室を使えばいい……う、くっ……急げ!」


「……わかりました。あなた達、明彦さんの手助けをなさい」


 ふらつきながらもなんとか指示を出した明彦は、女中に運ばれていく恭弥を見送った後、桃花と神楽の手を借りながら優司の元まで移動した。


「俺のためにすまん……」


「いや、恭弥自身が望んだ事だ。僕がどうこう言える立場にはない」


「それでも、だ。恭弥君はなんとしても無事に返す」


「今度は僕が覚悟を決める番みたいだね。まあでも、恭弥なら大丈夫でしょ」


 優司は手をひらひらとさせながら言った。その様子は先程切羽詰まった声を出していた者とは到底思えなかった。


「ふっ……お前というやつは……まあ、俺もそう思うよ。実際に一緒に戦った訳だしな」


「あの、父上……」


 桃花と神楽は明彦を支えながらも、やはり運ばれていった恭弥の様子が気になるようだった。それを察した明彦と優司は、


「ああ、私は大丈夫だ。恭弥君のところに行ってきなさい」


「何かあっても僕が運ぶから心配しないでいいよ」


「すみません」

「ありがとうございます」


 と、言うが早いか桃花と神楽は自らの父を優司に預けて母屋に駆け出していった。


「父の心配より男の心配か……」

「父親としては複雑な心境だろうね」

「まったくだ……」


 優司の前では虚勢を張る必要もないと思ったのか、明彦はそう言いながら地面に座り込んだ。優司もまた、彼に倣い地面に胡座をかいた。


「恭弥は強かったでしょ」


「そうだな。俺なんかよりも遥かに強かったよ。末が恐ろしい」


「もうじき僕らの時代は終わる。次の世代を担うのは、恭弥だ」


「俺の娘達を忘れてもらっては困るな」


「そうは言っても、君のところの子供達はあんまりそういうの興味ないでしょ」


「興味を持たせるさ。持ってもらわなければ困る」


「わからないよ? 君には悪いけど、あの子達は恭弥の事が好きみたいだ。このままいけば狭間が嫁として貰っちゃうかもね」


「本当に、困ったものだ……さりとて、子供達を椎名に縛り付けるのはな……」


「おや、おおよそ君の口から出たとは思えない発言だね」


 優司はニヤつきながら煙草に火をつけた。それを見て、明彦はムッとした表情で、


「茶化すな。どこの馬の骨とも知らん奴にやるくらいなら恭弥君に貰われた方がマシというだけだ」


 その発言を聞いて、優司はますます顔をニヤつかせてこう言った。


「いやあ、父親公認とは恭弥も隅に置けないなあ。流石は僕の息子だ」


「ええいっ、お前と話していると腹が立ってくる。どうせ泊まっていくつもりなのだろうが、お前の飯は用意しないからな!」


 話しを切り上げるつもりで立ち上がろうとしたが、やはりまだ弱っているようで、明彦は前のめりに転びそうになった。が、すかさず優司が手を伸ばして支える。


「おっと、ありがたい申し出だけど、僕は家に戻るよ。こう見えても暇じゃないんでね」


「何?」


「例の教団の件だよ。どうにも何処かから情報が漏れてるっぽいんだ。対処しないといけない」


「……手を貸す必要はありそうか?」


「今のところは大丈夫。まだ敵もはっきりしていないからね」


「こうも内外に敵がいると誰を信用していいのかわからなくなるな……」


「仕方ないさ。組織が大きくなればなるほど甘い蜜を吸おうという人間は増えてくる」


「忘れるな、お前がどうなろうと、俺だけはお前の味方だ」

「僕もそのつもりだよ」


 優司は明彦に肩を貸して母屋へと共に歩いていった。


   ○


(夢を見ていた。俺じゃない俺が、運命を変えようと足掻いているその姿を、俺は俯瞰視点で見ていた)


