第193話
まさか、と思った。恭弥は脇目も振らず彼女の元まで駆け出した。そして、
「桃花なんだな!?」
「そういう貴方は恭弥さんですよね?」
どこか険のあるその言い方は、幼いながらも紛れもなく記憶にある桃花だった。
「俺の事を覚えているのか!?」
「落ち着きなさい。人の目があります。場所を変えましょう」
「あ……悪い……」
興奮していて気付かなかったが、大声を出してしまったので随分と注目を集めている。
「奥の部屋に行きましょう。神楽もいます」
「神楽もいるのか!?」
「わたくしは落ち着きなさいと言ったはずですよ?」
「す、すまん……」
せっかくの再会だというのにあんまりだと思う反面、変わらない桃花の有り様に言いしれぬ安心感を覚えた。
桃花は恭弥を案内するはずだった黒服に一言声をかけるとこう言った。
「奥にVIPルームがあります。そこに行きますよ」
バーカウンターを通り越し、更に奥に行ったところにあるVIPルームの前には二人の黒服が立っていた。桃花はその内の一人に恭弥の持つものと同じカードキーを見せた。すると、扉を守るように立っていた二人が道を開けた。
「随分厳重なんだな」
「ここは限られた人間の中でも更に限られた者しか使えない部屋ですからね。警備も厳重になるというものです」
桃花はカードリーダーにカードキーを読み込ませ、扉のロックを解いた。
扉を開けると、短い廊下があり、奥にもう一枚扉があった。どうやらラウンジから中の様子が見えない作りになっているらしい。その廊下にはトイレも完備されており、VIPルームで全てが完結するようになっているようだった。
二枚目の扉が開かれる。中に入ると、ボフッとした白銀の長髪をした幼子がテレビにかじりついてゲームをしている後ろ姿が見えた。あの所々跳ねている髪型は間違いない、神楽だ。
視線を横にやると、ソファに座りジュースをチュウチュウと飲みながら神楽のプレイするゲーム画面を退屈そうに眺めている濡羽色の髪をした童女がいた。薫だろう。
扉が閉じる音に気付いた薫が振り返った。そして、恭弥の姿を認めると目をまん丸とさせてこう言った。
「うっそ……恭弥君……?」
「え?」
薫の言葉を聞いた神楽も振り返った。そして薫同様に恭弥の姿を認めるとコントローラーを放り出してこちらに駆け出してきた。
「恭弥さーん!」
「ぐっは!」
勢いそのままに神楽は恭弥の腹部に頭突きをかましてきた。そして匂いを擦り付けるようにぐりぐりと頭を動かすと、
「ほんとに恭弥さんだー! ずっと会いたかったんですよ?」
そう言って上目遣いに恭弥を見つめる彼女は紛れもなく神楽だった。
「俺もずっと会いたかった。……って、ちょっと待て。神楽まで俺の事を覚えてるのか?」
「もちろんですよー!」
「そいつだけじゃなくて私も覚えてるよ」
「薫まで? どうなってるんだ。っていうか、なんで皆ここにいるんだ」
恭弥の言葉を受けて桃花は、
「どうやら一度状況を整理する必要があるようですね」
そう言って全員に席につくよう促した。恭弥は備え付けのバーカウンターから飲み物を用意してソファに座った。話しをする準備が整った事を確認すると、桃花はこう続けた。
「まずは恭弥さんに我々の認識を説明しましょう。以前の世界の記憶が遠い順からです」
そう言うと、ジュースで唇を湿らせた薫が「じゃあ私からだね」と言った。
「とは言ったものの、私の覚えてる事って結局皆知ってる事なんだよね。あの戦いで私は一番最初に死んじゃったからさ」
「薫は死ぬ直前までの記憶を引き継いでるのか?」
「うん。以前の世界で死ぬまでの間の記憶は全部持ってるよ。私の最後の記憶は冥道院と戦ってたところまで。その後の惨状は二人に聞いたけど、正直あの段階で死んだのはラッキーだったかなとすら思ってるよ」
「そうなのか……その、すまなか――」
「謝らないで。久しぶりに会ったのにそんなの言いっこなしだよ。死んじゃったのは私の実力が足りなかったからだし、それになにより、今は生きてるんだからさ」
「それでも、ごめん。あんな結果を生んでしまったのは俺のせいだから。これはケジメだ。薫だけじゃない、桃花も神楽も、本当にすまなかった」
恭弥はそう言うと、三人に頭を下げた。そんな彼の様子を見た薫はため息をつくと、桃花に目配せをした。自分が何か言うよりも、桃花の方が適任だろうと思っての事だった。
