第164話

「俺が前に出る。狭間と椎名はカバー頼む」

「了解!」

「わかりました」


「私と光輝さんは三人を援護しますよ!」

「了解です」


 結界を失った白面金毛九尾の狐は相応に攻撃をガードした。中でも、千鶴と光輝の攻撃だけはしっかりと避けていた。千鶴は安倍家という特攻が白面金毛九尾の狐にある。光輝も殺生石という特攻を持っている。彼女はそれを嫌がっているのだ。


「切り裂け、清狗!」

「チィ!」


 どうしても避けられない時は今のように片腕で攻撃を受け止めている。その傷も、恭弥達がつけるものより治りが遅かった。


「ああ、嫌じゃ嫌じゃ。臭くてたまらんわ。早う死ね」


 今白面金毛九尾の狐のターゲットは前に出ない千鶴よりも光輝の霊獣である清狗に向かっている。それもまた、戦いやすい要素となっていた。このまま消耗戦に持ち込む事が出来れば文月を依り代から解放出来るかもしれない。


(イケる! イケるぞ!)


 更に好機は続いた。援軍が到着したのだ。事前に通達した通り、高橋は対冥道院のチームに参戦し、それ以外の面々が白面金毛九尾の狐の戦いに参戦してくれた。


 まさに理想的な展開だった。


「有象無象がごちゃごちゃと……! 邪魔じゃ!」


 白面金毛九尾の狐が周囲一体に狐火を放った。今の一撃で援軍に駆けつけてくれた半数が死亡してしまった。だが、それでもこちらのペースは崩れていない。むしろ、想定通りだ。


 援軍には悪いが、彼らは盾だ。恭弥達が生き残るため、白面金毛九尾の狐を消耗させるためのコマだ。最初から戦力には数えていない。だから、これでいい。


 その辺の一級二級程度が束になったところで白面金毛九尾の狐に勝てないのは百も承知。恭弥は心の中で彼らに謝罪しながら死体を盾にし、機を伺う。


「邪魔じゃと……言っとろうが! あぅ!」


 そうして遂にその時が来た。白面金毛九尾の狐が援軍に手を出した隙に清狗の咆哮波が直撃した。たたらを踏んだところに英一郎が痛烈な一撃を入れた。すかさず接近した恭弥と桃花が白面金毛九尾の狐を押し倒し、刀を両腕に突き刺して地面に磔にした。


「千鶴さん、今だ!」

 恭弥の声に千鶴が駆け出す。手には無数の式が持たれている。


六根清浄急々如ろっこんしょうじょうきゅうきゅうにょ律令りつりょう!」


 千鶴のオーダーによって飛んでいった無数の式が白面金毛九尾の狐に張り付き、その身を拘束する。


 張り付いた式によってミイラのようになった白面金毛九尾の狐の身体が宙に浮く。


「な、なんじゃ! こんなもの……!」

「二人共離れてください! オン アボキャ ベイロシャノウ――」


 六根清浄によって心身を清められた白面金毛九尾の狐に光明真言が一語一語浸透していく。そのたびに彼女は苦痛のうめき声を上げた。効いている証拠だった。


 光明真言とは梵語による23文字の短いお経であり、その意味は一心に唱える事によって全ての災いを取り除くという、単純にして強力な原初の呪詛だ。


「マカボダラ マニハンドマ――」


 安倍家の末裔である千鶴が渾身の霊力を込めて唱える事によって、少しずつ白面金毛九尾の狐が依り代となってしまった文月の身体から引き剥がされていく。


 緊張の瞬間だった。すでに、文月の背後には霊体となった白面金毛九尾の狐の本体が見え隠れしている。


「ジンバラ ハラバリタヤ ウン!」

「あああああああああああああああああ!」


 千鶴が光明真言の最後のお経を唱えた瞬間、白面金毛九尾の狐の霊体が文月から完全に引き剥がされた。


「やった!」

 喜びもそこそこに、恭弥は駆け寄り文月を抱き起こす。何度か呼びかけてみるが、意識は戻らなかった。無理もない。退魔師でもない彼女が依り代としてあれだけの無茶をやっていたのだ。肉体にかかっている負担は相当なものなはずだ。


「我の、我の肉が! 殺す! 殺してやるう!」


 霊体となって正体を表した白面金毛九尾の狐は8本の尾を持つ身の丈3メートルはあろうかという巨大な狐だった。


 先程までの余裕はどこにいったのか、今はただビリビリと刺すような殺気を向けている。慌てて文月を横抱きにした恭弥は後ろに下がる。


 なんとか文月を依り代から解放する事は出来たが、状況は悪化している。盾となってくれる援軍はとうに全滅しているし、最大戦力の千鶴は先程の光明真言で力を使い果たしてしまっている。


(光輝さんも心配だ……)


