第192話

「稲荷……」

 恭弥は思わずそう呟いてしまった。


「これはご挨拶ですな。坊っちゃん、年長の者は敬うものですよ」


 恭弥は思わず歯噛みしそうになるのを必死に堪えた。


(ふざけやがって! 誰のせいで光輝さんが死んだと思ってやがる!)


 以前の世界での不満が爆発しそうになり、恭弥は敵対心を隠す事が出来なかった。そんな彼の様子を察した優司は、三成との会話を早々に切り上げるべくこう言った。


「恭弥は賢いからね、敬うべき年長者をしっかりと見極めてるんだよ。それで、今日はどんな用だい、稲荷さん?」


「いえ、用というほどの用ではございませんよ。あれほど秘匿していた坊っちゃんを急に表に出したものですから、どういった心変わりかと思いましてね」


「いつまでも子供扱いする訳にもいかないと思っただけさ。それに、恭弥は君達が思ってるほど子供じゃない。もう立派な『退魔師』だ」


「ほっ! 退魔師と出ましたか。いやはや、子煩悩もそこまでいくと感服致しますな」


「少なくとも、今の恭弥でも君と戦ったら、君は確実に負けるよ」

 そう言うと、三成は明らかに不愉快だという雰囲気をまとった。


「それは、退魔師としての意見ですかな?」

「そうだね。退魔師としての意見だ。親としての意見じゃないよ」


 優司ははっきりと言い切った。それがまた、三成の不機嫌を加速させた。


「そうですか。流石は伝承に残る狭間恭弥様といったところですかな。御三家の神童の内、唯一坊っちゃんの実力だけは知り得ませんでしたが、優司様が『退魔師』として仰るのならばその実力は疑う余地もありませんな」


(……伝承に残る? なんの話だ? それに御三家の神童? 一体何を言ってるんだ?)


「稲荷さん、その話しは――」


「しかしこれで、狭間、椎名、鬼灯と伝承の神童が出揃った訳です。いよいよ歴史が動きますな――」


「三成」


 優司が名を呼んだ瞬間、場が水を打ったように静まり返った。ただ名を呼ぶ、それだけの事で空気が一変したのだ。息が出来ない。緊張が場を支配している。ただ側にいた恭弥ですら身動きが出来ないのだから、直接名を呼ばれた三成の衝撃は如何ほどか。


「その話は、まだ早い。わかるね?」

「し、失礼しました! わ、私としたが……」


「わかってくれたならそれでいいんだ。皆も、騒がせて申し訳ないね。さあ、僕らに気にせず話しの続きをしてくれ」


 優司が発していた「圧」を解いた事で場を支配している緊張が解放された。そして、威圧されていた周囲の者達は日常を取り戻すかのようにこぞって雑談を再開した。


「父さん、伝承って――」


「恭弥。僕は残ってこの人達とお話しをしないといけない。下のフロアに行って待っていてくれ。きっと、恭弥も喜んでくれるはずだ」


 遮るようにそう言った優司は、一枚のカードキーを恭弥に渡した。有無を言わせない優司の様子に、この場でその件を追求するのは不可能だと判断した恭弥は大人しく頷いて部屋を後にした。


 恭弥が部屋を出ると、途端に室内が静まり返った。再開されたと思われた雑談はその実優司に命じられて行われたものだったのだ。今この場は、三成を糾弾する場となっていた。


 優司と秋彦に群がっていた者達は、皆そそくさと部屋の端まで移動して固唾を呑んで事の推移を見守っている。そんな中、秋彦は三成に近づいていきこう言った。


「迂闊だったな、三成。大方狭間の息子に勝てないと言われて意趣返しのつもりで言ったんだろうが、狭間は事実を言っただけだ。実力の差程度の事もわからないからお前は退魔師になれんのだ」


「そ、そんなつもりは決して……!」


「じゃあどういうつもりで言ったんだい? あんな言い方をすれば恭弥が興味を持つのはわかりきった事なはずだ。説明してほしいね」


 言葉使いこそ柔らかなものだったが、優司の表情は「無」だった。明らかに怒っているはずなのに怒りの感情を感じさせないのが返って恐怖心を煽った。


 そんな優司の様子を見た三成は、即座に平伏してこう言った。


「申し訳ありませんでし――」


「謝って許されると思っているのか。なんのために今まで秘匿してきたと思っている。恭弥達が退魔師として完成されていない現状で、万が一にも「白面はくめんきんもう七尾しちびきつね」の封印が解かれるような事はあってはならないんだ。君だってそれは理解しているはずだよ」