「仕方ありませんね……頭を上げなさい。あの戦いは誰が悪い訳ではありません。遅かれ早かれ起こっていた事です。謝る必要などありません。過ぎてしまった事を悔やむ時間があるならば、これからの事を考えなさい」
「だからって……」
「姉様の言う通りですよ。別に恭弥さんのせいって訳じゃないんですから、謝る必要なんてないですよ。それよりも、私達がこうして集まれるのはそんなにない事ですから時間を有意義に使いましょ?」
「どういう事だ?」
「まずは共通認識をつくるところからです。でなければ話しが進みません。わたくしと神楽の話しを聞いてから教えます」
「……わかった。話してくれ」
「はい。わたくしの最後の記憶は肉塊から貴方が出てきたところで途切れています」
血を失い、自身の意思とは無関係に震える声。定まらない視線。否が応でも桃花の最後がフラッシュバックする。思わず謝罪の言葉が口をついて出そうになった。だが、
「謝る必要はないと言ったはずですよ。いい加減次は怒りますよ」
「悪い、つい……」
そう言うと、桃花は恭弥の瞳をジッと見つめた。ルビーを思わせる紅い瞳が射抜くように向けられている。あまりの居心地の悪さに再び謝りそうになったが、そうすれば今度こそ桃花は怒るだろう。謝罪の言葉をグッと飲み込む。
「……続けてくれ。次は神楽だよな?」
「はいです。たぶんですけど、私が持ってる記憶は恭弥さんよりギリギリ長いと思います」
「そういえば……俺があの戦いで現実に戻ってから神楽に会った記憶がないな。どこで戦ってたんだ?」
「ちょっと離れたところで戦ってたんですけど、恭弥さんが肉塊から出てすぐに狂姫でしたっけ? を出したので、それと祝姫が戦ってるのを千鶴さんと見てたんですよ。その時恭弥さん意識がないみたいでしたけど、覚えてます?」
「いや、記憶にないな。詳しく教えてくれるか?」
「詳しくと言っても、その後すぐに天城さんが現れていなくなれって言ったんですよ。なのでたぶん、そこから先の事は天城さんに聞いた方がいいと思います」
「天城が? 参ったな、この時間あいつは寝てるから起こすと機嫌が悪いんだよな……」
「恐らくですが、重要なのはそこから先です。恭弥さんには悪いですが天城さんを起こしてもらえますか?」渋る恭弥に桃花はそう言った。
「わかった。声をかけてみる。ちょっと待っててくれ」
恭弥は目を閉じて意識を天城のいるところまで落とした。その一方で、事態を飲み込めていないのが薫だった。
「ちょっと、天城って誰?」
「あれ、会った事なかったでしたっけ?」
「私知らないよ?」
「あちゃー。どうします姉様? 全部説明しちゃいます?」
「説明する他ないでしょう。ちょうど恭弥さんの意識もなく、わたくし達は手持ち無沙汰です。貴方が説明なさい」
「えー! 面倒くさいなあ。いいですか、一回しか説明しないですからちゃんと聞いてくださいね? 天城さんは恭弥さんと契約してるすごーく強い鬼です。元々は千鶴さんに取り憑いてたんですけど、今は私達の味方です。色々知ってるけど全然教えてくれない不思議な妖です。以上!」
「は? 全然わかんなかったんだけど?」
「は? こーんなにわかりやすく説明してあげたのに何がわかんないんですか。おつむ足りてないんじゃないですか?」
「あんだって? 前々から思ってたけどあんた年下の癖に生意気なんだよ。一回痛い目見ないとダメみたいだね」
「私に勝てると思ってるんですか? ちょっと身体はちっちゃくなっちゃいましたけど私は強いですよー」
「は! 燧を持たないあんたなんて怖くないし」
「瞳術以外勝ち目のない人に言われたくありませんね」
「いい加減にしなさい! 神楽に説明を任せたわたくしが悪かったです。概ね神楽の言っていた事は間違っていませんが、そもそもそうなるに至った経緯があるのです。しかし、事情が複雑なので恭弥さん本人から聞いた方がよいでしょう。今は色々知ってる相手くらいに思っておけばよいです」
「まったく、最初からあんたが説明しなよね」
「そうは言いますが貴方達がそんな事では困るのですよ。他に記憶を引き継いでる人間がいるかわからない以上、我々は結束しなければならないのですから」
「それは、そうだけどさ。ムカつくもんはムカつくんだもん。見なよ、あれ」
言われて神楽を見ると、薫に向かって舌を出して「ベーッ」とやっていた。桃花は頭を抱えたくなるのを必死に堪えた。代わりに、大きなため息が口をついて出る。
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