 元から無茶をしていたところに、文月を取り戻した事で気が緩んだのだろう。吐血だけに留まらず、両目から血を流している。息も荒い。これではまともに戦う事は出来ないだろう。


 全力で戦えるのは消耗の少なかった恭弥と桃花、英一郎の三人だけだ。それに、対冥道院のチームも気がかりだった。今の所脱落者はいないようだが、余裕はないように見える。とてもこちらに人を回してもらえるような状況ではないだろう。


(なんとかして勝ち筋を見つけないと……最悪撤退も視野に入れて――)


 知らず知らずの内に膨れ上がっていた弱気を打ち消すように英一郎が前に出た。


「なーに不安そうな顔してやがる。天上院を取り戻したんだ。後はあいつをぶっ倒すだけだろうが」


「そうですよ。わたくし達に負けはありません」


「私ももうひと踏ん張りします。ここが勝負所です」


「そうだ、戦いはこれからだ。いくぞ狭間!」


 限界が近いだろうに、血を吐いて尚光輝は前を向いているのだ。撤退などという次善ではない。最善を目指さなければならない。恭弥もまた、前を向く。


「そうだ……そうだった。行きましょう、皆! 俺達は勝つんだ!」


 5人は死力を尽くして白面金毛九尾の狐へと向かっていった。


   ◯


 その頃冥道院は内心舌打ちをしていた。この場において、唯一彼だけが冷静に状況を分析していた。神楽達5人を相手にしつつも、彼にはまだ全体を見渡す余裕があったのだ。


(よくないな。場の流れが完全にあちら側にある。負ける事はないだろうけど、これ以上は美味しくない)


「戦いの最中によそ見とは余裕だな」

 急接近した高橋は貴船を冥道院の左太腿に突き刺した。ブシュッという音と共に大量の鮮血が宙を舞った。貴船は苦痛を与える専門の呪具だ。相当な痛みが冥道院に弾けているはずだが、彼は特に堪えた様子もなく平然としている。


「今どき珍しい呪具だね。君は巫女の末裔かい?」

「だったらどうした」


「僕の母さんも巫女だったからね。それなりに巫女術には詳しいんだ。だから、これはお返しだよ」


 冥道院が指を鳴らしたかと思うと、高橋の左太腿が弾けた。先程冥道院の身に起きた事の巻き返しのように宙に鮮血が舞う。


「……クッ! 貴様、何をした……!」

「簡単な事だよ。呪いを返しただけさ」


 呪いは生き物だ。宿主となる肉体の居心地が悪ければ、呪いはかけた者に戻っていく。冥道院がやったのはそれだった。


「甘いんだよ。君程度の強さで僕に呪いをかけようなんて百年早い。さて、そろそろ幕引きといこう。あまり時間をかけて、これ以上彼女の機嫌を損ねたくない。来い、祝姫」


 ここに至るまで、冥道院は実力の半分も出していなかった。彼は白面金毛九尾の狐に付き従ってはいるが、彼の目的はあくまで母との再会だ。それ以外の事は全て遊びに過ぎない。


「チッ、面妖な術を使いおって……見よ、冥道院!」

 慶一が冥道院に瞳術をかける。が、術を仕掛けたはずの慶一の目が潰れる。


「グハァ!」

「呪いが効かないのに、尚更暗示なんて効く訳ないじゃないか」

 冥道院はクスクスと笑う。これで戦闘不能になったは二人目だ。


「よくもお父さんを!」

 薫は逆上し、錫杖片手に冥道院に突っ込んでいった。

「いかん! 神楽!」

 止めに入ろうにも、位置が悪かった。明彦の足では追いつけない。


「まったく……どこまでガキなんですか。ほんとに年上ですか」

 面倒そうに駆け出した神楽は薫の行き先に炎の壁を発生させて動きを止める。


「っ! なんで邪魔するの!」

「死にたいのならどうぞ? 私は邪魔しませんけど」

「この――! …………ごめん、頭に血が上ってた」

「理解いただけたようでなによりです」


 二人のやり取りを黙って見ていた冥道院は自身に注目がいくようこれ見よがしに大きなため息をついてみせた。


「残念だなあ。そのまま仲間割れしてくれたら手を下す手間が省けたのに」


「お生憎様です。なんでもかんでもあなたの思い通りになると思ったら大間違いですよ」


「ふふ、そんな事は嫌ってほど知ってるさ。祝姫!」


 人工的な白味を帯びた体色の女性が神楽と薫に襲いかかる。


 冥道院は祝姫を二人に襲いかからせる傍ら、無数の蟲を生み出して戦闘不能に陥っている高橋と慶一を襲わせた。こうすれば、明彦は二人の援護に入らざるを得ない。冥道院らしい実に嫌らしい戦い方だった。


「さて、そろそろ彼女を迎えに行こうかな」

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