第203話

 扉を抜けると、現実世界が待っていた。ちょうど、優司が明彦の頭を裁ち落としたところだった。


「……まだ間に合う」

「あ。恭弥!」


 恭弥はそう呟いて千鶴の拘束から逃れると、地面に転がる明彦の頭の元まで駆けた。


 頭を手に持つと、まだ温かかった。それに、あまり血が流れていない。切り口を見ると肉の芽が蠢いている。


(まだ身体は死んでない。胴体に繋げれば息を吹き返しそうだ)


「恭弥、何をするつもりだい?」


 優司が問いかける。明彦の身体が生きている事は、斬った張本人である優司をして知っている事だ。だからこそ、彼は恭弥の行動を疑問に思った。


「もう一度だけチャンスをくれ」


 それは子が父に懇願するものではなかった。一人の退魔師として、対等な立場でのお願いだった。


 それを受けて、優司は至極残念そうな顔をした。文字通り出来の悪い息子を見る目でこう言った。


「恭弥、わかるだろう? 明彦はもう完全に妖に成ってしまったんだ。討伐する他道はないんだ。明彦の事を少しでも大事に思うなら、そこを退くんだ」


「俺なら治せるかもしれないんだ。頼む、本当に一度だけでいいんだ」


 もちろん事情を知らない優司からすれば何を言っているのだという話だった。優司は聞き分けのない恭弥を無理にでも退かそうとしたが、思いがけない援護が入った。


「わたくしからもお願いします。恭弥さんに最後のチャンスを頂けないでしょうか」


「私もお願いします。恭弥さんは勝算のない事はしないって信じてます。だから……!」


 桃花と神楽が二人の間に割って入ったのだ。これには優司もたじろいだ。当の本人といっても差し支えない明彦の子供二人が揃って頭を下げたのだ。


「……そうは言っても、君達だってわかっているはずだ。こうなってしまえば、もう……」


「そこをなんとか……!」

「私達は何度も無理だと思える局面を乗り越えてきたんです!」


 必死に頼み込む二人の姿を見て、千鶴もまた以前の世界の不条理を思い出していた。


(……諦めない事こそが唯一の道なのかもしれないですね。私は諦めてしまった。恭弥達にも同じ道を歩ませる必要はない……!)


「優司さん、私からもお願いします。恭弥に最後のチャンスを上げてくれませんか?」


「おいおい、千鶴ちゃんまで……」


「優司さん、私がこんな事を言うのは変かもしれませんが、足掻いてからでも明彦さんを殺すのは遅くないのではないですか?」


 必死に頼み込む4人の姿を見て、事の成り行きを黙って見守っていた美智留まで出てきた。


「参ったな、これじゃ僕が悪者みたいじゃないか……わかったよ、やれるだけやろう」


「父さん!」


「けど、やるからにはきっちり成功させるんだぞ? これだけ格好をつけたんだ。失敗しましたじゃ収まりがつかないよ」


「もちろん。それじゃ、事のついでに一個頼み事をしてもいい?」

「言ってごらん」


「これから俺は明彦さんの中に入る。その間、明彦さんの身体を抑えておいてほしいんだ」


「……中に入る? どういう事だい?」

「詳しい事は後で説明するよ。とにかく頼む」


「まったく……一体誰に似たんだか。しょうがない、任せろ。他の人も手伝ってくれ」


 優司は霊糸を用いて物理的に、千鶴は術を用いて精神的に拘束する腹積もりだった。他の三人は二人の援護だ。


 明彦の身体が霊糸でグルグル巻にされていく。千鶴も術を詠み始めている。


「準備はいい?」

 恭弥が確認する。全員が頷いたのを見て、明彦の頭を胴体に繋げた。


 ジュルジュルと肉の芽が伸びて接着されていく。斬り口が完全に無くなった途端、力を取り戻した犬神が再び暴れだした。だが、優司の霊糸が物理的な動きを止め、千鶴の術が霊的な動きを阻害する。


 犬神の動きがしっかりと止められているのを確認した恭弥は精神を集中させた。


(他者の空間に侵入するにはどうすればいい? 物理的な方法じゃ無理だ。俺自身を霊的あるいは精神的な存在にするところから始めないと……)


 意識が深いところまで落ちていく。意識が深淵と呼ばれる場所の一歩手前まで落ちたところで、恭弥は自身の存在が身体から離脱した事を実感した。


(よし……後は明彦さんのところに侵入すればいい……)


 意識体を動かして、明彦の心奥に侵入していく。


 そこには深い深い深雪が在った。一寸先すら見えない猛吹雪の中、一歩一歩と踏み出していくと、急に開けた場所に出た。


 どこかの森の中だろうか。周囲を木々に囲まれている。降り積もった雪が枝葉を白く彩っているのが印象的な場所だった。美しいが、どこか物寂しい雰囲気を感じさせる。


 そんな世界で、明彦は一人白銀の大狼と戦っていた。すでに幾度も挑み敗れているのだろう、その身体は朱に染まっていた。


「明彦さん!」

「君は……何故ここに……?」


「詳しい説明は後です。加勢するので一緒にあいつを倒しますよ!」

「助かる……」


(とは言ったものの、どうすればいいか……明彦さんはボロボロだし、相手は一応神だ。またギリギリの戦いになりそうだな……)