 人々が豊かさという言葉からはかけ離れた生活を送っていた頃に彼はいた。


 ボロ布のようになった黒い霊装を纏い、幾年を経ても姿形の変わらない彼は、只管に妖を倒し、己を鍛えていた。


「これはこれは蘆屋道満様、今日は何用で?」


 どうやら彼は蘆屋道満というらしい。薄汚い男が媚びた表情で彼に向かって言っている素振りからわかった。


「刀工を紹介してほしい。国一番の名刀を打てる刀工だ」


「それはまた……何を斬るおつもりですか?」


「狐。国をも飲み込む化け狐を斬り殺せる刀が欲しい」


「国をも飲み込むですか。また大きくでましたな。あいわかりました。探しておきましょう」


 日付が変わった。道満は再び薄汚い男の元を訪れていた。


「刀工は見つかったか?」


「それが、そのう……いたにはいたんですが、どうにも偏屈な奴でして……」


「偏屈?」


「金で動かない奴なんです。なんでも自分の気に入った理由以外では刀を作らないらしくて……」


「そうか。会わせてくれ」


「いいんですか? 気に入らない奴は斬り殺すような奴ですよ?」


「それぐらいの奴じゃなきゃ、あいつを殺せる刀は打てないさ」


 道満は男に案内され、人里離れた山の奥に訪れた。そこに、刀工はいた。


 刀工の名は村正。後に、徳川家を祟る妖刀を生み出した村正の先祖だった。


「刀を打ってほしい。国を飲み込む化け狐を殺せる刀だ」

「……理由は?」


「愛しい人を縛る運命から解き放つため」

「……いいだろう」


 夢の終わりが近づいているのがわかった。意識が徐々に引き上げられ、覚醒していく。


 恭弥が目を覚ますと、そこは仄かに暗い部屋だった。障子から薄っすらと差し込む月の光で、今の時間が夜なのだという事がわかった。


 身体にかけられている布団が重くて、どかそうとして気付いた。頭が重く、熱っぽい。身体もダルくて力が入らなかった。それに、見慣れない天井だ。


「ここは……?」


 暗闇から誰かがそっと近づいてくるのがわかった。まだ暗闇に目が慣れていないせいで誰かはわからなかったが、身体を起こしてくれた手がやけに小さかった。誰だろうと思っていると、


「……お腹は空いていますか?」


 と彼女は言った。仄暗い室内で、桃花はひっそりと恭弥に寄り添っていたのだ。


 暗闇の中にあって尚彼女の白銀の髪は光を反射していた。見ようによっては物の怪の類にも思えるその様子をしかし、恭弥は安心感すら覚えて見ていた。


 ただジッと彼女を見ていたからだろう、桃花は「声が出ないのですか?」と問いかけた。


「あ……いや、お腹は減ってる」

「……何があったか覚えていますか?」


 常であれば「喋れるのなら早く声を出しなさい」などと毒の一つでも吐く場面であろうに、桃花はあくまで心配そうな声音のままそう言った。


 なんだか調子が狂いそうだった。とはいえ、優しくされているのならばそれを素直に享受するのも悪くないかもしれない。


「それが、あんまり覚えてないんだ……」


 桃花は「そうですか」と言うと、立ち上がり少し離れていった。再び戻ってきた彼女の手には、湯気が上るおかゆが入った椀があった。


 空腹の時に嗅ぐ米のいい香りというのは食欲をすこぶる刺激する。恭弥もまたその例に漏れず、胃袋が早く米を寄越せと自己主張をしだした。


 恭弥の腹の音を聞いた桃花はクスリと笑うと、手に持ったレンゲでおかゆをすくってふーふーと冷まして恭弥の口元まで持っていった。


 恭弥がもぐもぐと口に運ばれたおかゆを咀嚼している間、桃花は何があったのかを語りだす。


「貴方の意識がなくなって暫くして、父上に取り憑いていた妖の力が弱まったのです」


 桃花は話しながら、再びレンゲでおかゆを恭弥の口元に運ぶ。


「そして、優司さんと千鶴さんが文殊法を使って妖を数珠に封じ込めました。父上は無事に目を覚ましましたが、貴方はそのまま倒れてしまったのです。身体がダルいでしょう?」


 言って、桃花は恭弥の首筋に手をやった。ひんやりとした体温が気持ち良かった。


「だいぶ下がったようですが、それでも高熱には変わりありません。おかゆを食べたら、また眠るのです」


 どこか母親を思い出すような桃花の口振りに、恭弥は言われるがままに従った。差し出されるおかゆを食べ、それが終わったら彼女に手伝ってもらいながら床につく。


「……ありがとう」


「お礼など、わたくしが言うべき言葉です。早くよくなってください」


 桃花の冷たい掌が恭弥の瞼を覆った。


 ――優しい匂いがした。


 それは恭弥の好きな匂いで、彼の意識を再び眠りにつかせるのに十分過ぎた。

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