第197話
「……文月のお母さん、すごいパワフルな人だな」
「す、すみません……普段はもう少し落ち着きがあるのですが……」
「いや、あれぐらい明るい人が家にいたら助かるよ。男二人だとどうしても会話が限られるからさ。それにたぶん、俺達に気を使ってくれたんだろう」
「そうでしょうか……?」
「きっとそうだよ。それはそうと、文月も以前の世界の記憶があるんだよな?」
「はい。も、という事は他にもいらっしゃるのですか?」
「うん。桃花に神楽、薫も持ってる。それに俺と文月で五人だ。皆それぞれ死ぬ直前までの記憶を引き継いでるみたいだ。文月はどこまで覚えてる?」
「お買い物をしに家を出たところが最後です。確か、恭弥様達がお忙しそうにしていた時期だったように思います」
「やっぱりか……こうなると俄然千鶴さんがどうなのか気になってくるな」
「まだお会いしていないのですか?」
「なんか色々あるみたいでさ、桃花達にも自由に会えないんだ。父さんは俺達のためだって言ってたから無理に聞く事も出来ないでいる」
「そうですか……でも、一体なぜこのような事になったのですか? 目が覚めたら赤ん坊になっていて、何が何やらさっぱりわかりません」
「話すと長くなるが、聞くか?」
「はい。お願いします」
「そもそもの発端は俺じゃない狭間恭弥にあるんだ」
そうして始まった語りは実に30分もの間続いた。恭弥はここに至るまでの経緯を詳細に文月に語って聞かせた。もちろん、文月の意識がなくなった後、光輝の身に何が起きたかも余すところなく全て話した。
全てを話し終えた後、恭弥は改めて文月に謝罪した。
「だから先程、私に会うなり謝られたんですね」
「本当にすまない……光輝さんがあんな事になってしまったのも、文月が巻き込まれたのも全部俺のせいなんだ。文月が嫌だって言うなら今回の事はなかった事にしてもいい。もちろん、生活に必要なお金は出してもらうから、そこは心配しないでも――」
文月は恭弥の口に人差し指を当てて言葉を遮った。
「全部、過ぎた事ですよ。まだ会った事はありませんが、この世界ではお兄様は生きているのでしょう?」
「俺も会った事はないけど、光画さんの息子に光輝って人はいる」
「なら、大丈夫です。私、不安だったんですよ? 目が覚めたら死んだはずのお母様がいて、身体が小さくなってしまって。何が起きてるのかわからなかったんです。何より、恭弥様に会えないのが一番辛かったです。ですから、またこうして恭弥様にお仕え出来るだけで私は幸せです。だから、ね。そんな事は言わないでください」
そう言って微笑む文月を見ていると、胸のつかえが取れていくのを感じた。
(どうしてこう俺の周りの女性は強い人が多いかね……でも――)
「……ありがとう。今度こそ、文月を守る。約束するよ」
「はい。恭弥様を信じていますね」
花が咲くような、というのはこういう笑顔の事を指すのだろう。文月は先程よりも晴れやかな笑みを浮かべて恭弥をより一層安心させた。
◯
心地よい眠りについていると、不意に日光がまぶたの上から眼球を刺激した。
「恭弥様、起きてください」
ピアノを思わせるソプラノボイスに目を開けると、メイド服に身を包んだ文月がいた。
「んあ……どうしたんだ、まだ起きる時間じゃないと思うけど……?」
「旦那様がお呼びです」
「父さんが? 了解」
文月親子は結局あの日以降狭間家預かりとなったので、恭弥と同居していた。
文月は恭弥の傍使いになるにあたって、必要な物はあるかと問いかけると第一にメイド服を希望していた。そのため5歳の幼女がメイド服を着て朝起こしに来るというエロゲーも裸足で逃げ出すようなびっくり展開がここ三日続いていた。
いい加減慣れなければならないとは思いつつも、そもそも何故文月はメイド服に執着するのかという疑問をその内ぶつける必要があるように思う。