 恭弥は消耗覚悟で拾壱次元を発動させた。勝機があるとすれば短期決戦でこちらの持ち得る力をぶつける事だろう。長期戦になればなるほど明彦の身体が保たない。それに、まだ成長しきっていない自身の身体にも不安がある。


「行きますよ!」

「応!」


 二人が駆け出した。恭弥は右側面から、明彦は左側面からだ。恭弥は拾壱次元で生み出した雷切と童子切安綱の一撃を白銀の大狼に叩きつけた。が、その剛毛に阻まれて肉を斬り裂く事叶わなかった。それどころか半ば弾かれしまった。


 それは明彦も同様のようで、錫杖を下段から腹に向けて突き出したのに弾かれている。


「っ! なんつー剛毛してやがる! トリートメントして柔らかくしやがれってんだ!」


 恭弥は繰り出される前足の一撃を軽やかに交わしながら、得物を童子切安綱から燧に変えた。物理的に刃の一撃が阻まれるなら異能の力で押し切ろうとしたのだ。


 果たしてその判断は正解だった。雷切の雷と燧の炎、そのどちらもが犬神に対して有効打を与える事に成功した。


「犬っころの癖に調子乗りやがって……このまま燃えろおおおおおおお!」


 しかし、調子良く異能の力で攻めていられたのは僅かな間だった。白銀の大狼は一度大きく身震いしたかと思うと、全身から放電して見せた。


「ぐわああああああああああああ!」


 反撃が来る事を想定していなかったので、モロに雷撃を食らってしまった。ブスブスと黒煙が上がる程度にはこんがりと焼かれてしまった。


 恭弥の動きが止まったのを見た犬神が前脚でゴミでも払うかのような気軽さでその身体を弾き飛ばす。


「ゴフッ!」

 ドロリと黒ずんだ血液を吐き出す。意識体で本当に良かったと思う。これが生身の身体だったらと思うとゾッとする。


「大丈夫かね?」

 地に伏している恭弥の身体を起こしながら明彦が尋ねる。


「……なんとか。けど、やっぱ一筋縄ではいかないっぽいですね。どうしたものか……」


 二人が攻めあぐねていると、脳内に天城の声が聞こえてきた。


(あの程度の犬ころ相手に何を手こずっておる)

(そうは言っても一応神だぞ。分が悪いにも程がある)


(バカもん! 情けない事言っとる暇があったら捕食の一つでも試さんか)


(捕食……? そうか! 神憑きには噛み付きで対抗しろって事か。でも、喰い切れるのか?)


(まったく……全部喰えとは言わん。あの小僧が自力で倒せる程度に弱らせろという意味じゃ。取り憑かれた本人が討ち倒さんと意味がないのじゃからな)


(わかった。ありがとう、天城)


 天城の気配が消えたのを確認した恭弥は、


「明彦さん、ちょっとの間で構わないのであいつの注意を引いてください」


「……勝ち筋が見えたのかね」


「やってみないとわからないですけどね。それでも、何もしないよりはいい」


 明彦は薄く笑うと、それまで得物としていた錫杖を地面に置き、腰に差していた刀に持ち替えた。そして、大きく宙を斬り裂くと刀身に炎をまとわせた。


「燧ほどの力はないが、灯火ともしびもそれなり以上の名刀だ。注意を引くくらいはやってのけよう」


「頼みます」


 並以上程度の霊力量しか持たない明彦にとって、灯火は手に余る武器だった。燧ほどではないにしろ、霊力を遠慮なく食っていくのだ。だからこそ、ここぞという時以外は錫杖を用いて戦ってきた。


 それでも一級の実力を持っている明彦が、灯火を使用したという事。それは一時的とはいえ彼の力量を特級クラスまで引き上げている事を意味していた。


 先の切り結びでは弾かれていたものが、剛毛を焼き焦がしながら確かに血を流す事に成功している。


「……何が一級だよ、ちゃんと奥の手持ってるじゃないか。これだから大人は……」


 ぼやきながらも、恭弥の顔には笑みが浮かんでいた。犬神の注意は完全に明彦に向いている。今がチャンスだ。


 恭弥は背後から犬神に近づくと、大口を開けて思い切り噛み付いた。


 肉を喰い千切り、滴る血液を飲み干すと、本来犬神が持っていた力が流れてくるのがわかった。


 そうして何度か捕食を繰り返していると、目に見えて犬神が弱っていった。


「今です!」

「応!」


 灯火がその刀身に纏う炎と共に犬神の心の臓を穿った。

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