第177話 ※残酷描写あり。

 世話になった人達にお別れを済ませた恭弥はひたすらに自分をいじめ抜いた。起きている時間の大半を修行に費やした。


 以前は好んで覚えなかった攻撃系の呪術すらも学んだ。その上で、文月のお世話もしっかりとこなしていた。誰が見てもオーバーワークだった。それでも、恭弥は努力を続けた。それが死んでいった者達への罪滅ぼしのつもりだった。


 そして遂に冥道院との約束の日を前日に控えた今日、恭弥は文月を寝かしつけてベランダで人生最後となるであろう煙草に火をつけていた。


「……結局俺が残る方法は見つけられなかったな。神楽のやつ、相当怒るだろうな」


 修行の合間を縫って色々と調べてはみたが、そもそも過去に戻る異能など前例がないため、文献そのものが見つからなかった。恭弥という存在が残るも消えるも本来の狭間恭弥の胸三寸という事には変わりなかった。


(消えたくないな……)


 思わず零れそうになった弱音を、煙を吐き出す事でなんとか誤魔化した。


 否応なしに明日全てが終わるだろう。そして、


「皆には新しい一日が訪れる。失ってしまったものは帰ってこないけど、それでも皆前に進むんだ。俺が止まる訳にはいかないよな」


 恭弥は中ほどまで吸った煙草を灰皿に押し付けると、自室へと戻った。


   ○


 その日は生憎の雨だった。予報では晴れるとの事だったが、朝方から今にかけてずっと土砂降りだった。そんな中協会本部に集結した者達は身体が濡れるのもいとわずその時をただジット待っていた。


 特記戦力として竜牙石権蔵と安倍千鶴。桃花を始めとする複数名の一級退魔師もいる。前回は負傷で参戦出来なかった宗介もいるし、他にも恭弥の知らない二級退魔師達が大勢集まっている。


 皆、決死の表情だった。特に、前回の白面金毛九尾の狐戦を経験している者は面構えが違った。いつ何時その時が訪れてもいいように各々が最高の状態を保っているように見えた。


 そして遂にその時が訪れた。どこからともなく現れた青い蝶の群れの中から、白面金毛九尾の狐と冥道院が姿を表したのだ。


「揃いも揃って阿呆面じゃのう。そんなに我に殺されたいのかえ?」


 そう言った白面金毛九尾の狐はヒト形を取っていなかった。以前依り代となった文月を引き離した際に表した巨大な狐の姿だった。


 恭弥はチラリと白面金毛九尾の狐の背後に控える冥道院を見やった。すると、彼は薄く微笑んだ。どうやら彼の毒を飲ませるという作戦は成功したようだった。


「悪いが殺されるのそっちの方だ。もう、ここで終わらせる」


「吠えるでないか、小僧。くふふ、ここからでもお前の恐れが伝わってくるぞ。我が恐ろしいのであろう? 震える手足を堪えられていないぞ。そんなよちよち歩きで我を殺せると思っているのかえ?」


「俺一人じゃ無理だろうさ。けどな、俺にはお前と違って仲間がいるんだよ」


「そうかえ。その仲間とやらには我の片割れも入っておるつもりかえ?」


 そう言って白面金毛九尾の狐は宗介を見やった。誰よりも戦力差を理解している宗介は、彼女に視線を向けられただけで流れ落ちる冷や汗を抑えられなかった。


「当然だ。宗介はお前とは違う。宗介は人間を理解している」


 恭弥の言葉を聞いた白面金毛九尾の狐は喉を鳴らして上品に笑った。人の姿を持っていれば様になったのだろうが、獣の姿である今の彼女がすればただの威嚇にしか見えなかった。


「何がおかしい!」


「いやなに、つくづくおめでたい頭をしていると思ってな。人と妖など、所詮はわかり合える事などないというに。お主を見ていると昔を思い出すよ」


「年寄りの昔話ほど興味のねえもんはねえよ! 拾壱次元! 行けえ!」


 恭弥が拾壱次元で呼び起こした刀剣を一斉に白面金毛九尾の狐に向けて放った。これが開戦の合図だった。それぞれが攻撃を開始した。


 やはり冥道院の毒が効いているのだろう。以前は彼女が張った結界に全て弾かれてしまった刀剣が、いくらか貫通して白面金毛九尾の狐の身体に突き刺さった。


(これならイケる……!)


