第184話
「因果なものじゃのう。まさか小娘が最後の欠片じゃとは」
崩れ落ちる恭弥の側には天城の姿があった。
「……テメエ、今の今まで何してやがった」
「今はそれよりも重大な事があるじゃろう。その欠片を人形の元に戻せばお主は元の世界に戻れるぞ。どうするかはお主の選択じゃ。誰も否定しないこの世界に籠もるも良し。外に出て運命に抗うもまた良しじゃ。全てはお主の手に委ねられておる」
恭弥は手の上でほんのりと暖かさを放つ欠片と、陰鬱な雰囲気を放つ棺桶とを見比べた。
「お前の事だからどうせ全部見てたんだろう? どうして桃花を巻き込んだ」
「我はなんもしとらんよ。この世界に足を踏み入れる選択をしたのは小娘じゃ。あるいはそれも因果の流れの内かもしれんがな」
「訳わかんねえ事をぐちゃぐちゃ言ってんじゃねえ! なんで桃花が死ななきゃいけなかった!」
「これは異な事を言う。お主は小娘に死んでほしいと思っておったんじゃないのかえ?」
「それは――」
「気の迷いとは言わせんぞ。戦う原因である小娘がいなければ、お前は誰も否定しないこの世界で幸せに
「……ああそうだよ! 悪いかよ! 外に出ればまた終わらないループが待ってるんだ。誰かが死んでもどうせ蘇るんだ。そんなのもうたくさんだ!」
「ならこの世界に居続ければいい。誰もお主の選択を否定せんよ。かくて世界は終わりを迎える。まあ、お主のような情けない奴にしては頑張った方じゃ」
天城は座布団にぴょこんと座り込むと、桃花が残していったお茶を飲んだ。すっかりと冷めてしまっているそれを実に美味そうに飲んでいる。
「……いつまでそうしてるつもりだよ。前みたくとっととどっかに消えろよ」
「消えんよ。我はお主の契約者じゃからな。これからはずっと二人きりじゃ。それが嫌なら外に出る事じゃな」
「脅しのつもりかよ」
「なんも。我は事実を言ってるに過ぎん」
「そうかよ。勝手にしやがれ……」
「そうさせてもらうよ」
それきり会話は途切れてしまった。天城は相変わらず座布団に座ったままお茶を飲んだり、お茶請けとして置かれていた羊羹を美味そうに食べている。
一方の恭弥はといえば、いつまで経っても現れてくれない自身を肯定してくれる肉塊が現れない事に苛立っていた。かなり前から貧乏揺すりをしているので傍目にも苛立っている事が見て取れた。
「一応言っておくが、もうお前を肯定してくれる肉塊は現れんよ。この場は我とお主以外、何人も現れる事はない閉じた世界じゃ」
「ふざけっ……! お前と二人きりだなんて冗談じゃない!」
「冗談でも嘘でもないぞ。この居間と我らの存在だけ、ここはそういう世界じゃ」
恭弥は慌てて玄関に向かった。そして外へ繋がっているはずのドアを開けた。だが、そこにあったのは完全なる「無」だった。ただただ白い光景がどこまでも続いているだけで、何も無かった。
それは家の中も同様だった。浴室の扉を開けようと、文月の部屋の扉を開けようと、あるのはただ白い光景だ。
恭弥は暫くの間何かないか家中の扉を開けてみたり、外の白い世界を歩いてみたが、結局何も得るものはなかった。どれだけ家から離れたところで、立ち止まって振り返るとそこには家の扉があった。
疲れも空腹も、眠気すら訪れなかった。どれだけ眠りにつこうと努力しても、一向に眠れる気配が訪れなかった。
ここには何も無かった。リビングという僅かな空間と天城の存在だけが全てだった。
チラリと天城を見やる。彼女は相も変わらずお茶と羊羹を楽しんでいた。
「チッ」
恭弥は膝を抱え込んで座ると、また眠れないかどうかを試した。
◯
どれだけの時間が経過しただろうか。一日、一時間、あるいは十分程度? 時計を見ても止まっているので、正確な時間はわからなかった。
唯一変化があるだろうと思っていた天城の飲食も、最初に見た時から一切減っていなかった。あれだけ何度も口にものを運んで減らないという事はないはずだから、恐らくどれだけ食べても減る事がないのだろう。
