第185話 ※ヒロインレイプ、残酷描写あり。

(あれは、俺か?)


 泣き腫らす神楽の前に立っている狭間恭弥の姿があった。彼は無表情だったが、底の見えない申し訳無さが恭弥の胸に伝わってきた。


(ああ、そうか……俺は神楽を騙していたんだ……だから泣いてるのか)


 白面金毛九尾の狐に狭間恭弥が挑んでいた。彼我の実力差は絶対のものだった。天地がひっくり返っても勝てない。それがわかっていて尚、狭間恭弥は彼女に挑んでいた。


(なんで、勝てないってわかってるのに……)


 手足がもがれる。血が吹き出し、激痛という信号が脳を支配する。それでも、天城と契約している事によって彼は死ぬ事はなかった。もがれた手足が再び生えてくる。彼女は面白がって何度も何度も肉を引き裂く。


(痛い痛い痛い痛い! もうやめてくれ!)


 文月が犯されていた。狭間恭弥が助けに入らないルートでの出来事だった。彼に出来るのは、彼女が犯されるのをただ見続ける事だけだ。


(なんで助けないんだ!)


 文月の純血が汚され、男達の汚らしい体液で身体を汚されていく。狭間恭弥はただジッとそれを見続けていた。いや、よく見れば爪が食い込んで血が出るほどに強く拳を握っている。


(……そうだよな……助けない事で見られるかもしれないルートを探しているのか)


 胸から血を流す桃花を抱きしめていた。腕の中でどんどんと冷たくなっていく彼女の体温が、どこまで自身の無力さを突きつけられているようだった。


(こうやって、何度も何度も終わらない日々を繰り返してきたのか……)


 それからも恭弥は無限に思える時間、狭間恭弥が経験してきた事を狭間の時間の中で体験していた。


 心が擦り切れそうだった。およそ一人の人間が経験していい負の感情ではない。それでも尚、狭間恭弥は諦めずに運命に立ち向かっていた。


「なんでここまでして狂わないんだ……」

「こいつが言うところでは、諦める能力が欠如しているからじゃ」

「天城、そうか……お前も一緒に見ていたのか」


「これだけの失敗を重ねて尚、あやつは欠片も諦めようとせん。さあ、夢の終わりじゃ」


 光が射し込み始めた。光が大きくなると、いつしか恭弥の手には雷斬が握られていた。


 肉の揺り籠を切り裂いて恭弥が現れた。母の胎内で長い夢を見ていた気分だった。目覚めた彼の目からは、一筋の涙が流れている。


 一説には赤子が生まれた時に泣くのは快適な胎内から敵ばかりの外の世界に出た事を嘆いているからだというが、この時の恭弥にとってはまさにそうだった。肉の揺り籠から出て最初に目にしたものが今にも死にゆく桃花の姿だったのだから。


「恭弥さん……」


 血を失い、自身の意思とは無関係に震える声で彼女は名を呼んだ。最早その視線は定まっていない。視力も失い始めているのだろう。


 恭弥は彼女の身体を抱き上げようとした。だが、それよりも先に、


「せめて、貴方だけでも生きて……」


 桃花の命の灯火は消えてしまった。


「あ、ああ……あああ……!」


 どこを見渡しても死の匂いしかなかった。こぼれ落ちた臓物や血液、脳漿がペンキでも塗りたくるかのように地面を汚している。


 やはり現実などに戻るべきではなかったのだ。肉の揺り籠にいれば、何もない代わりにこんな辛い光景を見る必要はなかった。


 狭間恭弥の過去を経験し、負荷で擦り切れそうになっていた心が完全に音を立てて崩れ去るのがわかった。


 ――ああ、匂うなあ。負け犬の匂いだ。お前は何も成し遂げる事が出来ない。お前は何者にもなれないまま大切な人が死んでいくのを見る事しか出来ないんだ。


「後一歩のところで……よくも邪魔をしてくれたね……!」


 冥道院は珍しく怒りを覚えていた。眉根を上げて、はっきりと怒りの感情を示している。しかし、それ以上に「狂う」ほどの怒りを覚えている者がいた。


「冥道いいいいいいいいいいいいいいん!」


 恭弥が吠えた。それと同時にドス黒い霊気が彼の身体から溢れ出る。


「きゃっ! なんですかこれ!」


 恭弥の身体から溢れ出たドス黒い霊気は離れた地点で戦っていた神楽の元まで届いていた。まるで強風でも吹いたかのように身体を揺らした。


 ――なあ負け犬。お前の渇望を言ってご覧よ。ボクがその願いを叶えてやろうじゃないか。


 しなやかな肢体を持った黒猫だった。真っ黒な液体に満たされた何もない空間の奥底から、金色に光る瞳でジッとこちらを見つめている。


 ――このままだと君は名無しの権兵衛だよ。誰にも知られる事なくひっそりと役目を終える事もなく死んでいくんだ。そんなのは嫌だろう。だからほら、ボクに渇望を言ってご覧。