それはともかくとして、優司がわざわざ寝ているところを起こしてまで呼びつける用事には嫌な予感しかしなかったので、恭弥は急いで身支度を整えると父の待つ食堂へ行った。
「おはよう恭弥、予想より早かったね」
食堂に向かうと、朝食をとっていたらしい優司がいた。傍らには女中が一人と、これまた何故かメイド服に身を包んだアリスが立っていた。
ひょっとすると文月がメイド服に執着するのは母親譲りなのではないかと思いつつ席に座った恭弥は、用意された朝食に手をつけながらこう言った。
「わざわざ寝てるところ起こすくらいだから面倒事なのは確定でしょ。早くも来るよ」
「ははは。恭弥も僕の事がわかってきたじゃないか。その通り、この間の件で天上院さんが今日家に来るんだ。恭弥も同席してもらうからそのつもりで頼むよ」
「この間の件って……まだ三日しか経ってないじゃないか。まさか父さん、急かしたの?」
「うん。早いところ決めたかったからね」
優司はしれっと言ったが、まず間違いなく天上院家ではひっくり返るほど慌ただしく連日連夜会議が繰り広げられていた事だろう。なんて思っていると、
「旦那様、その話し合いに私も同席させていただく事は出来ますか?」
とアリスが一歩前に出て優司に問いかけた。使用人が雇用主の話しに割って入るなど失礼極まりないので、指導役としてついていた女中が慌ててアリスを止めた。が、優司は「大丈夫だよ」と言って女中を下がらせた。
「君も無関係という訳ではないしね、同席を認めよう。文月ちゃんも構わないよ」
「私も、ですか? ですが……」
「アリスさん達には悪いけど、天上院さんは条件を飲むしかないからね。そうなると、血の契約を結ぶ事になる。どうせアリスさん達も結ぶ事になるんだから一緒にやった方がいい」
「ありがとうございます。失礼ついでにもう一つ。その条件というのは光画さんの不利になるような事ではないのですよね?」
「アリスさん! 失礼にも程があります!」
見かねた女中が再び指導するが、優司はアリスの失礼を笑って見逃した。
「大丈夫だよ。簡単に言うと、ウチと親戚になりましょうって提案だから。天上院家にとって決して悪い話ではないはずだ」
「あらまあ。という事は文月と坊っちゃんは家族になるという事ですか?」
「いや、血縁関係を結ぶって訳じゃないんだ。なんていうかな……企業の合併みたいなものだよ。天上院家は今後狭間家の傘下に入るって言えば伝わるかな?」
「なるほど、理解しました。口を挟んでしまい、失礼しました」
「ううん、大丈夫だよ。これからも気になる事があれば都度聞いてくれて構わない」
「旦那様が優し過ぎて惚れてしまいそうですわ」
「ははは。アリスさんは冗談が上手いなあ」
「あらいやだ。わかってしまいましたか? 旦那様は手強いご様子」
「そもそも君、天上院さんの事が好きなんだろう?」
「ええ、好きでございます」
「だったら、僕なんかにちょっかいを出してないで、もっと振り向いてもらえるように頑張らないと」
「そうですわね。お心遣い痛み入ります」
二人の会話を聞きながら朝食を食べていると、ふと小さな疑問が浮かんだ。恭弥は答えを知ってそうな人物が後ろに控えているので、聞いてみる事にした。
「ところで文月、アリスさんと光画さんって今も会ったりしてるのか?」
「定期的に会っているようですよ。以前の世界と違って私の誕生日にはプレゼントが送られてきましたし、良好な関係を築けていると思います」
(前の世界は排他的な思考が支配していた協会が力を持ってたから外国の血を持つ文月とアリスさんは相当冷遇されてたみたいだけど、今は違うみたいだな……この辺の違いも覚えていかないといつかヘマをやらかしそうだ。気をつけよう)
「そっか。よかったよかった。今回の話し合いが上手くいけば光画さんはもちろんの事、光輝さんとも会える時間が増えると思うよ」
「はいっ。楽しみにしております」
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