第205話
「んー! やっぱり文月さんの作る料理は美味しいですねえ」
頬いっぱいにおかずを詰め込んでそう言う彼女こそ、誰を隠そう当代一の術使いとの呼び声高い安倍千鶴だった。
「そう言っていただけて嬉しいです」
文月は穏やかな笑みを浮かべながら、「おかわりもありますよ」と言った。
「おかわり!」
術に限らず武術の才、妖研究においても才覚を発揮するまさに才女としかいえない彼女は、明彦の件以降どさくさに紛れて狭間家に居候を決め込んでいた。
もぐもぐと次から次におかずと白米を口に放り込んで行く姿からはおよそ想像がつかないが、彼女はついこの間まで秘密を知ってしまった事で自らを監禁状態に置いていたのだ。
一体彼女の心境にどのような変化があったのかは推し量れないが、千鶴の表情に笑顔が戻ったのは良い事である。……であるのだが、
「……千鶴さん自分の家帰らないでいいんですか?」
「どうせ帰ってもうるさく言われるだけですし、それなら弟子の家にいた方がいいです。というかなんです、その顔は? まるで私がここにいるのがおかしいみたいな顔ですね」
「そりゃそうでしょう。前の時と違って帰る家があるのにウチに居候する意味がわからない」
「いいじゃないですか。居候する代わりにあなたの修行を見てあげるのですから」
「そりゃまあ、そうだけど……」
援護を期待してちらりと優司の方を見やるも、
「おいお前、この肉おかわりじゃ。美味い」
「はいはい。君、悪いんだけどステーキのおかわり持ってきてくれるかい?」
女中はうやうやしく一礼すると、天城のおかわり分のステーキを運んできた。
「天城ちゃん、次はステーキソースかけて食べてみたら? 塩胡椒もいいけどソースも美味しいよ?」
「本当かえ? 嘘じゃったらお前の分も食うぞ」
「そんな事しなくても、好きなだけ食べさせてあげるよ。君には恭弥がお世話になっているみたいだからね」
「うむ。いい心がけじゃ。お前は人間にしては話がわかるようじゃ。我の下僕にしてやろう」
「ははは、それは光栄だなあ」
援護を期待しようにも優司は天城の相手をしているようでこちらの話しを聞いている素振りがなかった。というか、テーブルマナーのかけらもない天城が口の周りに食べかすをつけるものだからそれを拭ってやるのに忙しいらしい。
(それでいいのか父さん……マジで天城の下僕じゃないか……)
「だいたいですね、恭弥はいつもいつも私に対する尊敬が足りないのです。私はこんなにも恭弥の事を想って行動しているというのに恭弥は――」
こっちはこっちでなにやらスイッチが入ってしまったらしい千鶴の長い説教が始まりそうだった。
「こら、ちゃんと聞いているのですか?」
「はいはい、聞いてますよ」
すっかり賑やかになってしまった我が家の団らんを、ひどく大切なもののように思いながら恭弥は千鶴の説教を聞くのだった。
○
朝食が終われば修練の時間である。光画が北村家との交渉を頑張った結果、英一郎が空いている時間は修練を見る運びとなったのだ。だが、恭弥はこの時間が死ぬほど嫌だった。というのも、
「おら、ボディがガラ空きだぞー」
そう言って英一郎は石化させた拳で恭弥の腹部にアッパージャブを入れてきた。朝食を摂って僅かしか時間が経っていないため、胃の内容物を吐き出しそうになった。
「ゴホッ!」
大袈裟に転げ回って大ダメージである事をアピールするも、恭弥が殴られる寸前に後ろに飛んで衝撃を逃していた事を知っている英一郎は「バレてるぞ、早く立て」と言って煙草に火をつけた。
「……勘弁してくださいよ。こっちは朝飯食ったばかりなんですから」
「妖はそんな事関係なく攻撃するぞ」
全くもって正論だった。反論出来ないのでしょうがなく立ち上がる。だがおかしい。記憶にある英一郎はもう少し優しかったはずだ。ひょっとして若い分血の気が多いのかもしれない。13年という歳月は人を変えるのには十分過ぎる。
