第186話
振り返ると、祝姫と狂姫の戦いは決着がつこうとしていた。
「クソ! なんでだ! 生まれたての渇望にどうして手も足も出ない!」
「キヒヒ……キヒヒヒヒ! シネェ!」
再生を司る祝姫の尋常ならざる再生力以上に狂姫はその身体を破壊していく。最早祝姫だった存在はその上半分を失い、辛うじて戦っている風を装っているに過ぎなかった。狂姫にしてみれば、砂場の山を崩しているが如き気楽さだ。
「うぅ……おい、どうせ見てるんだろう! 何が望みなんだ! 言えよ! 乗ってやる!」
敗色濃厚となった事で冥道院は恭弥の中にいる狭間恭弥へと問いかけた。しかし、なんの反応もなかった。
冥道院は歯噛みした。今狂姫は祝姫に注視しているが、祝姫が沈黙すれば次の標的が自身に移るのは明白だった。そうなってしまえば勝ち目はない。
「チクショウ! せっかくここまで来たのに!」
「諦めよ。お前の負けじゃ」
天城は準備運動をしながらそう話しかけた。
「鬼! いいところにきた。あいつをどうにかしろ!」
「やれやれ、なりふり構わんとはこの事かいな。言われんでも元より止めるつもりよ。それより、お前もとっとと去れ。もう用済みじゃ」
「用済みだって? それはどういう――」
言い終わるより前に祝姫を殺し終えた狂姫が冥道院に襲いかかった。
「ほうれ、次の標的はお前じゃぞ。いらん事気にする前に逃げたらどうじゃ」
「うっ! クソッ……そうさせてもらうよ……」
冥道院は大量の青い蝶に包まれたかと思うと蝶がバラける頃には姿を消していた。お得意の転移術式を発動させたのだ。
「キヒ?」
「やっと二人になったの。どれ、少しだけ遊んでやる。喜べ、我はお前より遥かに強いぞ」
「キヒヒ!」
双方の爪がぶつかり合う。
◯
最初は何もわからなかったが、電車に揺られているという気付くと連鎖的に自身が置かれている状況がわかるようになってきた。
今恭弥は夕暮れ時を走る電車の席に座っていた。ガタンゴトンと定期的に揺れが訪れるのが心地良かった。
俯いている顔を上げると、そこには本来の自身である狭間恭弥が同様に座っていた。
「やっとお目覚めかい。気分はどうだい?」
「……最悪だよ、クソッタレ」
「そうか。今外の世界では君の生み出した渇望である狂姫を天城が止めている」
狭間恭弥は少しの間押し黙ると「いや、遊んでいると言った方が正しいか」と言った。
「あんたが出てきたって事はまたろくでもない事になるんだろ? 言えよ。これ以上事態が悪化したところでどうにもならないんだから」
「そう拗ねるなよ。君が僕の代わりをやってくれている間に僕も僕なりに準備をしていたんだから」
「はっ! どうせくだらない事だろう? もうたくさんだ。いっぱい人が死んで、誰も救えないんだよ。俺も、お前も、誰も救えないんだ」
彼は恭弥の悪態にしかし、柔和な笑みを浮かべるだけだった。その様子に気勢を削がれていると、彼は呟くようにこう言った。
「……最後の賭けに出ようと思うんだ」
「最後?」
「そう。文字通りの最後だ。僕の過去に戻る能力は完全なものじゃない。回数制限があるんだよ。完璧な形で過去に戻れるのは、後一回だけだ」
「……どうするつもりなんだ」
「僕は僕である事を放棄する。これからは、狭間恭弥という人間は君がなるんだ」
「どういう事だよ」
「言葉通りの意味さ。僕は白面金毛九尾の狐が生まれる前の過去に行く。そこで白面金毛九尾の狐という存在そのものを抹消して桃花が死ぬ運命を変えるつもりだ。そうすれば、桃花を縛る一連の因果そのものが無くなるはずだ」
「そんな事したらあんた自身が……」
「言ったろう? 僕は僕である事を放棄する。狭間恭弥を頼んだよ。それから、天城との契約は君に移る。不死性だけは僕がもらっていくから死なないように気をつけてくれ。後――」
「待てよ! あんたはそれでいいのか? あんたは桃花を救うためにずっと頑張ってきたんだろう? なのに、そんな事しちまったらあんたの目で桃花が生きてるかどうか見れないだろう!」
彼は一瞬、酷く哀しそうな目を見せた。だがそれは本当に一瞬で、瞬きの後には男らしい決意に満ちた表情になっていた。
「僕は桃花が幸せに生きてくれればそれでいいんだ。彼女の物語に僕という不純物は必要ないんだ」
あまりにもはっきりと言い切るものだから恭弥は二の句を告げなかった。
「それから、これはお願いだけど……なるべく彼女達を悲しませないであげてほしい。僕には悲しませる事しか出来なかったけど、君は笑顔にする事が出来るだろう?」
彼の言った彼女達が正確には誰の事を言っているのかはわからなかったが、恭弥は自らと関わりのある女性達の顔を思い浮かべた。
「……本当に、あんたはそれでいいんだな?」
「嫌だ、と言っても誰かがやらなきゃ桃花は死んでしまう。だからこれは、仕方のない事なんだ。僕はくじ引きでハズレを引いただけさ」
少しばかり茶化して言う彼の様子には、とてつもない悲哀と決意が感じられた。恭弥はこれ以上言葉をかけるのは無粋であると思い、押し黙った。
「君には苦労をかけてる。僕の自分勝手で生み出して、いいように人生を動かされて良い気がするはずがない。許してくれとは言わないけど、すまないと思ってる」
「……いいさ。許すよ。正直、あんたの事は殺したいほど憎んだりもしたけど、そこまでの覚悟を見せられてうだうだ言うほど俺も人間腐ってないつもりだ」
「そうか。ありがとう。それじゃあ、僕の成功を祈っててくれ」
「ああ、祈ってるよ。こっちの事は俺に任せて、やる事をやってこい」
二度と会う事はないだろうに、二人はまた明日とでもいわんばかりの気軽さで別れを告げた。
彼が立ち上がった。振り返る事なく車両を移動した。
暫く待っていると、車両と車両を繋ぐ窓にビシャリと鮮血が舞った。
世界がまばゆい光で包まれていく。あまりの眩しさに目を開けている事が出来ない。
恭弥が再び目を開けた時、世界はまるきり様変わりしていた。
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