「俺は……あいつを殺したい。もう誰かが死ぬのは嫌だ」


 ――その願い、聞き届けた。


 ゴウゴウと吹き荒んでいたドス黒い霊気の嵐がピタリと止んだ。恭弥から発せられていた膨大な霊気の渦が一点に集中していく。


 禍々しい姿だった。この世の憎しみ全てを一身に背負ったかのような漆黒の体躯。顔に当たる部分まで何もかもが黒に塗り潰されているが、唯一口元だけが白く下弦の月のようになっている。


 身長のほどは140センチ程度だろうか。朱く艶やかな着物を着ている。恭弥の渇望から生まれたソレは、彼が無意識の内に最強だと認識している相手、つまりは天城に似ていた。


「クソ! クソクソクソクソ! やってくれるじゃないか……この土壇場で渇望の術式を発動させるなんてさ。でもね、その術式は僕の方に一日の長がある。そんな一朝一夕の渇望には負けないよ。祝姫!」


 冥道院は分散させていた祝姫を一度解体し、完全な形で再び呼び出した。


 方や二メートルクラス祝姫、方や童女にしか見えない存在。姿形だけ見れば軍配は祝姫に上がりそうだが……。


「キヒ……キヒヒ」


 恭弥の渇望は目に見えない速さで祝姫に接近すると、自らの爪で祝姫を引き裂いていく。あっという間に見るも無残な姿になっていく祝姫。ここまで僅かに瞬き三度程度の時間しか経過していないというのが恐ろしい。


「アーッハッハッハ! シネシネシネシネ!」


 恭弥の渇望はグチョリグチョリとまるでスライムで遊ぶかのように祝姫を解体していく。


「すごい……私達があれだけ苦戦した祝姫を……あれはなんなんですか?」

 異変を察して千鶴の元へと戻ってきていた神楽が尋ねる。


「わかりません……肉塊から出てきた恭弥が発した霊気が集まってアレになったのです」


「……当の恭弥さんは意識ないみたいですけど」


 神楽の視線の先にはだらりと力なく項垂れる恭弥の姿があった。


「いずれにせよこれはチャンスです。冥道院がアレにかかりきりになっている間に私達で決着をつけましょう」


「やめておけ」


 動き出そうとした二人の足元に黒いシミが現れたかと思うと、そこから天城がのそのそと姿を現した。


「天城さん。随分久しぶりではないですか。アレについて何か知っているのですか」


 急な登場だったが、すでに天城がそういう存在であると知っている二人は然程驚く事なく事実を受け入れた。


「うむ。アレはくるいひめ)という。渇望の術式で生まれる姫の中でも最も厄介な存在じゃ。アレの攻撃は無差別じゃ。敵味方関係なく目に見える存在全てを殺し尽くすまで止まらん」


「でも、アレの術者は恭弥さんなんですよね? 解除とか出来ないんですか」


「今の小僧には無理じゃろうな。アレの扱いにはあやつも困っておったくらいじゃ。しかし小僧め、よりによって狂姫を渇望のぞむとはのう。おまけになんじゃ、あの姿は我にそっくりではないか。なんだかんだ言いつつも我を最強と認めておったという事かのう」


「私はおおよそ全ての術式を知っているつもりですが、渇望の術式など、聞き及びがありません。伝承が途絶えた類のものですか?」


「お前達が言うところの開祖が危険と判断して己一代で禁じた術じゃ。知らなくて当然よ」


「なぜそのような術式を恭弥が使用しているのですか」


 これまでスラスラと問いに答えていた天城が、その問いには答えづらそうに言葉を詰まらせた。だが、答えなければならないと感じたのかややあって口を開く。


「……我らがそうなるように仕向けたからじゃ」


「ら? という事は天城さんの他にもそうなるよう仕向けた人がいるという事ですか?」


「まあ、の。それよりお前達はここから去れ。茶番はこれで仕舞いじゃ。物語の幕を引く」


「そういう訳にはいきません。何か私達に出来る事はないのですか」


「そうですよ。私なんて父様も姉様も殺されてるんですから」


「ない! いいからとっとと去れ。これよりこの場は我と小僧が預かる」


 反論は許さないとばかりに僅かに語気を強めた天城の迫力に何も言い返せなかった二人は言われるままにするしかなかった。

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