第198話

 朝食を終えた恭弥は優司と共に客間で光画を待っていた。傍らにはそれぞれ文月とアリスが立っている。


 通常御家の先行きを決めるような重大な話し合いには傍使いなどといった存在は同席する事がないので、恐らく光画がこの場に現れればまずその事に驚く事だろう。


 そんな事を思いながら文月が用意したお茶を飲んで待っていると、女中が部屋に入ってきた。


「旦那様、お客様がお見えになりました」

「了解。ここに通して」

「かしこまりました」


 一礼をして去っていく女中を見送りながら、恭弥はこんな事を言った。


「今日の話し合い、俺は座ってるだけでいいんだよね?」

「とりあえずは、ね」


 含みのある優司の言い方に絶対に意見を求められるだろうと確信した恭弥は、小さくため息をついてこれからの話し合いに真剣に望む決意をした。


 それからややあって光画が部屋に入ってきた。


「本日はお忙しいところお時間をとっていただきありがとうございます。こちらつまらないものですがよろしければどうぞ」


 そう言って光画は手に持っていた紙袋をテーブルに乗せた。中を見ると、その手のものに疎い恭弥でも名前を知っている高級な茶菓子が入っていた。


「これはどうも。僕このお菓子好きなんですよ。アリスさん、光画さんにお茶とこのお菓子をお皿に出してくれるかな?」


「かしこまりました」


 優司に言われテキパキと準備を進めるアリスを見た光画は、こんな事を言った。


「アリスはお役に立てているでしょうか」


「ええ、もうすっかり我が家に慣れたみたいで。今朝も天上院さんと話し合いがあると言ったら自分も参加させてほしいと言ったくらいです」


 そう言うと、光画は頬を引きつらせて、


「そ、それはそれは……もし失礼があるようでしたら一度こちらでお預かりして教育し直しますが……」


 やはり女中が主人に意見するというのは考えられない事だ。光画としてはアリスが不祥事を起こしてしまうのを恐れているようだった。だが、当の優司としては、


「いえいえ、家が賑やかになって助かっていますよ。妻に先立たれて以降少々寂しく思っていましたから」


「そうですか。アリス、『くれぐれも』しっかり頼むよ」


「大丈夫ですよ。旦那様には娘共々よくしていただいていますから」


「いやそういう事を言っているんじゃ――」


「まあまあ、僕が助かってると言っているんだからいいじゃないですか。その分文月ちゃんがしっかり恭弥の傍使いをやっていますしね」


「そうなのですか。坊っちゃん、文月に何か不満はありませんか?」


「不満なんてある訳ないですよ。むしろ、僕の方が文月に迷惑かけてばかりで申し訳ないと思ってるくらいです」


 そう言うと、光画はやっと安心したようで出されたお茶に手を付けた。


「さて、答えを聞かせてもらいましょうか」

 雑談も一息つき、場が改まった頃合いを見計らって優司がそう言った。


「はい。今回のお話、謹んでお受けさせていただきたく思います」


「そう言ってもらえると思ってました。それじゃ、実務協議に移りましょうか。差し当たって天上院さんはお金が欲しい。間違いありませんね?」


「はい。もっと言うと、我が家にも体面がありますのでお金になる仕事が欲しい、です」


「いいでしょう。陰陽座に働きかけて仕事を割り振ります。表の仕事も相応に。僕の方からの要求は恭弥をひたすらに鍛えてほしい。ただこれだけです」


「わかりました。と言っても、我が家が差し出せるものなど交渉術くらいですが……」


「それもそうですが、北村家の石下灰燼流。それを恭弥に叩き込んでほしい」


「は、いや、そうは言ってもアレは石妖の血を引くからこそ使える技です。普通の人間が使用すれば四肢が砕けてしまいますよ?」


「大丈夫です。恭弥は霊力を物質化する異能を持っています。擬似的に石妖の能力を再現出来るはず。そうだね、恭弥?」


「そうだね。とは言っても、補助器具として篭手くらいは欲しいけど」


 実際、恭弥は以前がしゃ髑髏相手に見様見真似で再現した石下灰燼流の「砕礫華」を使用している。本家本元に教えを乞えるならば願ってもない話だ。


「……宗家は天上院とはいえ、今や御家としての格は北村家の方が上です。他家に教えろと言って素直に教えるかどうか……」


「そこは君の交渉術にかかっている。僕らの名前を出しても構わないから、なんとしても恭弥に石下灰燼流を覚えさせるんだ。出来る事なら英一郎君辺りを師匠として引っ張ってきてほしいね」