そんな事を考えていると、情け容赦ない英一郎は爆発的な加速力で恭弥に肉薄して石化した拳を顔面に突き出してきた。
――避けられない。
そう思ったのもつかの間、来るはずの衝撃はどれだけ待っても訪れなかった。英一郎は寸止めで拳を引いていたのだ。
「ダーメだこりゃ。どうしたよ、今日はいつにも増して集中に欠いてるな」
「やっぱわかります?」
「そりゃな。いつもなら避けられないまでもガードくらいはしてた場面だ。なんかあったのか? おじさんに話してみろよ」
自分の事をおじさんと称すのはこの頃からだったのか、と思いながら恭弥は理由を話す。
「色々あって日常の大切さを噛み締めてたんですよ。どうにも俺は目の前の幸せに気付かない質みたいで」
そう言うと、英一郎は胡乱げな瞳を向けてきた。まるでガキが何を言っているんだと言いたげだった。というか、口に出した。
「んな事考えんのは年食ったおっさんの仕事だぞ。4歳のガキが何言ってんだ」
英一郎は恭弥が生まれ直している事を知らないので、子供が背伸びして大人の発言を真似ているように受け取ったのだろう。
「そんな事言ったら、4歳のガキに強烈なボディ入れるのはどうかと思いますけどね」
「避けないお前が悪い」
「……子供は子供なりに考えるものなんですよ。それはそうと、前から聞こうと思ってたんですけど、なんで俺の教師役を受けてくれたんですか?」
そう問いかけると、英一郎は根本まで吸った煙草を携帯灰皿に押し付けて、新しく取り出した煙草に火をつけた。不味そうに煙を吸って吐き出すと、
「光画のおっさんに泣いて頼まれたから……ってのじゃ理由にならないか?」
「それは表向きの理由でしょう。俺が聞きたいのは英一郎さんの本心です」
「ったく……最近のガキは皆お前みたいにマセてるもんなのか?」
英一郎はそう言って、どかりと道場の床に腰を下ろした。完全にお話モードに入ったようだ。期せずして痛みを伴う修行がなくなりそうだったので、恭弥は内心ガッツポーズをした。
「いいか? 石下灰燼流はそもそも四肢を硬くしなけりゃ使いもんにならない。普通の人間なら撃った方がダメージを負っちまうような欠陥だらけの技なんだ。だからこそ、石妖の血を引く北村家が代々伝えてきた技な訳だ。ここまでいいか?」
恭弥もまた、床に座り込んで頷いた。
「裏を返せば、だ。これは石下灰燼流のなり手が極めて少ない事を意味する。せっかく妖に対して効果的な術だというのに、お前みたいな特殊な異能を持ってるような奴じゃなきゃ石下灰燼流が使えないんじゃ意味がない」
「英一郎さん、まさか流派のなり手を拡大しようとしてるんですか」
「そのまさかだよ。俺は使えるものはなんでも使うタイプだ。お前が石下灰燼流を修めてくれりゃ、最悪俺の代で北村家が途絶えたとしても、お前が流派を繋げてくれる」
「……参ったな。責任重大じゃないですか」
「俺もさらさら死ぬつもりはないが、この業界はいつ何が起こるかわからない。その時は、お前が石下灰燼流を繋げてくれ。そして、人々を守ってくれ」
英一郎は真摯な瞳で恭弥を射抜いた。恭弥は自らの思いを恥じる気持ちでいっぱいだった。英一郎はこんなにも熱い思いで指導してくれていたというのに、何が修行が厳しくて辛いだ。痛い痛いアピールをしていたのが恥ずかしくてしょうがない。穴があったら入りたいくらいだった。
「……休憩はこれくらいにしましょうか」
恭弥は立ち上がり、再び石下灰燼流の構えをした。すなわち、身体を半身にし、右手を引いて胸元で構える。左手は浅く握り、直突きを打つ寸前のような構えだ。
「……気合が入ったようだな。ヤるとするか」
英一郎もまた、石下灰燼流の構えで迎え撃った。
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