 協会本部の地下に流れる霊脈が力を底上げしているのもあるのだろう、千鶴が放った一撃も結界を貫通していた。


「な、なんじゃ! 何が起こっている!」

「休むな! 畳み込め!」


 竜牙石の掛け声で放たれた遠距離攻撃が一斉に白面金毛九尾の狐を襲う。以前が圧倒的に不利な戦いだとすれば、今回は圧倒的とまでは言えずとも有利な戦いだった。


 白面金毛九尾の狐は冥道院の毒でかなり弱っているので、前とは違いこちらの攻撃がしっかりと効いている。


 冥道院側も、この戦いがある種のマッチポンプであると考えているのか、明らかに手を抜いて戦っている。二級程度であれば死んでしまうだろうが、あの様子では主戦力である一級以上が手傷を負う事はなさそうだった。


(冥道院はその他大勢に任せても大丈夫そうだな……彼らには悪いが、時間を稼いでくれてる間になんとしても白面金毛九尾の狐を殺す……! けど、突破口がない……)


 最もダメージを与えられる近接攻撃に移ろうにも、白面金毛九尾の狐側がそれを警戒して接近を許さなかった。


「チクショウ! チマチマやってても殺せない。なんとか近づかないと……!」


 攻めあぐねていると、それを察した英一郎が一歩前に出てこう言った。


「しゃーねえな。おじさん達が隙を作ってやる。若者で決めてこい! 権蔵爺様、秋彦、千鶴、いっちょやってやろうぜ!」


「承知した!」

「30秒だ。30秒我々が奴の動きを抑える。その隙に攻めろ」


「タイミングは私に合わせてください。大技を放ちます!」

「すいません、頼みます!」


 まず動いたのは秋彦だった。呪術で白面金毛九尾の狐の動きを鈍らせると、それに合わせて英一郎が拳の空打ちによって牽制弾を放った。そうして釘付けとなったところに権蔵の霊力が込められた独鈷と千鶴の強力な一撃が大きな隙を生み出した。


 その隙に詠唱を済ませていた恭弥、桃花、神楽が駆け出す。狙いは一点、白面金毛九尾の狐の頭を落とす事だ。頭さえ落とせればさしもの彼女も討ち倒せるはずだ。その考えの元、恭弥、桃花、神楽の三人は正面から見て右側に狙いを定めた。


「拾壱次元!」

雷閃らいせん

「火鳥風月!」


 それぞれの一撃が一箇所にぶつかった。果たしてその一撃は白面金毛九尾の狐の首を断ち切った! 


 上がる血飛沫、崩れ落ちる巨体。白面金毛九尾の狐は声一つ上げる事なく地に伏した。


「やった……のか……?」


 白面金毛九尾の狐は血の川を作るのみでピクリとも動かなかった。


 遂に、数多の犠牲後白面金毛九尾の狐は絶命した。恭弥は思わず勝鬨の声を上げた。しかしそれに水を差す者がいた。


「――ご苦労様。これでやっと、目的が果たせるよ」

 冥道院は恭弥の肩に手を置いてそう言った。


「どういう――」


 振り返ると、血の池が出来上がっていた。つい先程まで彼の相手をしていた二級退魔師達は一人残らず臓物をぶち撒けていた。よく見るとそれだけではなかった。死体の中には高橋の姿や薫の姿までがあった。彼らも血の池を構成する一員らしく臓物を垂らしている。