「英一郎を、ですか……難しい交渉になるでしょうが、わかりました。なんとかやってみせます」


「頼むよ。それはそうと、天上院さんアリスさんとお出かけしたりはしているのかい?」


 真剣な話し合いの最中唐突にぶつけられた世間話のような内容に、光画は戸惑いながらもなんとかこう返した。


「え、いえまあほどほどにはしています」


「君も本妻がいるからなかなか時間を取るのが大変だろうけど、あまり放置していると誰かに取られちゃうよ?」


「それは困ります!」


「これから君の仕事は減るはずだ。もっとアリスさんや文月ちゃんに構ってあげる事だ。僕みたいにいなくなってから後悔しても遅いよ」


「そう、ですね」


「僕が以前の会議で妖に怯えずに遊べる遊興施設の建設を提案したのを覚えてるかい?」


「はい。安全ランドの事ですよね?」

「そう。それの建設計画を君に任せようと思ってる」


 優司はそう言うと、光画に向かって三枚のチケットを差し出した。チケットには誰もが一度は耳にした事があるだろう遊園地の名が書かれていた。


「ここに三枚のチケットがある。君とアリスさん、文月ちゃんの分だ。名目は敵情視察。だけど、わかってるよね?」


「……ありがとうございます。『しっかりと』偵察させていただきます」


 優司は表立って家族水入らずの時間が取れないであろう文月達家族のために、敵情視察という名目を与えて家族の時間を作らせようとしたのだ。


「そのチケットの有効期限は今日までだ。早速行ってくるといい」

「いいのですか?」


「言ったろう? 有効期限が今日までなんだ。行かないとチケットが無駄になってしまう」


「……本当に、ありがとうございます。アリス、文月も。狭間様にお礼を」


 二人は揃って優司に頭を下げた。


「いーからいーから。そんな湿っぽい空気にするために渡したんじゃないんだ。ちゃんと敵情視察をするために今日一日いっぱい楽しんでくるんだよ?」


「旦那様のお心遣い、痛み入ります。それでは、『しっかりと』楽しんで参りますわ」


「ありがとうございます。ところで、私がいなくなったら恭弥様のお世話はどなたが?」


 いらぬ心配をする文月に苦笑しながら、恭弥は「いいから行ってこい」と言った。


「ですが……」

「文月が来るまで俺は一人で生活してたんだぞ? 一日くらい文月がいなくても大丈夫だよ。心配しないで楽しんでこい!」


「……わかりました。ではお言葉に甘えさせていただきます。私の部屋のノートに恭弥様のお世話ノートがあるので、私の代わりを務める方に見せてください」


「わかったわかった。ほら、時間無くなっちゃうぞ?」


 最後まで心配そうにしている文月を半ば無理やり部屋から追い出した恭弥は、光画が持ってきたお菓子を美味そうに食べている優司にこう言った。


「やるじゃん、父さん。大人の気遣い見せてもらったよ」

「飴と鞭だよ。鞭ばかりだと人は思い通りに動かないからね」


「またそんな事言って。俺はいつ訓練が始まるかと戦々恐々だったんだよ? なんかあるみたいな言い方してさ、人が悪い」


「何かあると思ってても実際には何もないという事はよくある事だ。これも訓練だよ」


「そーですか。しかし、石下灰燼流ねえ。ほんとに英一郎さんが来たらどうしよう」


「彼が師匠じゃ不満かい?」


「いや、俺にはもうお師匠さんがいるからさ。今更二人目って考えるとちょっと」


「それは初耳だな。前の世界での話だよね? 誰か教えてよ」


「安倍千鶴。俺は前の世界で彼女に師事してたんだ」


 千鶴の名を聞いた途端、それまで談笑ムードだった優司の顔つきが一変した。不審に思い問いかけると、優司は難しい顔をしたままこう言った。


「まさか彼女の名前が出てくるとはね……恭弥には悪いけど、彼女には会えないものと思った方がいい」


「は? なんで? 千鶴さんがなんかやったの?」

「実はね――」


 優司の口から語られた驚愕の事実に、恭弥は言葉を失った。

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