第145話

 三人は階段を下りて居間へと行った。テーブルを囲んで座り、文月の用意したお茶をすすって一息ついた神楽は、先程の出来事を語り始めた。


「これから話す内容は、絶対に他言無用でお願いします」


「あの、私は席を外した方がよろしいでしょうか」

 問いかける文月に対し、神楽は首を横に振った。


「いえ、あなたにも関係のあるお話しです。あなたにはキツイ内容かもしれないですけど、きちんと聞いてください」


「わかりました」


 神楽は椎名家で本来の狭間恭弥が語った彼の旅路を余す所なく詳細に語った。文月は狭間恭弥が光輝の愛妾になった件で赤面していたが、やがて話しが二人目の恭弥に移ると、顔を青くしていた。千鶴も千鶴で、何か思う所があったのか時折納得がいった様子で神妙に頷いていた。


「以上が、私が家で元の恭弥さん、といえばいいんでしょうか、に聞いた話しです」


「そんな事情があったとは露知らず。てっきり私は恭弥が処刑されるという話しで落ち込んでいるものだとばかり思っていました」


「千鶴さんのところにも情報来てたんですね」


「ええ、文月さんが光輝さん経由で聞いた話しを私も聞いていたものですから」


「たぶんですけど、処刑そのものが有耶無耶になるでしょうね。筆頭だった鬼灯と稲荷の当主が死んでしまいましたから。というか、白面金毛九尾の狐が本当に復活したらそれどころじゃないです。猫の手も必要な状況になるでしょうから、一級の恭弥さんを腐らせる手はないはずです」


「しかし、情報が本当だとすれば八方塞がりですね。今の足並み揃わぬ協会では、そのように強大な妖とは戦えません」


「ですね。過去の恭弥さんがどうやっても勝てなかった相手です。足の引っ張り合いしか考えてない老人達は我が身可愛さに国外に逃げるでしょう。それに、冥道院も厄介です。相性の良いはずの姉さまと恭弥さんが二人がかりでも勝てなかった。その事実は大きいです」


 三人は揃ってお茶をすすった。手詰まり感からくる手持ち無沙汰をなんとか誤魔化そうと考えた末の行動だった。そんな中最初に口を開いたのは年長者の千鶴だった。


「なんにせよ、まずは恭弥を立ち直らせるところからですね。まったく、手のかかる弟子です」


「やろうとした私が言うのもなんですけど、ドアを蹴破ったりとかあまり強引なのは逆効果じゃないですか? あの様子じゃ相当傷ついてるみたいですし」


「ふふん、蹴破らずとも、式を使えば穏便に鍵を開けるくらいは出来るのですよ」


 そう言った千鶴は、懐から一枚の式を取り出し口元まで持っていくと、呪詛を呟いて式を実体化させた。姿形を得た式はどこからどう見ても一匹の黒猫だった。


「いつ見ても千鶴さんのはすごいですね。本物にしか見えないです。私は式の扱いが苦手ですから、ちょっぴり羨ましいです」


「日頃の修練の賜物です。さて、恭弥のところに行くとしますか」


 三人は階段を上り、恭弥の部屋の前まで移動した。そこで千鶴が猫型の式神に指示を出した。すると、式神はドアの下の僅かな隙間から室内に侵入し、鍵を開けて見せた。


 再びドアの隙間を通って戻ってきた式神は千鶴を見上げていた。まるで褒めてと言っているようだった。千鶴は式神を抱き上げて頭を撫でながら、神楽にドアを開けるよう促した。


「恭弥さん、開けますよ?」


 やはり返事はなかった。神楽は意を決してドアを開けた。


「恭弥さん?」


 部屋はもぬけの殻だった。全開にされた窓から入ってくる夜風がただ虚しく吹き荒ぶ。


 狭い部屋の中で隠れられる場所など限られている。クローゼットの中を開けて確認していると、外から風に乗ってバイクのエンジン音が聞こえた。慌てて窓から外を覗き込むと、ちょうど恭弥がバイクに乗って離れていくところだった。


「恭弥は行ってしまいましたか」

 千鶴が後ろから声をかけてきた。並んで窓の外を眺めているが、相当スピードを出しているのか、恭弥の姿はもう見えなかった。


「……みたいです」

「本当に困った子ですね。携帯も置いて行ったみたいですし、遅れてきた反抗期ですか」


「どうしましょう……霊装は着ていったようですが、籠手の類は置いていったようです。追われる身なのですよね?」

 文月が問いかける。その手には恭弥の攻性防具である籠手があった。


「協会が放つ追手程度にはやられないから安心してください。むしろ今心配なのは、自暴自棄にならないかです。恭弥さんの様子がおかしいのは気付いてました。私があの時止めていれば……」