「は……? え……?」

「恭弥!」


 あまりの出来事に対応が遅れてしまった。千鶴の呼びかけに反応する間もなく恭弥は冥道院が振るった手刀で左腕を落とされてしまった。


「ぐあああああああああああああ!」


 鬼の力を全解放しているというのに再生する気配がない。毒か何かが塗られていたのだろう。出血すら止まらなかった。それに加えて、身体の力が急速に抜けていった。


 立っている事すら出来なくなった恭弥は、がっくりとその場に倒れてしまった。

 援護に入ろうにも、冥道院の呼び出した祝姫が恭弥を人質に取っているために周囲の人間は身動きできなかった。


「世の中には等価交換という言葉があるけど、人一人蘇らせるにはとてつもない対価が必要なんだ」


 冥道院は恭弥の血が付いた手を祝姫の腹に突き刺しながら滔々と語る。


「魂のみを黄泉から帰らせるのならまだしも、僕は母さんに触れたい。その手で僕を撫でて欲しい。そうなると、新しい肉の器が必要だ。だけど困った事に一人を犠牲にしたからといって母さんは帰ってこないんだ。完璧な形での黄泉帰りには多くの命が要る」


 祝姫の腹から手を引き抜いた冥道院は、恭弥と祝姫の血が混ざったその指で地面に術式を描き始めた。見た事のないものだった。見ているだけで気が狂いそうになる幾何学的な模様をしている。


「ただ数があればいいってものでもない。上質な、それでいて呪力霊力に富んだ命じゃなきゃいけない……おや、こんなところに手頃な命があるじゃないか」


 術式を描き終えたらしい冥道院は、今度は白面金毛九尾の狐の首に手を突っ込んで血を採取した。そして、その血を術式にポタポタと落としていく。


「……小僧、最初からこれが狙いだったのか」

 頭だけになった白面金毛九尾の狐の息も絶え絶えにそう言った。


「おやおや、そんな姿になってもまだ生きてるとはね。流石は神話を生きる妖といったところかな。でももう、僕がやる事を止める元気はなさそうだ」


「おのれ……口惜しや。力が出なかったのもお主のせいじゃな……」


「よくわかってるじゃないか。君は僕を信用し過ぎたんだよ。十分生きたろう? ここらでお亡くなりになってよ。さて、話の続きといこうか。人を構成するのは感情だ。それがなければ新しい肉の器に魂が入ったところでそれは伽藍堂だ。人形と変わらない。そんなのは生きてると言えない。殺しちゃった方がいいくらいだ。おっと失礼、君はお人形を取り戻すために頑張ってるんだったね」


 冥道院は恭弥に向かってクスリと微笑んだ。


「冥道院!」

「いいね、僕の事が殺したくてたまらないって目だ。君を生贄に選んだのは間違いじゃなかった。これから君には母さんの感情を体験してもらう。脆い君の精神は耐えられるかな?」


 ――術式発動。喚戻よびもどしの輪廻りんね


 地獄というものが本当に存在しているのであれば、今見ている光景がまさにそれだった。


 冥道院の発動させた術式を中心に渦巻くように廻り始めた死体の山は、裂けた腹から溢れる臓物で台風がそうするように肉の目を作っていた。


 降り注ぐ血の雨は、腸から零れ落ちる腐臭も相まって息をする事を身体が拒否していた。


 死体がぐるぐると廻っている。その中には恭弥に微笑みかけてくれた薫の姿もあった。


 頭蓋から垂れた眼球が風に煽られてプラプラと行き場なく揺れている。だらしなく放り出された乳房は片方が完全に抉られて中の白いものが薄っすらと見え隠れしていた。そんな薫がこう言うのだ。


「だから言ったじゃん。冥道院の言う事なんて信用しちゃダメだって。あたしがこんな姿になっちゃったのは全部恭弥君のせいだからね」


「ち、違う! 俺はこんなつもりじゃ……!」


 次は高橋だった。彼は頭が半分無かった。斧で頭を鏡開きにでもされたかのようにパッカリと割れた脳みそを晒した彼はこう言う。


「憎い。憎い。憎い! 私はこんなところで死ぬつもりはなかった!」

「そんな……」


 薫や高橋だけではない。肉の台風を築いている死人達全員が恭弥に呪詛をぶつけてくる。


「やめろ……やめてくれ!」


「やあ盛り上がってるね。次は君の大切な人を殺してみせようか」


「もうやめてくれええええええええ!」

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