第176話

 なんとか口八丁手八丁で秋彦を宥めすかした頃にはグラスが3杯も空いていた。全員いい具合に酒が入ってきて、先程よりも口が軽くなっていた。特に、


「その時の美智留の格好良さと言ったら、もう思い出すだけで身が震える!」


 秋彦はちょっと前からこの具合である。焼酎と日本酒をチャンポンしたのがいけなかった。恭弥が来る前からビールなども飲んでいたため、相当に酔いが回っている。


「おいおいその話しもう3回目だぜ? それより俺の弟子の話しを聞けよ」


 英一郎の方も大概だった。秋彦よりはマシだが、先程から彼の弟子である小春と清明の話しばかりしている。


 妻自慢に弟子自慢、唯一そこまで酔いが回っていない恭弥はずっと二人の聞き役である。ちょっとした地獄絵図だが、どうしてかとても楽しく感じられた。


 ニコニコとグラスを傾ける恭弥の様子を不思議に思った二人が声をかける。


「何がそんなに楽しいのかね」

「さっきからこいつの自慢話ばかりでむしろ退屈だろ」


「それは聞き捨てならないな。自慢話をしているのは君の方じゃないか」

「酔い過ぎて頭おかしくなかったのか? 自慢話してんのはお前の方だろ」


「まあまあ、俺からしたら二人共自慢話してますって。でも、それが楽しいんです。なんかすごい貴重な日常の1ページに思えて」


「君は変わった事を感じるようだね」


「おじさんの自慢話ほど退屈なものもないだろうに。ほんとに、お前は変わった奴だよ」


「どうせ俺は変わってますよ」


 酒が回ってきた事もあり、恭弥はふざけ半分でイジケた様子を見せた。そっぽを向いて枝豆を食べる。


「そう不貞腐れんなっての。悪かったよ」


「私とした事が、いささか飲みすぎてしまったようだな。今夜は楽しすぎた。すまん」


「冗談ですよ。謝らないでも大丈夫です。歳は離れてますけど、俺達の関係は普通とは違いますから」


「まあな、俺達は言っちゃあ戦友みたいな関係だからな。確かに普通とは違うわな」

 秋彦は遠い目をしながらグラスの中身を一気に飲み干した。


「こういう場だから言うが、私は戦いなど嫌いだった。退魔師になって暫く、戦う理由を見いだせず、ずっと惰性で戦っていたほどだ」


「なんか、意外ですね。秋彦さんくらい意識高い人なら高尚な理由があると思ってました」


「君は少し私を過大評価しているようだ。私など、大多数の一人に過ぎないさ。英一郎はどうだった?」


「俺か? んまあ俺も最初はそうだったな。なんとなく出来るからやってたって感じだな。それが変わったのは教師になって、教え子が出来てからだ。こいつらを守るために頑張ってみるかなって意識が生まれてきた」


「私もそうだ。美智留と出会い、彼女を守りたいと思って初めて、それが戦う理由になった」


「今はどうなんですか? 美智留さんを亡くして、戦う理由は変わりましたか?」


「否応なく、な。彼女が遺した家を守る事、それが第一の理由だ。だがな、同時に娘達も守らなければとも思っているよ」


「娘を殺そうとしたやつがよく言うぜ」英一郎は煙草を吹かしながら言った。


「茶化すな。今となっては過ちだったと反省している。神楽が今こうして生きているのは恭弥君を始めとする皆のおかげであると理解しているつもりだ。だからこそ、私は君を評価している。娘を嫁がせるなら君以外にいないとすら思っている」


 さらりと言ったが聞き捨てならない単語をあった。


「ん? 嫁がせる? って事は――」


「そうだ。君が椎名に婿入りするのがどうしても嫌というのであれば、嫁がせるのもやぶさかではないと考えている」


「おいおい、パパ公認じゃねえか。やったな狭間」


「だから茶化すなと……まあいい。とにかく、そういう事だ。少し真面目に考えてくれ」


 恭弥はお冷を飲んで唇を湿らせると、佇まいを直してこう言った。


「今の話しは、聞かなかった事にさせてください」

「……何故かね?」


「今はお話し出来ません。ですが、白面金毛九尾の狐を討伐して、尚そのお気持ちが変わらないようでしたら、その時に再び私に話してください」


 真摯に話す恭弥の様子に、並々ならぬ理由がある事を察した秋彦は「わかった」とだけ言って酒を飲み直した。どうやらこの話はこれで終わりのようだった。


「ったく、お前は秘密が多すぎるんだよ。先代の狭間ですらそこまで多くなかったぞ」


 英一郎はツマミの塩辛をつつきながら言った。


「すいません、これに関しては狭間は関係ないんですけどね。どうもそういう星の元に生まれたみたいで、人に言えない事が多くて……」


「なーにが狭間は関係ないだ。いっちょ前の事言いやがって。飲め飲め、グラスが空いてるじゃねえか」


 英一郎はそう言って残っていた日本酒を恭弥のグラスに全部注いだ。グラスに少し残っていたハイボールと日本酒のミックスの出来上がりだ。


 到底飲みたいとは思えなかったが、飲まないと許さないと目で言ってくるので、恭弥は仕方なく一気に飲み干した。口の中になんともいえない不快感が残る。


 恭弥は店員を呼ぶと、日本酒とハイボール、それから空のグラスを注文した。そして、品が届くと空のグラスに1対1で日本酒とハイボールを入れたものを英一郎に差し出した。


「おま、なんつー事しやがる!」


「俺も飲んだんだから飲んでくださいよ。まさか俺の酒が飲めないなんて事はないですよね?」


「テメエ、アルハラだぞ!」


「都合のいい時だけそういう事言わないでくださいよ! いいから飲め!」


 グラスを持った恭弥は英一郎の口元まで持っていって無理やり飲ませる。


「……なんだこの甘ったるいような苦いような」

「ようするにゲロの味ですよ。俺はそれを飲まされたんだ!」


「大人げない……もう少し落ち着いて飲めないのかね、君達は」

 秋彦は恭弥の頼んだ残りの日本酒を飲みながら言った。


「うるせえ! 自分だけお高くとまってんじゃねえ。お前も飲めー!」

 英一郎はゲロ酒が入ったグラスを秋彦の口元に押し付ける。


「や、やめろ!」

「秋彦さんも仲間入りしてください!」


 こうして男達の夜は更けていった。

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