 神楽は目に見えて落ち込んでいた。不意に脳裏をよぎったのは息をしなくなった想い人の姿だった。もしそんな事になれば、全ては自分の責任だとすら思えた。


「自分を責めても何もなりませんよ。いざとなれば私が遠見の式で探します。それに、神楽さんの話しを聞いて疑問に思った点があるのです。今は私の話しに付き合ってくれませんか?」


 神楽は窓の向こうと千鶴を見比べて逡巡した様子を見せたが、やがて「わかりました」と言った。


 再び居間へと戻った三人は、文月の入れ直したお茶をすすった。千鶴は話しをする態勢が整った頃を見計らって口を開いた。


「便宜的に私の知らない一人目の恭弥を狭間と呼称しますが、狭間は神楽さんに『今回も失敗は確定した』と言ったのですよね?」


「はい。鬼灯薫が私の家に現れたのとほぼ同時に、恭弥さんは私の知らない恭弥さんになりました。そして、鬼灯薫を私が殺すと、薫ちゃんがこうなった以上失敗は確定した、と」


 神楽の言葉を聞いた千鶴は「やはり」と呟き神妙に頷いた。


「それがどうかしたんですか?」


「仮説の域を出ませんが、お二人は多元宇宙論という言葉はご存知ですか? あるいはパラレルワールドと言い換えてもいいかもしれません」


「前者は知りませんけど、後者ならなんとなく。よくSF映画とかで出てくるやつですよね?」


「私も神楽様と同程度の知識かと。あまりそういった知識には明るくありませんが、書物で読んだ事はあります。確か、可能性の世界の事ですよね」


「共有出来るのであれば話しが早いです。私も専門分野ではありませんので、間違っているかもしれませんが、これから話す内容はイメージですので、それで問題ありません」


 千鶴は紙とペンを持ってくると、左上に可能性Aと書き、一本の横線を引いた。そして、中心に黒い丸を描き、そこを起点に左側を「未来」右側を「過去」とした。


「この一本の線が私達の生きる世界の過去と未来だと思ってください。この黒丸は現在です。恭弥の能力が、仮にこの線の過去にのみ行けるものだとしたら、恭弥が過去に行った後の世界はどうなると思います?」


 千鶴の問いに、神楽と文月はそれぞれ別の答えを出した。即ち、「そこから先の未来自体が消滅する」と「そこから先の未来が分岐して続く」だ。


「恐らく、その答えはどちらも正しくどちらも間違っています。なぜなら、神ではない私達には世界の出来事を客観的に観測する事が出来ないからです。もっとも正解に近い答えを持っている人間は、狭間をおいて他にいないでしょう」


 千鶴は再び紙に線を引いた。左上に可能性Bと書かれたそれは、先程までと違い、中程で斜め下へと折れていく線だった。千鶴は直線で描かれた線の右側に「過去」と書き、中程に黒丸を描き「現在」と、そして斜め下へと折れていった左側に「目指すべき未来」と書いた。


「狭間が能力を使用した結果、世界がどう変わるのかはわかりませんが、何度も過去に戻っているという話しから、彼の行動によって未来は少なからず変わっているのは間違いないでしょう。そこから導き出されるに、彼はこの図に表された未来のために動いていると考えて間違いありません」


「話しはわかりましたけど、これって恭弥さんがやろうとしてた事をややこしく説明しただけですよ。なんの意味があったんですか?」


「いいえ、意味はありますよ。全て仮定の話しになりますが、神楽さんが仰ったように、この世界が『そこから先の未来自体が消滅する』世界だったとしたら? なぜ私達はこうして話していられるのか。それは、狭間がこの世界でやり残した事があるからに違いありません」


「やり残した事、ですか?」


「そうです。それが何かわかりませんが、私達は私達に出来る事をするしかありません。それに、文月さんが仰ったように『そこから先の未来が分岐して続く』だったとすれば尚の事です。私達には今を生きる義務があります。頑張りましょう」


 千鶴の言葉に、暗くなっていた雰囲気が少しだが明るくなった。年長者としての務めを果たせた事にホッとした反面、二人にはあえて言わなかった事が彼女の中で澱となって沈む。


(……恐らく、この世界は神楽さんの言った方式なのでしょう。でなければ、過去に戻れるなどと大それた異能の説明がつかない。大いなる力には代償が付き物です。自らの観測する世界以外の全ての命を切り捨てる……狭間はどれだけの罪を抱えているのでしょうか)


「……まるで神そのものですね」

 千鶴の呟きは誰の耳にも入る事はなかった。

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