第191話

 恭弥の心配をよそに始まった会議だったが、その内容自体は非常に真面目なものだった。組織の運営が民間寄りとなった事で、陰陽座は営利組織となった。一方で、妖被害に遭う人達を依頼なしでも救う必要もあるので、NPO、つまり非営利組織としての側面もあるのだ。


 従って、妖退治の依頼費のみで経営を行うのではなく、一般的な会社として利潤を求める必要もある。そうなった場合どうやって利益を得るか、というのが今回の議題だった。


「では次にお手元の資料をご覧ください。円グラフで示されたものの内、大半を占めているのが妖関連の収益になっています」


 やたらと美人でスタイルの良い秘書風の女性が会議の進行を担っていた。彼女の名前は水口みなぐちというらしい。以前の世界では見聞きした覚えがないので、ひょっとすると退魔師ではないのかもしれない。


「ふーむ。しょうがない事とはいえ、この比率は少々まずいねえ」

「これでは組織として成り立たん。もっと金を稼ぐ必要がある」

「もう少し政府からの助成金を得られないのかね」


 口々に不平不満が挙がる。そんな声を無視して、水口は「おめくりください」と言った。


 資料の次のページには「安全ランド、安全ホテル(仮)」と書かれてあった。しかも、よく見ると発案者の欄に狭間優司と書かれてあった。


「こちらが新事業の一案です。発案者の狭間様よりご説明があります。よろしくお願い致します」


 水口の案内に聞いた優司が立ち上がった。


「えー、すでに皆さんご存知の事とは思いますが、陰陽座は資金繰りに困っております。そこで僕から提案したいのが資料にある安全ランド、安全ホテルです。こちらは名前の通り妖に怯える事なく安全に楽しい時間を過ごせるというのがコンセプトとなっています」


 つらつらと暗記してきた事を喋っていく優司の内容をまとめるとこうだった。現代日本はあまりにも妖の存在感が大き過ぎて、何をしていても運が悪ければ死んでしまう。なので、敷地を結界で守り、スタッフに退魔師を常駐させる事でお客様に安心してサービスを楽しんでいただけるような設備を用意してはどうかという事だった。


「これにより、名簿に名前だけ登録して実際にお務め記録のない、いわゆる『仮称者』達にも職を与える事が出来ます。雇用の生み出しと資金繰りの安定を狙えるまさに一石二鳥な案だと思うのですが、いかがでしょうか」


 発表を終えた優司が再び席に座った。それからややあって、秋彦が「一つ質問がある」と言った。


「初期投資はどうするつもりだ? これだけ大掛かりな設備を作るとなると、相応に金がかかる事はわかっているはずだ」


「もちろん。関係各所から支援を募るつもりだよ。特にホテルの計画については政府が興味を示していてね、本当に計画通りのものになるようであれば助成金を出してくれるらしい。当然、政府関係者専用の部屋を用意しろって言われてるけどね」


 その後もポツポツと湧き出る質問を流暢に答えていく優司。恭弥は初めて見る父の仕事姿にちょっとした感動を覚えていた。普段はあれだけ頼りないのに、今の優司は誰が見てもデキる社会人だった。


 結局、優司が出した案は特に問題点もないという事でこのまま採用する事が決まった。


 その後は現在陰陽座に依頼されているお務めの中でも特に危険を伴うものを誰が行うかなどの、以前の世界の会合でも見られた会議が行われた。しかし、その内容は総じてクリーンなものであり、以前のように陰謀渦巻くといった印象は受けなかった。


「本日の内容は以上となります。皆様方から何かございますでしょうか」

 水口は一同を見渡し、何もない事を確認すると締めの言葉を続ける。

「それでは本日の会議は以上となります。ご参加ありがとうございました」


 水口の言葉を聞いた参加者達はぞろぞろと部屋を後にしていった。だが、優司と秋彦は席についたまま動こうとしなかった。通常この手会議では上役は早々に退場するものなので疑問に思っていると、すぐにその理由がわかった。


「いやはや、流石は狭間様ですね。私共では到底思いつきもしないような案、ご慧眼に恐れ入りました」


 身なりをしっかりと整えた年齢の割にイケている、いわゆるイケオジが優司に腰を低くしながらそう言った。


(ここからが本番って訳ね……)


 以前の世界で腐るほどに見慣れた光景だった。この男は優司に媚びを売る事で便宜を図ってもらおうという魂胆なのだろう。見慣れすぎていっそ安心感すら覚える。


 隣を見ると、秋彦のところにもそうした魂胆の人間達が群がっていた。


「いやいや、あんなのは誰でも思いつく事ですよ。それこそ、天上院さんにだって出来る事です」


 どうせくだらないやり取りがなされるのだろうと、よそ見をしていたら聞き逃すにはあまりに問題のある名前が優司の口から出た。


「いえいえ、仮に思いついたとしても、我が家にはそれを実現するだけの力はありませんから。参考までに、どうすれば狭間様ほどのコネクションを持てるのか教えていただきたいものですな」