「じゅ、重々承知の上です」


「その上でやったとなれば言い逃れは出来んな。お前がこの場にいられる理由をもう一度思い出す必要がありそうだな?」


 秋彦がそう言うと、三成は身体をビクリとさせて「それだけは御勘弁ください」と言った。


「ふん。お前の姿など見ているだけで不快だ。一刻も早く去れ!」


 三成は慌てて立ち上がると、時折蹴躓きそうになりながらも駆け足で部屋を出ていった。


 そんな三成の様子を見た優司は「やれやれ……」とため息混じりに言うとこう続けた。


「いずれにせよ、これで隠し通すのは難しくなったね。君のところはどこまで話しているんだい?」


「お前のところと同じだ。何も話してないさ。だが、桃花の方が狐関連の妖を隠れて漁っているみたいだ。お前の息子にいらん事を吹き込まれたら聡明な桃花の事だ、後はパズルのピースを嵌めるように全貌を解読するかもな」


「それはマズいねえ。いっその事下手に全部を隠すよりも、一部を明かしてあげた方が返って重要な箇所を隠せるかも」


「どこまで話すべきか、近い内に鬼灯も交えて調整しよう」


「そうだね。皆、わかっていると思うけどこの件は慎重に扱うように」


 優司は端の方に非難していた者達にそう言った。そして、彼らが頷いたのを確認するとそれまでの重苦しい雰囲気から一転して昼行灯のような雰囲気をまとった。そんな優司の様子を確認して避難していた者達はようやく人心地ついた。


   ◯


 その頃恭弥は考え事をしながら階段を下りていた。


(伝承って一体なんなんだ? 思い返してみれば父さんは俺が以前の世界の記憶を持っているって言った時に驚かなかった。あの時父さんはなんて言ってた? 思い出せ……)


「――蘆屋道満だ」


 蘆屋道満といえば、以前の世界では安倍晴明のライバルとして戦った男という伝承が残っているが、あまりにも資料が少ないのでその存在自体を疑問視されていた人物だ。


 後世に続くような功績を挙げていなかった事もあり、話題に挙がる事自体がなかったが、それは以前の世界での話だ。この世界では違うのかもしれない。


「しくじったな……まさか蘆屋道満を調べるべきだったとは思わなかった」


(けど、あの様子じゃ父さんは俺に話すつもりはなさそうだ。もう一度書斎に忍び込むか? いや、今良い関係を築けているのに余計な事するのは得策じゃない。ダメ元で面と向かって聞いた方がマシか……)


 ふと、手慰みにクルクルと回していたカードキーに目をやった。黒を基調に一本の白いラインが入ったそれには、どこの鍵なのかが書かれていなかった。


「どこの鍵なのか聞くの忘れたな……下のフロアに行けって言ってたっけ」


 これだけ広い建物だと鍵一つとってもどこのものなのか確認するのに時間がかかりそうだった。だが、あの様子では優司が戻ってくるのはまだまだ先だろう。案外良い時間潰しになるかもしれない。それに、いざとなれば人を捕まえて聞けばいい。


 そう思い、恭弥は階段を下りて階下のフロアへと移動した。しかし、思いとは裏腹に39階には一つの大扉があるだけだった。


「なんだよ、扉探しやろうと思ったのに。これじゃ迷いようがないじゃないか」


 ドアプレートには「ラウンジ」と書かれてある。恐らく、招待客を接待するための場所なのだろう。恭弥も以前の世界で付き合いとして何度かこういった場所を訪れた事はあるが、4歳という見た目で入場するのは少々気恥ずかしく思った。


(何が恭弥も楽しんでくれると思うだよ、父さんのバカヤロー。いくら中身が大人でも、子供相手に接待するホステスの身にもなれよ。まったく)


 自分よりも遥か年下の幼子に敬語を使ってジュースを注がなければならないホステスを可哀想に思いながらも、他に行く宛もなかったので恭弥はカードキーをかざして入場した。


「いらっしゃいませ。カードキーを拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」


 中に入ると、入り口に控えていた黒服が恭しくそう言った。彼に所持しているカードキーを見せると、


「狭間恭弥様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、ご案内させていただきます」


 黒服に案内されながら室内は観察する。壁一面ガラス張りで、高層から夜景を望めるようになっていた。バーカウンターも完備されており、いかにもといった高級感を醸し出している。訪れている者の中にはテレビで見た事のあるような人達も何人かいた。


 一般的なラウンジのイメージだともう少しガヤガヤしているものだが、場所が場所なので騒ぐような輩はいないようだった。皆静かに酒と女を楽しんでいる。


 そんな中にあって、恭弥は突如としてその歩みを止める事になった。視線がある一点に注がれて微動だにしなくなった。


 白を基調として桜の意匠が施された着物に、光を反射するほどに透き通った白銀の長髪。退屈そうに夜景を眺めながらカウンターに座っている彼女こそ、恋い焦がれたと言っても過言ではないほどに会いたかった人物だ。


「とう、か……?」


 全ての音が消えた。横では急に動きを止めた恭弥を訝しんだ黒服が声をかけているが、恭弥の耳には一切入ってこない。今はただただ、彼女に意識が向けられている。


 白銀が振り返った。


「恭弥さん……?」

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