とどのつまり、ここではどれだけ時間が経過していてもそれを知る術がないのだ。
「……俺が外に出たら何か変わるのかな」
耐え難い苦痛を覚え始めた恭弥は、遂に天城と会話するという選択を取った。
「どうかのう。あるいは何か変わるかもしれんの」
「でも、どうせ皆死んでるんだろう? 今更俺一人戦ったってどうかなるのか」
「さてな。そればかりはやってみないとわからんの」
「大体、人形ってなんなんだよ。俺の心がどうとか言ってたけど」
「あれはお主であってお主でないものの心じゃ」
「……要は本来の俺のって事か」
「そうじゃ。小娘はあれをお前のものだと思って必死に頑張っておったぞ」
「やめろ。桃花の事を言うな」
「やれやれ、聞いてきたのはお主じゃろうに」
「人形に欠片を戻せば元の世界に戻れるって言ってたけど、何がどうなってそうなるんだ」
「この術式は生贄の自我を破壊するところが肝じゃ。故に自我を強くもっておれば生贄足らん。人形は弱いお主の代わりに壊れてしまった狭間恭弥という人間の自我じゃ。じゃからその自我を戻せば元に戻れるという寸法じゃ」
「代わりに、って本来の俺が肩代わりしたのか?」
「そうなるの」
「なんのために」
「それは我の口から語る事ではない。じゃがな、こうして形を持って自我を意識してしまった以上、人形に欠片を戻せばお主は元の狭間恭弥が経験した事を経験する事になる」
「何回もの間ループしていた記憶を全部引き継ぐって事か?」
「それだけで済めばいいがな。辛い気持ち、痛い経験、悲しい感情、無念さ、それら全てを一瞬の内に受け取る事になる。お前に耐えられるかのお」
想像したくなかった。それだけの負の感情を一度にぶつけられて無事でいられる訳がない。
「……俺は外には戻らない」
「そうかえ。ま、気が変わったら言っとくれ。我は茶でも飲んで待っておるでの」
再び会話が途切れる。恭弥は無駄だとわかっていたが、また眠るために目を閉じた。だが、やはりどうしてもダメだった。一向に眠れる気配がない。
「……なあ、外は今どうなってるんだ」
「外に出ないという選択を取ったお主が知る必要はないの」
「少しくらい教えてくれたっていいだろ」
「そんなに気になるなら自分で見にいけばよいじゃろう。そのための方法は教えたはずじゃが?」
恭弥は桃花が遺した欠片を手に取った。やはりほんのりと暖かさを放つそれは、言いようがないほどに心を穏やかにさせた。
かと思えば、棺桶の中に眠る人形を見た途端、どうしようもないほどの嫌悪感が胸を締め付けた。陰鬱とした空気を放っているとしか思えないそれが、ガラスで出来た無機質な瞳を向けてくる。ガラスに反射して映った自身の表情は、どこか泣きそうな顔をしていた。
「小娘は何度も死にそうな目に遭いながらも、お前のためにここまで来た。今お前はそうした想いを無下にしておるんじゃ」
「……わかってるさ。けど俺は、もう戦いたくない」
「なのになぜ、欠片を戻そうとしている?」
「この欠片を持ってると、桃花の想いが溢れてくるんだ。俺のわがままで死なせてしまったんだ。せめて桃花だけでも、なかった事にしないとやりきれない」
恭弥は震える手で欠片を人形に戻そうとした。だが、その手を天城が握って止める。
「それを人形に戻せばお前は再び戦いの運命に身をやつす事になる。本当にいいのかえ?」
「結局俺は、どこまで逃げても戦う運命にあるんだ。戦う事でしか生きられないのなら、戦うしかないだろう」
「本当にいいんじゃな? 後悔しても遅いぞ」
「桃花にも怒られちゃったしな。少し、休み過ぎちまった。精々また足掻くとするよ」
天城は握っていた手を離した。恭弥はゆっくりと欠片を人形へと戻す。世界が音を立てて崩れていく。
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