「ははは、コネだなんてそんな立派なものじゃありませんよ。ただちょっと仲良くしてるだけで――どうした恭弥?」


 流石に天上院の名を聞いて冷静ではいられない。恭弥は会話に割って入る形で優司の袖を引いた。そして、小声でこう話しかけた。


「ごめん、ちょっと重要な話。天上院さんに待機してもらってあそこで話せない?」


「わかった。すみません、天上院さん。息子が話しがあるそうなので少し待っていてもらえますか?」


「どうぞどうぞ。いくらでも待ちますよ」


 恭弥は天上院から離れた場所に優司を連れていってこう口火を切った。


「あの人の息子さん、ひょっとして光輝って名前じゃない?」


「なんでそれを……っていうのは愚問だね。その通りだ。何かあるのかい?」


「かなり。見た感じ天上院さんは父さんに媚びを売ってる感じだけど、その印象で合ってる?」


「こらこら、言い方が悪いよ。でもまあ、間違ってはいないかな」


「申し訳ないんだけど、あの人の愛人の子供を探してくれないかな? もしいるとしたら文月って名前なはずなんだ」


「いたとして、その子をどうするつもりなんだい?」


 優司としては当然の疑問だったが、恭弥からするとそうした返しがくるとは思ってもみなかった。


 文月を探し出したところで以前の世界のようにまた文月を傍使いにしようとは思えなかった。文月の不幸は恭弥の傍使いになったところから始まっている。いってしまえば、恭弥が関わった事で不幸になったのだ。彼女には普通の人として幸せになってほしい。


 ひょっとすると、この世界では退魔師とは無関係に過ごしているかもしれない。今ここでまた探し出す事で、彼女の身に何かあってはそれこそ後悔してもし足りない。


 だが、文月が無事に過ごしているかどうかは知りたい。いや、そもそもこの世界に文月という人間は存在しているのか? それを知るためにはパンドラの箱を開けるしか方法はない。しかしそれをする事で彼女に不幸が訪れるかもしれない……。


 そうした考えが堂々巡りのように思考を支配した結果、恭弥は黙りこくってしまった。そんな恭弥を見かねてか、優司はこう言った。


「恭弥はどうしたいんだい?」

「俺は……」


「無理に大人ぶる必要はないよ。自分の感情に素直になるといい」

「……文月に会いたい。会って、謝りたい」


 その言葉を聞いた優司は静かに「わかった」とだけ言った。


「父さんの立場を利用するみたいな形になってごめん……」

「気にするな。権力はこういう時に利用するためにあるんだよ」


 そう言うと、優司は手持ち無沙汰に立っている天上院の元まで歩いていった。恭弥も頼りがいのある父の背中を追う。


「すみません、お待たせしました」


「いえいえ、大して待っていませんよ。何か親子で秘密の相談ですか?」


「そんなところです。少し、ビジネスの話をしましょうか」


 その瞬間、恭弥は父である優司の顔が変わったのを察した。天上院もまたそれを察してか軽く周囲を見渡した後こう言った。


「人の目がありますが、大丈夫ですか?」

「それを決めるのは天上院さんです」


「そうですか。ではまずはお話を聞かせていただけますか?」


「以前から天上院さんが気にしてらした大通りの建設計画ですが、率直に言って天上院さんを噛ませてあげてもいいかなと思ってます」


 優司がそう言った瞬間、天上院の目の色が変わった。


「そ、それはそれは……一体どういう心変わりですか? あれほど固い意思をお持ちだったのに」


「なに、息子と少し話しましてね。もちろんタダでという訳にはいきません。条件があります。恭弥」


「え、俺?」


「そうだ。これは君と天上院さんが話し合うべき事だ。僕の手助けはここまでだよ」


「わかった」


「はじめまして、恭弥坊っちゃん。私は天上院光画こうがです。君の噂はお父様から常々聞いてるよ。なんでもとても賢いそうで」


 光画は膝を折って恭弥に目線を会わせて優しそうな声音でそう言った。


 条件があると言われてどんな無理難題を突きつけられるか内心焦っていた光画は、その条件を言うのが幼い恭弥であるという事に安心感を覚えていた。いくら賢いとはいっても4歳が出す条件など知れている。それに、誰が見ても優司は親バカである。彼の言う賢いの程度も一般の子供のそれと変わらない可能性まである。


 大方、優司が恭弥に箔をつけるための相手として自分が選ばれたのだろう。貴族が昔やっていたような事だ。そう光画は考えていた。しかし、次に恭弥が発した言葉で脆くもそんな考えは崩れ去った。


「光画さん、愛人いますよね? その人との間に文月って名前の子供いません?」


 光画は慌てて周囲を見渡した。口には出さなかったがその反応こそ、いると言っているようなものだ。


「やっぱり、いるんですね。文月と会わせてください」


 光画は立ち上がり、優司にこう言った。


「どういう事ですか。あなたが調べたのですか?」


「僕は何もしてませんよ。それに、今あなたの交渉相手は恭弥のはずですよ。僕に話しかけるのは筋違いだ」


「……なるほど。流石は狭間様の御子息。一筋縄ではいかないという訳ですか。恭弥様、申し訳ありませんが今ここで話す訳にはいかない内容です。また日を改めさせていただけないでしょうか?」


「わかりました。ですが、その間彼女に酷い事はしないと約束してください。そして、もし生きているなら彼女の母親にも」


「約束しましょう。期日については追ってこちらから連絡させていただきます」


「わかりました。お早い連絡をお待ちしています」


 最後に握手を交わし、光画は去っていった。


「なんとかなりそうでよかったよ。ずいぶん慣れた様子だったけど、恭弥はこういうやり取り慣れてるのかい?」


「まあね。それより、建設計画とかって言ってたけどよかったの?」


「5000万くらいの計画だから、元々条件付けて渡そうとしてたから問題はないよ」


「ごせ……!」


 改めて父の偉大さを思い知った恭弥だった。


 それからも現れては去っていくごますりを眺めていると、見知った顔がやってきた。


「こんばんは、狭間様。遂に御子息のデビューですか」


 稲荷三成だった。彼は相も変わらず狐の面をつけて表情を読めないようにしていた。

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